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今週のMornin#6


記憶にない写真


夏が嫌いです

苦手、とかそういう次元じゃない、嫌いです。
別に好きになれないわけじゃないし、愛せるかと言われると愛せるかもしれないけれど、夏が嫌いです。ただ、暑いから。
暑さにコントロールされる感覚が心地よくないのでしょう。人間は誰だって自由にありたいものです。

7月になりまして

1年が半分も過ぎまして、それはただの暦でしかないのに、半分だからと、色々と振り返るにはいいタイミングだとか、上半期買ってよかったものだとか、いろいろなコンテンツが生まれるいいきっかけになっているのは、それはそれで意味のあることだなと思います。
わたくしとしては、カメラ機材の断捨離をして、カメラを何台か嫁に出しました。今はなんとコンパクトな機材構成になって、ある意味割り切りができてよかったと思う半年間でした。
写真はといえば、人物は初めて撮らせていただく機会が2回、去年も撮らせていただいた方と2回目の機会が1回あり、楽しく、写真の学びにもなり、非常にありがたいことでした。そのほか、お花や街角や海や山やの写真はいつも通り。水のような写真が多かったかしらと振り返りをしています。
今宵も全ての被写体に感謝せねばなりませんね。

今週のMornin

さて、今週のMorninはこちらです。

例によって、Morninの写真ではないのですが、今回は少し頭を垂れている紫陽花の写真になります。

場面は

大都会新宿を性懲りも無く歩き回っている時に見つけた一枚だったと覚えています。白の光の回り方でなんとなく伝わるかもしれませんが、天気は曇り。最近の蒸し暑い曇り空の下で紫陽花に近づきほぼ水平真横から撮った写真になります。
新宿のどこか大きな交差点に紫陽花が咲いている一角があり、どうやって行こうか、横断歩道がないなと困っていたところに地下通路を見つけて遠回りをしつつ、そこに至ったことも覚えています。

日曜日、誰も通らない地下通路



何を見せたかったものなのか

白黒にすることで変化するものは、色が無くなることで、形が際立つということもそうですが、もともと色で分かりにくく隠されていた明暗さがさらに強くなります。明るいところはさらに明るく、暗いところは暗くと。

真ん中(やや左寄りになっているのは反省です)に紫陽花、真ん中の真花の部分と周囲の装飾花の額の部分と分かれていますが、額の部分が重力に負けて地面に向かって落ちています。
大きく分けると下の図のようになります。

我ながらダサい配色です

緑部分よりも青部分を大きく画角で確保し、青い部分にうまく光が当たり明るく目立つように露出を合わせます。
狙ってはいなかった部分ですが、背景の露出も上半分と下半分で若干分割されているのでなんとなく見やすい写真になっています。撮影している最中はそう思っていなくても、きっとなんとなくこの方がいいと思う、みたいな思考のバリエーションが増えていくと写真を撮るのは、回数を重ねるごとに楽しくなると思います。
最初から無意識でそういうものが備わっている人ももちろんいて、何かと言われる「センス」というものはそういうものだろうなと感服します。
センスのない我々は、日々写真を撮って振り返りをしたり、いい写真だなと思う写真のどこがいい写真だと思う要素なのだろうとちょっと考えることで、センスのかけらを集めることしかできません。

ごちゃごちゃと言っていますが、今回はこの、重力に負けて下を向いている紫陽花の、花びらの裏側に光が当たり、なんとなく帯のように、帽子のつばのような形が綺麗だと思って撮った、ということです。

写真は一人で素振りのように撮りまくるのも十分楽しいのですが、こういうことまで考えたり、考えながら見れたりしていくと、ちょっぴり写真を見る楽しさが増すというものです。
もちろん解釈の仕方なんて人それぞれですし、その幅も何をいいと感じるかの感性の部分です。そこを誰かと話し合えると有意義だなと思います。別に有意義が全てではありませんが。
そして、わたくしにとってはノンフィクションでも、常にこれがフィクションだと感じる人もいることを忘れてはならないなと思うのです。


夏が嫌いです。

何度でも言います。数年前に「夏が嫌いです」ってポエムを書いた気がします。気が向いたら読んでみてください。あまり気持ちがいいものではないですが、意志が固まるので良かった、ということにしています。
ただ、夏が好きという人は別に嫌いではありません。
どうぞお好きにたくさん夏への愛を語っていてください。


7月最初は

つい昨日、カメラを買いたいという友人に誘われて、唆されて、お呼ばれして、カメラ購入同伴をしてきました。ありがたいことに、自分が使っている富士フイルムのカメラが欲しいと話してくれましたが、それでも自分は、「持ってみてしっくりくる、持ち歩いて写真を撮りたいカメラ」が、まずは最初の一台に必要だろうなと思ったので、電気屋さんで色々とカメラを握ってもらうところから薦めました。直感的にこれと言えるものが見つかったようで、無事にお気に召すカメラに出会えました。買ってすぐの、すでに残り少ないバッテリーが尽きるまで、そのまま一緒に写真を撮り歩いていました。写真を撮ることが、崇高で価値があって誰にでもできない特別なことだなんて思いません。撮りたい人が撮りたい時に撮れればオールオッケーだとは思います。もちろん誰も傷つけずにです。

なんで写真なんて撮っているんだろうとか、何がいい写真なんだろうとか、自分は一体何を撮りたいんだろうとか、どうせ撮らなくたって死なないのにと、何千何億回も思うことだろうと思いますが、それでもカメラを持って写真を撮っていってくれたらなと願います。
でも、それが変な呪いにはならないように、もし撮りたくなくなったら手放せば良いだけですから悪しからず。

その子は「苔」が好きだそうです。「?」と全く共感できない部分でしたが、その子がいいと思えるような苔には色々基準があるらしいので、自分もこれからは苔を撮ってみようかなと思っています。これも写真のいいところの一つだなと思いました。
それでは、また来週。

新宿の苔

夏はアイス、秋は焼き芋、冬はおでん、春はさくらもちを食べます