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葉っぱのきもち/写真紙芝居

去年(2019年)の11月の終わり、晩秋と初冬の狭間に、ウォーウィックというニューヨーク郊外の田舎町を訪れる機会があった。冬支度がすっかり整った湖畔の風景は美しかった。ポケットからスマホを取り出し写してみた。れっきとしたカラー写真なのだが、まるで墨絵のような、雑木林と湖の写真になった。

IMG_20191204_葉っぱの気持ち

△ニューヨーク郊外 ウォーウィック の Sterling Forest Lake

樹々を見ながら、数週間前の、燃える紅葉を想像してみる。黄から朱へ、そして金赤に至る、息をのむような暖色のグラデーションを。その炎の燃えカスすら残っていない完全燃焼した後の墨絵の雑木林は、まさに「夢の跡」。潔く、きっぱりと、気持ちよかった。

葉っぱは、今年、どんな旅をしたのだろう。どこで始まり、どこで終わるのだろう。ぼんやりと考えながら、葉っぱの旅に思いをはせた。

春。萌えいずる。葉っぱの旅の始まりを、五月晴れの空が愛でている。葉っぱは考えた。「さあ、これから、どうしよう。どう生きよう。自分のためじゃなく、だれかのために生きたいな」。柔らかく、しなやかに、葉っぱ人生の始まりだ。

NYパーク昼下がり

△マンハッタン・イーストヴィレッジの Tompkins Square Park

初夏に、新緑の葉は風と遊んだ。それを見て、俳人は言葉を編んだ。

   「目には青葉 山ほととぎす 初鰹」(山口素堂)

夏になり、じりじりと照りつける太陽の下で、葉っぱは耐える。表側は陽に焦がされつつも、裏側の蒸散作用に精をだした。濃い影を作ることに専念した。その甲斐あって、おじいちゃんも、おばあちゃんも、ビジネスマンも、ママも、そして子供たちだって、涼しい影の中が大好きになった。セミが遊びに来て、ミンミンと鳴いた。鳥が巣をかけて、幸せそうに命を繋いだ。

秋が来る。まだまだ葉っぱは忙しい。都会にも、田舎にも、それなりに、一様に、秋色の十二単を着せてあげたい。それが葉っぱの願いだった。木の枝はそれに応えて、束の間の美術館になった。紅葉。それは誰のためのギフトだろう? 鳥の為でも、動物の為でもないのでは・・・。天然色を感知できる、たぶん人間のボクたちのため、なのではあるまいか・・・。

芸術の秋 2
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△マンハッタンのオアシス Central Park で油絵を描く人々(写真上)。ニューヨーク市ブルックリン橋のたもとの Main Street Park (写真下)

晩秋に、葉っぱは、「これから旅にでる」と言い出した。えっ、今から? どこへ行くつもりなの? 

ひらひら はらはら ひらひら はらはら。

葉っぱの旅が始まった。土の上が ディスティネーションだった。それは、高い所から、低い所を目指す、数十秒の小旅行。見ていると、切ない気持ちになってくる。

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△ニューヨーク市ブルックリン橋のたもとの Main Street Park 

冬・・・。葉っぱは、ゆっくり熟成していく。土を豊かにしながら旅は終わる。葉っぱの気持ちがいっぱいこもった、ふかふかの土に支えられ、木は次の春にまた息吹き、新しい旅が始まることだろう。

蒼のセントラルパーク

△セントラルパークの Sheep Meadow

さて。

ボクたちはどうだろう。高い所を目差すばかりが人生じゃない。そんな気持ちになってくる。

さてと、ボクはどうしよう。

どんな旅を、すべきかな  どんな旅が、いいのかな  はたしてワタシに、できるかな

迷う時はいつだって、誰かのために旅してる、葉っぱのきもちに学びたい。

人にやさしく

地球にやさしく 

だからこそ・・・うつくしい・・・葉っぱのきもち・・・。



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