面白いと思うハードルを下げないと世の中しんどい
毎日のように面白いなにかを書こうと思って生きてるとしんどい。
面白いことが好きで書いたり探したり、時には大喜利サイトとかアプリをするくらいにまでエスカレートしている。
たぶん、一般人の倍くらい面白いものを見たり聞いたりしている。すると徐々に自分のハードルが上がっていることを感じる。
■赤ちゃんが、いないないばぁで笑っていたのに少し成長をするとクスリとも笑わなくなるように、僕も徐々に楽しむ能力を失っているのではないだろうか。
例えば会社とかバイト・学校で面白い人という扱いになっている人が10人いたとする。でも自分が本当に心から面白いなと感じれる人は2、3人だったりする。
他の人も愛想笑いしているのかもしれないけど、すごく社会にいて生きづらい症状だと思う。
みんなが100面白い!すごい!楽しめることを僕は常に40くらいしか楽しめていない。
その症状の最高地点にいるのが松本人志さんだと思う。
昔ユリゲラーが人気だった頃に、フォークの先端をぐにゃぐにゃにして観客・出演者が驚く中、松本さんだけが「スパゲッティ食べられへんやんけ!」とボケた。
その光景を見てキャイーンの天野さんが「この人はもう普通に驚くことすらできないんだ」と思ったらしい。
僕はそんな領域には到底及ばないけど、このままエスカレートしていくと良くないと思う。
一回どこかの島とか一切娯楽がないような場所で暮らして、猫が懐いてきたとか犬がカワイイとかオカンのしょうもない今日あった話とかで笑える感性を取り戻さないと行けない気がする。
ゴリゴリのお笑いでしか喜ばない脳みそをリセットするか、スイッチの切り替えみたいなことをできないと社会に適応できない気がする。
昨日、ゴリゴリのお笑い好きな友達と2時間くらい大喜利をして思いました。
その彼とは最終的に大学時代に学生お笑いとかあったらやりたかった。という謎の後悔でお別れしました。
〈おわり〉
何がおもしろいのかわからん
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