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死者を「信じる」ことはできても「期待する」「希望をもつ」ことはできない

こんにちは。ゆうです。
このnoteをみつけてくださってありがとう。

講座は「自己信頼」の話から始まるほど、
自分を「信じる」ことを大切にします。

この「信じる」という動詞の本当の意味、
私は半年たってやっと体感できたように感じています。


自分(あなた)を信じる
自分(あなた)に期待する
自分(あなた)に希望をもつ

似て非なるものですが、
混同して使っていることが何と多いことか!

まず、助詞が違うんですよね。
でも私、この違いは見過ごしていました。

私がハッとしたのは…

 信じるって死者にも言うけれど、
 期待・希望は生きてる人にしか使わない
 じゃ〜〜〜ん!!!

と気づいたとき。

例えば。

死んだあの人は私を愛していた
と、信じることはできる。
私の自由です。

でも、
死んだあの人は私を愛していた
と、期待したり希望をもったりはできない。

だって、
死んだあの人はもう何も反応できないから。

そうか!!!

信じるって、
とことん【主体的】で(=私しか関係ない)
今この瞬間だけ】を扱っているんだ!

結果(=未来)がどうなろうが、
相手が期待・希望通りになろうがなるまいが、
全く関係がない。

問題にしているのは、
私が、今この瞬間、信じるかどうかだけ。

中今(なかいま)に
ワタシエネルギーを全集中して終わり。

こうとも言えます。

信じる は、見返りを求めない。
期待・希望する は、見返りを求める。

信じる は、結果に干渉しない。
期待・希望する は、結果に干渉する。


だから。

自分を信じるのに、

 結果がでた・でない、
 実績がある・ない、
 人よりできる・できない、

は全く関係がない。

これらは全部、
昔と今、私とあの人…などの比較

そもそも信じるという行為は、
「中今」に一点集中するので
比較という概念が存在しない。

だから、
比較でうまれるものは、
自己信頼の範囲外のはずなのよ!

だからなのかな〜

私は、
「期待してるよ」「希望をもってるよ」
と言われるより、

信じてるよ
と言われたほうが ぐっとくる のですが、
あなたはいかがですか?


本日もお読みいただき 心からありがとう

あなたの今日の小さな歓びは?

善き一日を!


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