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今週のMornin#32

至れり尽くされり

定期・不定期問わずに毎日起きる、毎週起きる、毎年起こることが結構ある。初詣だったりゴミ捨てだったり歯磨きだったり。それらにも義務的なものがあれば、自由なものもあれば、あわよくばしたくないものや。やるかやらないかは自由かもしれないけれど、その選択から解放されたいときはどうするべきなのだろうか。そういう選択肢が多いのは東京のいいところで、選択肢を選んで許せるというのは、自分のよくないところの一つだろう。


今週のMornin


解放

写真を撮る

大きく左右に分割、主題は道路標識、副題はその影と上から右下に流れる影の二つだろうか。
よく見ると標識が少し傾いている。標識だけを見ているとそこまで気にならないのだが、影も合わせて見ていると垂直がズレているのがなんとなくわかる。これを実際に見たときも、まずは傾いている標識だという第一印象だった。その次に標識自体の影に目が行き、その次に明るい部分の壁全体に影が降りているところに目が行き、最後に、影と光の当たる部分で壁の模様の見え方が違うところが、人間の二面性みたいでちょっと皮肉っぽいけれど、こういう二項対立こそ、人間社会なんだと誰が教えてくれたことを思い出した。

基本的には自分が世界を見ている枠や見るものの順番やその時の結局のところ杞憂でしかない動きがどうにかうつりますようにと祈りながらシャッターを切っている。最低限露出と水平垂直くらいは気を使うが、さすがに1年以上同じカメラを握っているとなんとなく水平垂直を出すための手足の使い方や、目で見ている露出と実際カメラで取り込める露出量を予測することはなんとなく無意識にできてくる。そこは使い慣れた、使いやすい道具を使うことはやはり多少は大事なんだと思うところだ。


大晦日

晦は、月の最終日というような意味らしい。月末は陰暦だと月隠(つきごもり)と言われ、それが「つごもり」に訛って読まれている。一年の最後だから「大きい」がくっついて「大晦日」らしい。英語や他の言語でもこのような組み合わせの熟語みたいなものはたくさんあるのだろうか。世界的にはやはり「お祝い」の意味が強いようだ。

わたくしの敬愛するフィンランドの年越しはこうだ。

フィンランドでは年越しは友人または家族とともに祝う。深夜のディナーでは、ウィンナー料理、ヤンソンの誘惑、ポテトサラダをメインとして供することが多い。いくつかの自治体主催の花火大会が深夜0時に開催される。家庭向け花火もまた非常に人気である。フィンランドの伝統的鋳物占い(Valaa Tinaa、 (Valaa Tinaa) )は、「錫」(実際には鉛)を小さなフライパンに入れてストーブの上で溶かし、バケツの水に素早く投げ入れて新年を占う。出来た金属の塊の形状は、例えばロウソクで照らした影を解釈するなどして分析する。この占いは、しかしながら、真剣に受け取ることはない。

wikipedie

ヤンソンの誘惑というのはスウェーデン料理のグラタンらしい。落ち着いたお腹にも体にも心にも優しい食事を食べて穏やかに過ごす国のように見える。何よりだ。そして占いが伝統的に続いているものの、真剣に受け取ることはないようだ。そりゃ人によるだろうよと思う。他の記事では、占いに関してこんなことも。

その解釈の仕方というのが実に適当でして、「僕のはドナルドダックだよ」「それじゃ、来年はドナルドダックの漫画がたくさんもらえるね」
「私のはドラゴンみたい」「あら怖い、来年は怒りっぽくなるんじゃない」などと、言ってみればお互いにただ思いつきを言っているだけというレベルです。
使用済みの錫は、美しいものやラッキーな形であれば大切に取っておいても良いそうですが、まず大概の人があっさりゴミ箱に捨ててしまいます。

https://santaclausvillage.jp/seasonal/fortune/

フィンランドと日本人は似ていると色々な部分で言われているけれど、ここは日本人の「おみくじ」に似ているところだろうか。好き勝手解釈して、柱に結んでいくかどうか、持ち変えるかどうか、持ち帰ったとしてそれをどうするのかどうか。自由な部分の領域というのが少し似ている。


小言はここまで

今年も色々なひとやものにお世話になった。ありがたくてさいわいで、これ以上のものはないのだろうなと思う。勝手に苦しくなっちゃ良くないのかな、自暴自棄は連鎖するのだろうな。それでも何かを忘れないようにと辛く重く苦しくなる必要はないとは思うので、とりあえず生きていることが意外と他人にとってありがたいらしい、くらいの気持ちで生きていく。
きっと来年の抱負を考える1日になるだろう。外に出て行って写真を撮ってもいいだろう。初日の出を見ても、初詣のデートに誘ったっていいだろう。新年会だよっていいキッカケを頼るチャンスだ。普通に「あたたかいおでんを一緒に食べたい」って言われる方が滅法に嬉しい。自分がもし犬になれたら尻尾を振り回して飛びついている状況を、来年はもう少し増やしたい。誰かにとって自分はめんどくさいだろうという気持ちや、自分の価値の質と量が気に病む時はおにぎりの食べ比べをしてみるといいです。この前、シャケおにぎりの食べ比べをした時の結論が「両方美味いし、両方シャケが足りない」でした。足るを知るのはいつになるやら。



今年もありがとう、来年も、よろしくどうぞ。

今夜はきっと山手線のどこかにいます。探してみてね。

いち富士

夏はアイス、秋は焼き芋、冬はおでん、春はさくらもちを食べます