シャニマス『天塵』感想。透明なまま終わってしまった
ノクチルイベントが来た。コミュの感想を書く(注意!『天塵』ネタバレあり、その他ノクチルに関するコミュに言及あり)。
彼女たちは「透明」なまま
まず衝撃的だったのは、ノクチルの面々が全く「アイドル」にならなかったということ。
彼女たちは最後まで、関係性も、考え方も、生き方も変えなかった。4人はずっと幼馴染としての関係を崩すことは無かったし、練習も、本番でさえも日常の延長線上に置いていたように思える。
「そんな中で、どうなんでしょうねぇ
遊びのつもりだったら、かえって残酷ですよ」
モブディレクターのこのセリフ、正直なところ私も同意してしまった。ほんとうにノクチルをアイドルとしてプロデュースしていく意味はあるのか?「透明な少女」のまま、放っておくほうが彼女たちの幸せのためなのではないのか……。と思わずにはいられなかった。はっきり言って、その透明さを彼女たちの魅力と捉え奮闘する作中のプロデューサーには全く共感できない。
このように私が思ってしまうのは、アイドル4人の見せる顔がことごとくW.I.N.G.編でのそれと全く違っているからだ。
透はプロデューサーとのコミュニケーション不全を通して、自分を表現することを学んでいく。円香は仕事を通じて、努力を評価される恐怖に真剣に向き合い、打ち勝つ。小糸は自分の努力を自分で認め、本当の「よゆー」へと一歩近づく。雛菜は自分を理解してくれたプロデューサーに心を開き、自分の「しあわせ」に他者が関わりうることを知る。
4人はプロデューサーとの関わりやアイドル活動を通じて、今までの生き方や考え方を変えるようになっていく。これはまさに「透明」であった――つまり、自分や幼馴染たちだけの関係性の中で自分を変えずに生きてきた――彼女たちが、「色」を変える、すなわち自分から変わっていくことを学ぶということであり、それがノクチルのテーマ「さよなら、透明だった僕たち」なのではないか。彼女たちが加入した初めての全体曲の一つ『Dye the Sky.』にも、その片鱗が見える。
変わって(しまったと)
誰かが(言うだろう)
前へと進むたび
(だけど)もう遠慮なんていらない
誰の定義でもない
私であれ
限界なんて本当はそこにない
覆せ、塗り替えて
ところが、今回のイベントコミュでは、彼女たちの色は一切何者かの手によって染められることは無いし、歌詞のように自分で染めようともしない。
テレビ局の勝手な要求を呑んで、浅倉中心のユニットとして世に出て行くこともできただろうし、海に行くときももっと明確な目的や意志をもって臨むこともできただろう。あるいは何か自分たちで自主的な活動をするとか。自分たちを変えるチャンスはいくらでもあったわけだが、彼女たちは一切そういうことをしなかった。
ストーリーの中で、彼女たちの関係性も、考え方も、何一つ変わることは無かったのだ。
海でのライブは誰にも注目されることは無かったし、彼女たちの中で「アイドルって楽しい!」という思いが生まれることもなかった(「アイドルが楽しい」という文言自体はストーリー中に出てくるが、それは「4人で一緒にいられるから」という気持ちでしかなく、新しい世界に触れる楽しさや高揚感は彼女たちの中にないだろう)。彼女たちは何一つ変化することなく、「透明」なまま話は終わる。
あまりにも長い、プロローグ
いままで登場してきたアイドルたちは、アイドルになるにあたって「目的」がはっきりしている人ほとんどだった。そうではなかった子たちも、共に活動するユニットメンバーから刺激を受け、目的意識がはっきりしていくというパターンが多かったように思う。新しい環境、新しい人間関係が人を変えていく……というのは、私たちの生活にもありふれていて、とても自然なことだ。
ところが、ノクチルにはそれがない。ユニットの4人は幼馴染。会う場所が事務所やレッスン室になっただけだ。「好きとか嫌いとか、意識することがない」くらい親密な関係の4人にとって、会う場所の変化など取るに足らないものであろう。ノクチルには他のアイドルたちにあった変化の要因が一つ抜け落ちているといえる。
アイドルになった4人の人間関係における「新しい登場人物」は、プロデューサーしかいない。だからこそ、プロデューサーとの関係性が非常に重要になってくる。それにもかかわらず、イベントコミュではプロデューサーは営業ばかりで、ノクチルとのコミュニケーションが欠落している。それは単に「明示的には描かれていない」というだけでなく、本当にコミュニケーション不全であったのではないか、と感じずにはいられない。ノクチルのメンバーが誰もプロデューサーに言及しないうえ、最後の海のシーンではプロデューサーは全く4人に介入しない。互いに距離があるように思えて仕方がないのだ。
しかし、W.I.N.G編で彼女たちが「色」を手にしていくのを見ている以上、このまま彼女たちが「透明」でいることはないはず……。と考えると、今回のイベントは「壮大な前振り」「長すぎるプロローグ」と思わざるを得ない。というか、そうであってくれなければ困る。私の好きなノクチルは、こんな透明なままの、停滞したままの少女たちではなく、前へと大きな一歩を踏み出すアイドルたちなのだから。
だから今回のコミュは正直言って結末が受け入れられなかった。たとえていえば、スターウォーズのIV、V、VIを先に見てわくわくしていたのに、IIIでダースベイダーが全く登場しなかったようなものだ(ご存知の方も多いだろうが、スターウォーズシリーズはエピソードIV、V、VIが先に制作され、I、II、IIIはそのあとに制作・公開された。つまり、IIIを観る人のほとんどはその結末、アナキンがダースベイダーになることを知っている状態だった)。納得がいかないまま終わってしまい、なんだか不完全燃焼の心地である。こうして感想を書いている間も、コミュを全部もう一度見返したりはしていない。というか見返せない。最後までモヤモヤが晴れないことを知っているのに、どうしてもう一度見れようか?
もちろん、今回のコミュが悪かったわけではない。むしろ話としては面白かったし、幼馴染としての4人の関係が見えてきたという意味では素晴らしいコミュだったと思う。しかし、アイドルとしての4人を好きである以上、どうしても、どうしても何かが足りない。だから、これはプロローグなのだと信じ込んで自分を必死に防衛しているのが現状だ。
「色」を手にした4人の関係がどうなっていくのか、幼馴染ではなくアイドルユニットとしての4人がどんな活躍を見せてくれるのか……。それを見るまでは彼女たちの本質も見えて来ず、「ノクチルが好きだ」と心から言えないというのが正直なところだ。早く何か新しい展開が来てほしいと切に願う。
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