推しが芸能界を引退したオタクのお気持ち表明〜2年経ちました〜


 推しが芸能界を引退して2年が経ちました。
先にこちらから現状をどうぞ。

⚫︎推しが芸能界を引退したオタクのお気持ち表明

https://note.com/kokokochan_/n/n3931fb6c4aab

⚫︎推しが芸能界を引退したオタクのお気持ち表明
〜あれから1年経ちました〜

https://note.com/kokokochan_/n/nd443a84ffd0a


 「推しが芸能界を引退」すると知った時、一生彼以外に応援したい人とは出会えないと思ったし、俳優厨もできないと本気で思っていた。
 彼を応援する前に、自分が何に心を狂わせていたのかも思い出せなかったし、彼のことを応援できない人生は「この世の終わり」であり、今後は何を目標にして生きていけば良いのだろうと本気で思っていた。

 しかし、実際はそんなことはなくて、なんなら思い出すこともだんだん少なくなってきている。



 「当たり前」そう、当たり前である。

 たかが推しの引退を人の死に例えるのは、大それた例えかもしれないが、身内が亡くなった時でさえ悲しみは時間と共に風化していく。ずっとずっと囚われ続けることはできない。それが当たり前のことなのだ。


 さて、この1年間に私が何をしていたかと言うと、俳優厨の友人の現場について行ったり、ふらっと好きな脚本家の携わる舞台に足を運んだりと引き続きライトなオタクをして、楽しんでいた。それに加えて、昨年と変わったのが、応援する俳優を見つけたことだ。"推し"と呼ぶには、まだ恐れ多いので彼らのことは"応援する俳優"とさせてもらう。ここで気づいた人もいると思うが、彼"ら"というは、1人ではないということである。そう、1人ではないのだ。

 応援している俳優が1人だから、そこに心が一点集中してしまい、何かあった時に深く傷付く。
ならば、分散してしまえばいい。ヴォルデモートの分霊箱と同じ考えだ。

 故にそれは、私自身がこれ以上、心傷つかないようにするためでもある。

 ただ、それは悲しくもある。若手俳優厨なんて、心がそれだけでいっぱいになり、人生を賭け、狂っているからこそ楽しいのだ。それを一度経験してしまったのならば、そんな一歩引いたところから見ていても虚しいだけ。過去の法悦な青春を、今一度味合わせて欲しいと切に願ってしまう。

 今、私はオタクとして宙ぶらりんだ。どれだけ全通しても、どれだけ席に固執しても、どこか寂しい。もう一度、あの狂喜に満ちた感動と青春を望む。だからこそ、彼らには私を早く狂わせてほしい。君を応援することに、人生をかけさせてほしい。

 たぶんね。どっちも、いちオタクの長い文章なんて読まないと思うけどさ、お正月があまりに暇すぎて、もし、ここまで読んでしまって、「こんなやつに応援されてるのか!」って怖くなってしまったそこの君。大丈夫。そんなに恐れないでね。
 私は勝手に君を応援するし、勝手に喜ぶし、勝手に怒るし、勝手に傷付くんだ。私だけじゃなくて、大なり小なり、オタクってそんなもんなんだ。
だからね。推される側にできることは一つしかない。自分を応援してくれる人を最大限に喜ばせること。それは、自分の立場やできることにもよるけど、一生懸命に演技することだったり、我武者羅に踊ることだったり、ちょっとしたファンサ(笑)だったり、カテコ挨拶で私に目線をくれることだったり、あとは自分で考えて。良い意味で、早く私を狂わせて。

あぁ、"推し"の一挙一動で、早く一喜一憂したい。

あ、前の推しの話?
海外旅行たくさん行ってていいなぁ。羽振り良さそうなんだから、飯ぐらい奢ってくれよ。
なーんてね。笑顔で楽しく生きててくれたら大丈夫。

2024年も、あなたも君もここまで読んじゃった野良のオタクも、そして私も!みんなが望む全てのことが飛躍できる年になりますように。

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