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みんなで聞こうよ、から始まる、オープンダイアローグ的な対話について

高校魅力化コーディネーターとして関わる
熊本県甲佐町公営塾あゆみ学舎におけるある日の出来事

あゆみ学舎にくる高校生のあいさつは
「ちょっと、聞いてくださいよ〜」であることがとても多い
それは授業中のちょっとしたアクシデントだったり
楽しみにしていた何かについてだったり
友だちとのやりとりだったり、自分の失敗だったり

どうでもいいと言えばどうでもいいけど
でも、やっぱりどうでもよくないことを誰かに聞いて欲しい
その生徒たちの矛先となり、聖徳太子の如く
ふんふん、へ〜、それで、と聞いていく

大体、ひとしきり話すと生徒たちの気も済むのだけれど
その日は堂々巡りで、「嫌だ〜明日学校来たくない〜」と
ぼやき続ける声があった
どうした、どうした?と聞いてみると

明日、クラスの委員長を選出する予定で、自分が推薦されそう、
委員長にさせられてしまいそうで嫌だと言うのだ
なぜかと聞くと「人前に出ると緊張するので、絶対に嫌だ!
何とかして他の人に決まって欲しい、休もうかな」と鬱々としている

そこで、「もう少し話をちゃんと聞かせてくれる?」
「みんなで一緒に聞こうよ!」と呼びかけ、
その場にいる生徒数名とスタッフで5名ほどのリフレクティングチームが結成された。

彼の話を聞く時間、彼の言葉が途切れるまで語ってもらった後
質問をする
「何が一番嫌なんですか?」
「緊張しなかったら、委員長を引き受けてもいいと思いますか?」
「一番、どうなったらよいと思っていますか?」などなど・・・

そして、その応答を経て、聞いていた生徒たち一人ひとりに
どう感じたか、どう思ったか、その生徒なりの言葉とスピードで
語ってもらうよう促すと、彼に同調する声や推薦されることに対してレスペクトの声、相手の立場を自分と置き換えて語る声、緊張しない方法についてのアイデアなど、様々な声が場に出される

彼の一番嫌なのは、「緊張する、緊張して震える」と言うことだったので
緊張したことがあるか、ないかについて、他の生徒に問いかけると
場にいる全員が「ある」と答えて、それぞれに「緊張」にまつわる
トラウマ的な体験をここぞとばかり、語ってくれたり、
自分の緊張を回避するための秘策を披露したり、
とてもポリフォニーに満ちた温かい雰囲気になっていた

彼の感想では、「みんな緊張するんだってことがわかった、自分だけじゃないって思えたのはよかったかな・・・・」
当たり前のことのようだけど、こうして生々しいそれぞれの緊張トークを聞く機会なんて、滅多にないし、
緊張した体験=恥ずかしい=人になるべく話したくない、と
心の奥に仕舞い込まれていることが多いもの

始まりは、ひとりの声をみんなで聞こうよって呼びかけただけで、
ちゃんとその人の語りを聞き切って、場にいる人がその人自身として率直に語ること、それぞれの語りを尊重すること、それを丁寧に繰り返すこと
それだけで、振り返ってみると、お〜今日の対話はオープンダイアローグ的だったなあ〜と嬉しくなった

言い換えれば、生徒の心の奥には語られる機会を待っている
エピソードがいくつも積み重なっているのかもしれない・・・

普段の学校生活では、見えない聞こえないけれど
それぞれに色々な思いを抱えて、色々な経験をもって
今ここに集っているって思えることは
生徒同士の他者を思いやる心を育むことにもつながるのかな

ではまた、コンティヌアcontinua(つづく)




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