【学びを手放す学び】
僕の中で最近このメッセージが頭に浮かびました。
新しい学びを受け取るために、学びを手放す。
おそらく学びは持ち続けることの方が素晴らしいのかもしれません。
ですが・・・学びを手放すことにしました。
成熟した学びは、ときに形を変えて執着や依存になって、新しい学びを学びとして受け取れなくなってきました。
学びを手放す。
たくさん学んで、いつの間にか学びのカオス状態。
ですのでドロッピングオフ(手放し)して、新しいものも、今までのものも、過去のものも、「今ココ」の状態で受けとることにしようと思います。
例えば、演劇の世界では、はじめは台本を持ち、それを読みながらリハーサルします。
その後ある程度セリフを覚えたら台本を手放し、セリフを話していきます。
でも、まだ会話にはなりません。セリフを頭の中で思い出しながら目の前の相手と話している状態ですので、
目の前を見ているようで見えていません。
セリフを考えなくても勝手に出てくるところまでやって、さらに段取りや動きを体に染み込ませていきます。
全部自然にできるところまでやっていきます。
そして・・最後に・・
それらを全部、手放して本番の舞台に立ちます。
フィールドと相手役とお客様に意識を向けたとき、セリフは無意識に溢れでてきて、自然に会話して、心や身体の本当の反応がその場に存在することができると言われてます。
僕にとって学びもまったく同じでした。
学びを手放すことで、無意識の中で学びが自由に生き生きと動きだす。
『学びは手放すところまでやって学び』 だと感じました。
ソクラテスの無知の知
こうありたいです。これが最近の学びでした。