将来の幸せのために、子どもに教えるのではなく、今ここからの自由のために。
今朝のしつけ?風景。
子どもの服を、洗濯後にたたみ、片づける、ということを我が家ではやめました。
「ネットできれいな服のたたみ方を検索して、あそこにある服をすべてたたんで片付けなさい」
と息子に言う夫。
息子は夢中になっているゲームから目を離さず「んー」と上の空のような返事。
「ねえ、パパの言ったこと、聞こえてた?」
「んー」
「人の顔をちゃんと見て話をしてね?」
その後、息子は夫に言われたように検索し、たたみ始めました。
娘はお兄ちゃんのたたみ方が気になる様子。(彼女は家事全般がとても好きで、教えていないのに見て覚えて自分でやるようになりました)
「私がやってあげる!」
「だめ。お兄ちゃんが自分でできるようにならないといけないから」
「えー、一枚だけーー」
「一枚だけね」
という会話の間、お兄ちゃんの作業はなんだか・・・ひどい。適当感が満載。息子は自分がやりたいこと(ゲーム)をやるために、上の空でやっているのです。
「あのね、君はネットで調べてって言ったら、検索上位にあがったやつ1本をパパッと見て、やろうとするでしょ。ネットに出てる情報は、いいものも悪いものも本当のこともそうでないことも、色々なんだよ。ぱっと見てそれでいいってしちゃいけない。
きれいな服のたたみ方をいくつかしっかり見なさい。
そしたら、共通する部分や、こうしたらきれいにいけるんだという法則的なものが見つかる。
情報というのは、そうやって活用するんだよ」
と夫。叱責するのではなく「どうあるべきか」だけを示す彼のやり方はとても好き。私もそうしよう。そうしたいな。できるかな。(笑)
つい感情がっ・・・。
やりたいことに気持ちを完全に囚われて、上の空でやっている息子のその様子が、私の心には、ささくれのようにひっかかるのです。
恐怖があるなあ、と思い至りました。
「こんな状態じゃまともな大人にならない」
そう思っているのです。そして、まともな大人じゃない彼の未来の不幸が、怖いのですよね。
好きなことに没頭して
上の空で
身の回りのことが適当になり
それはダメな大人で
不幸になる。
こういう思考回路ですね。
ただ、裏を返すと彼の「上の空」は
集中力が高い
という風にも見えます。
長所をつぶさずに殺さずに
まだ「伸びていない必要な部分」を伸ばす。
夫はその後、息子と一緒に服をたたみ始めました。
どうやればいいか、動画を見ながら「コツ」「ポイント」を探しながら、それを実践して見せるのですね。
未来にちゃんとした大人になるためではなく。
今この瞬間からの自由度をあげるために。
服をたためるようになるためではなく。
情報の活用の仕方。
世界の探求の仕方。
世界の広げ方。
を、教えているのですよね。
私たち夫婦は「将来のために」何かを子供に教えないことにしています。
もう、未来のことは予測が難しい。
昭和の両親に、今の未来の到来は予測できなかったでしょう。
ゲームでお金が稼げる時代が来るとも思っていなかったでしょうね。
私たちは未来のために「今から備える」ことを教えようがないのです。
どう書いたらいいかしら。もちろん、未来にも役に立つのですが。
感覚としては、時間軸から外れたところにある「理想の状態」を見つけ、それを「ここ」に再現しようとしている感じでしょうか。
世のご両親が「将来のために」という苦しい縛りから自由になれるといいなぁ。
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