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いまのままでいいのか、生きがいとは

神谷美恵子著「生きがいについて」と水野敬也著「夢をかなえるゾウ」を読んだ。自分にとって生きがいはあるのだろうか。純粋な心の喜び、ただ生きていることが楽しいような時はあるのだろうか。また私に夢はあるのだろうか。漠然と生きてきたような気がする。そういう今に悩む人に読んでもらいたい。

私にとって人に勝つことが喜びの根底にあると思う。中学の部活の最後の大会で勝利したときバレーボールの楽しさというか勝つことの楽しさを知ったと思う。あのしびれるような快感は誰かとともに行うことでしか得られないのか。何かスポーツなどで勝ったときに浸れる悦のようなものなのか。私にはまだ純粋な喜びがどこから得られるかは不明である。ただそういった快楽が存在することは知っている。心の底からあふれるような体全体がしびれる気持ち。これはいかにして得るのか。人に感謝されるときも同じようなしびれを感じることがある。ほかには誰かに勝ったという優越感を得たときであろうか。

夢をかなえるゾウの中で一番印象に残っているのはベクトルが自分に向きすぎているということだ。結局成功とかいうものは人に与えられるものであり、自分にばかりベクトルが向いているうちは手に入らないという。これには心を打たれた。

恋人がほしいと思っていると恋人ができないように相手の欠けた部分を補おうといった気持ちが足りないのだ。本当に自己中心的に生きてきたことを反省する。自分は今まで相手に喜んでほしいと思って行動したことはあるのか?喜ばせたとしてもそれは結局自分の利益のためではないのか。

人は必ず自己中心的な生き物であるためこういったことを知り意識できるようになっただけでもかなりの進歩だと感じた。

そして、今日はじめて募金というものをした。本の中で募金が一番簡単に人に何にかを与えるという行為だというように書いてあったからだ。人生を振り返ると募金はしたことはなかった。赤い羽根募金などいろいろ小学校の時はあったがいれたこともなかったように思う。
コンビニのおつりの50円を盲導犬協会の募金に入れた。なんだか気恥ずかしかったが、50円というものの重みを感じた。

後から考えると50円もいれちゃった!とも思ったし少なかったかなとも思ったりした。よく芸能人とかが10万円寄付したりするのを見て偽善だとか少ないとかいう人がいるが、そういう人は実際に募金をしたことがないんだなと感じた。

お金とは誰かに使うためにあるのだと感覚でわかった気がする。
そして、これからは常に相手の欲するものを考えながら行動しようと思った。

相手はどんな言葉を欲しているのだろう、話したいんだろうか聞きたいんだろうか。お金というものは得るものではなくて与えられるものであるのだなと感じた。そういった誰かのためにといった生き方が私にできるのだろうか。いろいろためして人のために生きる生き方がしたいと思った。

生きがいが人のためになるようなことであるのが最善だと思った。


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