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髪を切って考えたこと

先日髪を切ったとき。美容師さんとお話していると、おもしろいことを教えていただきました。

くせっ毛が役に立っている?

私は基本的にズボラなので、髪も短く、とにかく楽にセットできるようにしてほしいとお願いしています。自分でアイロンをかけるとか絶対しないので、ドライヤーで普通に乾かしただけで、それなりにまとまるようにしてほしい、と。そうすると本当にそんな風に切ってくださるので、さすが、プロの方は違うなあ・・といつもありがたく切ってもらっていました。

いつもまとまりやすく切ってくださって、本当に助かっています、と美容師さんに感謝の気持ちをお伝えしたら、意外なことをいわれました。

あなたの毛は、基本的にはまっすぐなのですが、ところどころに、ちょっとうねりのある毛が混じっているでしょう?あれがいいんですよ。もし全部が完ぺきなストレートだったら、このくらいのボブにするとボリュームがなくなってぺたんこになっちゃうかも。あのうねりのある毛が、全体の流れを作ってくれて、うまいことボリュームが出るんですよね。

え?

自分でも、抜け毛の中に、たまにまっすぐではなくてうねりのある、縮れたようなくせっ毛がよく混じっているのには気づいていました。

そういう毛は、表面の目立つところにでてくるとあらぬ方向に飛び出していくので、自分では、ちょっとめんどくさいやつだと思っていたのです。

それが、思いがけず、陰でずぼらな私を支えてくれていたのか・・・。
今まで、言うことを聞いてくれないめんどくさいやつみたいな扱いをしていてすまない・・・。

それで、考えたのです。

私はいつも、限られた情報だけでいろんなことを判断している

うねりのある毛が表面にでてくるとぴんぴんはねて気になるから、やだなあ。くせっ毛ってめんどくさいなあ。なかったらよかったのに。・・・でも本当は、その毛があるから、ボリュームが出てまとまりやすくなっているのに、それを私は知らなかった。知らなかったから、いらない毛だと思っていた。

こういうこと、よくあるなあ。自分の理解している範囲で、これは私にとって役に立つ、とか、これはいらない、これは好き、きらいとか判断しているけれど、あくまでそれは自分から見えている狭い範囲の情報で判断しているだけ。

でもとりあえずは、自分がもっている情報の範囲で、判断したり、選択したりしていくしかなく、それは、その時点での私が持ち得る情報のなかで最大限いい選択というだけで、それが絶対に最後まで正しいというわけではない。常に、あ、そうだった、自分はまだまだ知らないことだらけだ、間違うこともたくさんある、自分が知っている範囲で考えているだけだ、と思いだすしかない。でも油断すると、つい、自分が正しいと思いこんでつきすすんだり、相手が違うことをするとイライラしたり、しちゃうんだなあ・・・。

限界のある自分も、悪くない。

結局今の自分がわかっている範囲には限界があるんだよなと考えるのは、案外悪くない。その先にまだまだ知らないことが山ほどあるし、これからもどんどん変わっていくぞ私、と思うと、ちょっとワクワクしますもんね。それに、そもそも、そう考えると、完璧を目指すってこと自体が無謀な気がしてきませんか?今の自分の限られた知識内で完璧を目指しても、それは本当の意味でどうせ完璧じゃないんだから。ああ、じゃあ、完璧をめざして必死にならなくても、力抜いて、ぼちぼち、今の時点での最大限でいこうじゃないか。失敗したり、間違うこともある。どんどん変わっていけばいいんだ。なんて。ちょっと、こころが、ほっと一息、地に足がつく感じがします。


こころからだ漢方
natsume


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