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今週のMornin#7


クチナシもそろそろ

7月

七夕だったり、海の日があったり、外を歩けば夏の風を感じる日も増えています。ただただ心地の悪い、湿気そのものの個体をぶつけられるような暴力的なそよ風に、ルミネかパルコかアトレに避難をして冷房のありがたみを感じる季節、最近はそういうふうに感じている。
自分の生まれたところでは、ルミネもパルコもアトレもなかった。車で30分かかるところに辛うじてジャスコがあるくらいなもんで、都会のような涼しいオアシスなんてそうそうなかった。
夏といえば、で過去の経験やら、そこから感じているものや認識しているものなんかは、田舎と都会とではかなり変わるものだと思う。

今週のMornin

案の定、朝のMornin写真ではないのですが、少しだけ思い入れのあるものなので今回はこちら。

渋谷、再開発

再開発中のビルの間、駅や商業施設の解体と建築が今も繰り返されている、再開発自体はなんのためなのかあまり把握していないが、植物の光合成みたいなものなのだろうと思っている。

最近は撮影に関する情報をフレームに入れて出せる、便利なアプリがあって、見た目をそこまで損なわずに欲しい情報が得れるのは悪くない感じがする。
https://apps.apple.com/jp/app/liit-%E5%86%99%E7%9C%9F%E5%8A%A0%E5%B7%A5-%E5%8B%95%E7%94%BB%E7%B7%A8%E9%9B%86/id1547215938


渋谷駅

あまり、渋谷には行く機会がない。
生活圏では、新宿か池袋の方が通る機会が多い。
時折渋谷に行こうと誘ってくれた友達と今では疎遠になり、特に機会もなければ行く気も起きない。
個人的には新宿よりも敷居が高くて、なんとなく自分には場違いな気がする。そこで自分は上手く馴染めない気がする。

その中、駅前の再開発が着々と進んでいるようだ。
3年前の桜丘町で、まだカメラを持っていなかった時にスマホ片手に友達と写真を撮りにいったことを思い出す。再開発前の町にはグラフィティアートが溢れている。名残惜しさもあるだろうし、ここは近いうちにスクラップになる土地だから、何をしても問題ないという感情もあるだろう。

その通りね


写真の役割

大きな主語になってしまうが、あくまで「側面の一つ」として、記録されるというのは大きな役割だと思う。
人間の記憶力には限界があり、パッと思い出せるどうでもいい情景もあれば、いくら時間をかけても思い出せないものもある。
その時に写真が何かのきっかけになる時もあるだろう。
前置きが長くなったところで、今週の写真を見返します。


珍しくローキーである

ローキーに撮ろうとしたのではなく、設定を間違えてローキーになってしまったように覚えている。
スナップとか、そういう言葉で呼ばれているように、まるで「スナップボタン」みたいに「簡単に」撮れる、撮った、写真という意味だと理解しているが、今回はそのものだと思う。時間帯的には夕方で、陽の光がそこまで強いわけではないはずなのに、今回はうまくローキーで夏の光っぽい感じが何とかはまっているようにも思う。見せたかったものは赤と白の大型クレーンだ。背景に、すでに完成しているビルがあり、その手前でまた何かを建てていること、その手前にまた別の完成したビル群があり、これも再開発の様子を伝える。

EXIF的にはややISO感度が高すぎる感じがするが、絞り優先で撮っていたため、ハイキーにするために露出補正で露出を上げていたため、カメラ的にはISO感度を上げることで対応したのだろう。レンズは今はもう持っていないパンケーキレンズだ。薄型軽量でパンケーキレンズ特有のパッキリとした描写で、あまり寄れないところが玉に瑕で手放してしまった。それと40mm画角にあまり馴染めなかったのもある。なんとなく、自分の存在が中途半端な絵になってしまう気がしている。しているだけ。

写真を撮る、理由に負けない

写真で誰かに勝とう、という話ではなく、「どうして写真なんて撮るのだろうか?」と自分で自分に、常に呪いのように反芻する言葉がある。
確かに、別に撮らなくてもいいなと思うことなんて常にある。
撮らなければいけないものなんてないはずなのに、誰が撮っても同じだろうに、それでも自分で撮りたい、撮らなければいけないみたいな思想の波に溺れそうになることもある。
今のところは、答えを出さなくてもいいということにしている。諦めているとも言えるし、課題から目を背けているとも言えるのだが、いずれ分かるといいな、もしくは分からず死んでしまってもいいかということにしている。

写真を撮り、写真をネットの海に流していると

今週のMorninを、この荒廃したTwitterの海に流した時に、見覚えがあったのかあるフォロワーからリプをもらった。都内にいるひとだったので、渋谷を通った時にでも見ていたのかもしれない。そうでなくても、何かがその人のどこかに引っかかった写真だとしたら、それはそれで写真の機能が全うされた感じがして良いなと思えた。
誰かの、たまに思い出される写真が撮れたら、それだけで少し価値あるものになれた気がして、ほんの少し安心するだろう。
そのために写真集を定期的に作りたいなと思う反面、そこまでのエネルギーがなく非常に歯痒いところである。今年も1冊は作りたいと思っている。
思っているだけである。


七夕の夜に

色々な施設に、近くの小学生から書いてもらったであろう短冊がたくさん飾られている。流行病によって、ここ3年ほどは笹すら飾られていなかったのだろうなと思い直し、世界に与えた影響は大きいなと思う。
それを見つけた時はカメラを持ち歩いていなかったために写真は撮らずに、そこで見た短冊に書いてあったこともすでに忘れてしまったが、そこに飾られることが一つ価値あることだと思う。

先週言っていたはずだが、今週は苔の写真は撮り忘れていた。
それでは、また来週。

健気な朝顔


夏はアイス、秋は焼き芋、冬はおでん、春はさくらもちを食べます