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もう、ゆるして・・・・楽になってもいいんじゃないでしょうか?墓場まで持っていくつもりなら別だけど。

毎月通っている心療内科外来
摂食障害のこころが手放せず、卒業できずに頼っている。

私は家で体重は測らない。ここ5、6年はそうだ。
毎月の外来受診で測るのみ。
だが、大概40kg前後にピタリ合わせてくる。

何を食べて、どうコントロールすれば大体の数値に落ち着くのか
神経系の1つになっているかのごとく、ピタリくる。

それが病気のこころだ。

ず〜っと「私は食べてはいけない」と縛りつつ
最小限空腹を満たし、最小限エネルギーを得て、かつ会食など
コミュニケーションもしつつコントロールする労力はかなりのものだ。

でも、私にとって、太らないように食をコントロールし、太らないように意識を向け続けること、がアインデンティティのようになっていて、食に安堵したり、何も考えずに食を楽しむことはできない。食べることは楽しみ、癒し、喜びであると同時に痛みと苦痛を伴う。

ただ、いつもそのこと、太らないように食をコントロールすることが最優先ではなくて、誰かと語らうとか、誰かと一緒に過ごすとか、食を囲んだコミュニケーションを大切にすることもできるようになっているので、特に普段の生活で表立って困ることは何もない。

ただ、こころが一部独特の彩りを持っていて、そのことは結構私にとって重い。でも「私は人並みに食べてはいけないのだ!」という観念が頑なに私を縛る。

「なぜ、そう思うんですか?」主治医の問いかけに「わからない、でもそうなのだ、私にとってそれが真実で、私にとってそれが生きる条件なのだ、そう決まっているからそうなのだ」と答えることしかできない。

「いくつになりましたか?」
唐突に主治医が聞く。今まで、8年間くらいお世話になっているが、年齢のことをストレートに聞かれるのは初めてだ。私の人生は有限であることを思い知る。

「もうゆるして・・・楽になっていいのではないでしょうか?」
しんみり、じんわり、沁みる。。。私はもうゆるされているのに、私がそのことを頑なに拒絶して、ずっとずっとずっと、何かと戦い続けている。

何と戦い続けているのか?は闘病もう40年近くになるとテーマも変遷してきたように思えるが、主治医の問いに内的会話が促されて、ふと思い浮かんだのは、「私は母になり損ねた」ということ。

ちょっと話はそれるが、私は祖父母と同居し、祖父母に躾けられた過去から「働かざるもの食うべからず」という教えが身体化していて、すぐに誰かと仕事ぶりや成果や結果、貢献度を比較して、あの人より食べてはいけないと自分に課すことが習慣化しているところがあった。

かつて、嫁であったとき、元夫は4人姉弟の3番目の長男で、家業を皆で支えていて、姉2人の貢献度に比べれば新米嫁の私の働きなど虫ケラのようなもので、そこでは皆で食卓を囲む習慣だったので、ず〜っと食べてはいけない憲法で自分を縛って生活していた。

妊娠した時、母になることでそこから解放されると思ったけれど、中々、摂食障害のこころは手放せず、でも「楽になっていいんだよ」って自分に言おうとしていた時期もあった。

ところが!姉たちのように、義母や家族画「ふつう」と思うように
私は母になれなかった。切迫早産で入院したのだ。
「ふつう」に暮らして、「ふつう」に陣痛がきて、「ふつう」に出産できた姉たちと違って、私は入院して、点滴でベッドに横たわり、入浴さえできず、寝たままただひたすら、横になったまま、5ヶ月間こどもをお腹の中にとどまらせておくことだけしかできない・・・屈辱だった・・・

「ふつう」を経て母になれない自分が心底ポンコツに思えたし、悔しいとか情けないとか、感情を味わうことすらできなかった・・・・5ヶ月間、夫以外の面会は極力拒絶し、家族の顔をみると劣等感最上級の感情に本当に煮湯を飲まされるような気分になった。
もちろん、家族は心配、労い、励まし、最上級の愛情を向けてくれていたにも関わらず、受け取れなかった。

その「母になり損ねた」罰を未だ引きずっているのかな・・・とふと思った。でも書いてみるとちょっと違う気もするな・・・・。

その根底にも「私は完璧であらねばならない」って観念が見え隠れする。完璧な人なんていない、完璧でない、欠けている部分こそ人とつながる接着点、お互い様、補い合って、意識的であれ無意識的であれ助け合って生かしてもらっているのだ・・・・と思っているのに、やっぱり「完璧さ」への執着を手放せていないのかもしれない。

もう本当にゆるしましょう。
完璧でない、今のあるがままの自分に降参!

手放せない何かに苦しさを感じている方は絵に描いて降参してしまいましょう!その奥にあなたが何者であるかを語るもの、輝き・安堵が見つかるはずです。

自分を生きづらく窮屈にさせている何かから開放されて自分らしく、自然に楽に生きる道へシフトするのは簡単ではないし、すぐに完了できることではないかもしれない・・・でもあるがままの自分に方向を定めた瞬間から変容は始まっています。1歩1歩・・・その歩みを確かめつつ、進んでいきましょう!あなたなの願いをサポートします。

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