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どこでだれに何を云うか問題…⁈ 例えば自然環境についての話題とか

”Finsta”がバレたのよ…。そんな一声で始まった今週のランチ会でのお話を少し掘り下げてみたいと思う(ポジティブなお話です)。

日常生活におけるあらゆる”情報(知識)”の取り扱いは,インターネットに始まり,スマホが登場し,そしてSNSの普及で発信・共有・収集が以前に比べて格段に容易になったと多くの人が言っている。

Finstaは「Fake Instagram」のことだそうだ。いわゆる”裏アカ”のようなもの。SNSにおいて複数のアカウントを使い分ける行動をとるのは,日本人だけなのかなと思っていたけれど,どうもそうではないらしい…。

Sometimes they have a real account and a dummy account. We call it "dummy account" in insta tiwitter and facebook too. Mostly they use it to speak badly of something...(私信:Skypeのメッセージ,2021年10月16日)

メインのアカウントでは扱いにくいことを発信・共有・収集するのが,各地の”裏アカ”の仕事のようである。いいたいことは言いたい・知りたいことは知りたいのが人間の性ということだろうか…。

ご存じの通り,人間は多面性を持っている。学校での自分と家での自分,バイト仲間の前での自分と恋人の前での自分などは,同じ「わたし」でも,何か違う自分であることはみんな分かっている。「わたし」が,言いたいこと・聞きたいこと・知りたいこと・やりたいことをひとまとめに入出力するのは難しい世界なのだろうなと感じる。リアルでもSNSでも。そこには社会規範があるからだろう。

先日,20〜40代の現役世代に「環境に配慮した行動に関する話題が,日常会話のエピソードとして語られにくいのはなぜだと思いますか?」とインタビューをさせてもらった。

会社として「環境配慮行動」を推奨し,実際に行動に移すことのできる仕組み(ゴミの分別が細かく指定されているなどなど)があれば,社内の話題にもあがってくる。自動化された行動ではあるが,なぜこのような取り組みをしているのだろうとふと脳裏に”環境配慮”がよぎり,自宅での行動にも少なからず影響を及ぼしていると思う。などコメントいただいた。

併せて…『会社の同僚ではない友人達には,このような話題はふりにくいなと感じる』というコメントもいただいた。あぁ,この感覚,わかるかもしれないと思ってしまった自分がいた。「意識高い系」っと思われたくない…。必要に応じてペットボトル買うし,ビニール袋も買う…どうでしょうか??配慮できるならしたいと思っているのはもちろん本当。

なんとも難しい…。今の思いを伝えたい気もするけれど,云えない。ここでこんなこといったら何て思われるのだろうか…などなど。

でも,これに似たような感じは昔からあったようだ。昔の作家さんのお言葉。98年も前の文章。

私は頼まれて物を云うことに飽いた。自分で、考えていることを、 読者や編集者に気兼なしに、 自由な心持で云って見たい。友人にも私と同感の人々が多いだろう。又、私が知っている若い人達には、 物が云いたくて、ウズウズしている人が多い。一には、自分のため、一には他のため、 この小雑誌を出すことにした(菊池寛,1923:大正12年)。

昨今の”裏アカ”という単語でイメージされるような,ネガティブな感じではなく,「わたし」の多面性を受け入れて,言いたいこと・知りたいこと・聞きたいこと・見たいこと・やりたいことを入出力するのは楽しいことで,アリってことをここに主張したい。…言い聞かせているともいう⁈

"multi-facet" is making us more beautiful and joyful(私信:10年くらい前)

例えば学校での自分。その自分は,「わたし」を創る1側面でしかない。ダイヤモンドが美しく見えるのは色んな”面”を持っているからだと師匠(ゼミの指導教官)が言っていた(たぶんそんな意味)。学生のときにそんなことを言われたのだけれど,美しい⁈って何?はっ?っと,さっぱり意味がわからなかった。でも今は痛感する。

どんなことについてでも,もっている知識は多いほどいいらしいし。お金やモノと違って,集めた「知識(学んだこと)は誰にも奪われない」。加えて美しくなれるのならなんだかラッキーではないだろうか。

結局,何がいいたいかと申しますと…

どこでだれに何をいってもいいとはいいませんが,言いたいこと・知りたいこと・聞きたいこと・見たいこと・やりたいことの入出力は誰でもいつでも”can 【助動詞】”である。「わたし」の多面性をもっと認めてゆきたい(八方美人とは違う…)。

ええっと,外に目を向けてみると,ちゃんと本気でお話できる人は結構いるっ!自然環境についても然り…。

裏アカという側面の自分をネガティブではなく,「わたし」にとって”いとおかし”な入出力に使ってゆくことで世界はもっと広がると思う。人間はいつか死んじゃうし,ちゃんと意識して付き合える自分の数や量にも限りがあるし。云うは易しですが…。そうありたい。

自己完結じゃ環境配慮行動は広まらないでしょ!っというご批判はまたの機会に…。





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