道とおねしょ

何度目かの繰り返しの中で、いつもと違う方向にハンドルを切ったとき、ぐるぐると回る遠心力からようやくスポンと抜け出した気持ちになる。

なんてことはないよくある公園の中を わたしはもう何往復も自転車で走っている。柔らかくカーブした砂利道を道なりに進むと出口付近の左側に細く短い分かれ道が現れる。そちらには目もくれず、まっすぐに突き進んだ先でハッと気づく。「しまった」と心の中で舌打ちするがもう遅い。そう、その左の細い道を選ばないと、先の自転車道へと続かないのである。

公園の中は緑々しい木々で覆われ、小川が流れている。風が髪を揺らし、ほおを撫でる。だんだんと副交感神経が優位になってくる。そして流れる景色をぼんやり眺めていると、突然道が塞がれて目が覚める。

この「しまった」の動作をもう何十回も繰り返している。その時はまたやってしまったと思うが、喉元過ぎればで、またその道を通るときにはぼーっとし、ハッとしてしまう。

しかしある日、ふとその左の分かれ道が遠くからこっちだよと手招いている。とっさに両手で握ったハンドルをグググとぎこちなく左に向ける。ぐいと体が傾く。
「やった、できた..」
ようやく同じ動作から抜け出したとき、ふと赤瀬川原平さんの「少年とオブジェ」の中に出てくるおねしょの話を思い出した。中学生になっても夜尿症だった彼は、夢の中で幾度も現れる蛇口のある部屋を抜け、そしてやっと最後の扉を開いて、渇いた現実世界へと戻ってくる。※

一度できると不思議なもので、今まで透明で気がつかなかった道は、はっきりとわたしの前で待ってくれている。前のように気がつけない自分には戻れないのだ。


まっすぐに歩いていると、用がなければ ある方向へ注意を向けたり左右に曲がったりはしない。ただ手足を上げ下げする運動を繰り返す。そうして行き着いた先は行き止まりだったりする。しかし行き止まりでは都合が悪い。そう思って引き返すが、また忘れる。

忘れていても心の奥の奥の方で小さく波風が立つ。小さな水たまりに波紋が広がる。沈んだ砂が少し舞い上がる。その小さな違和感が体に信号を送る。そちらに進むとまずいと何かが訴える。そうしてわたしという意識はぐるぐると回る遠心力から自分でハンドルを握るようになる。



※久しぶりに「少年とオブジェ」を読み返してみると、わたしが記憶していたような扉を開ける話がなかった。一体どこで読んだのだろうか、それとも色々な話が混ざって記憶してしまったのかもしれない。

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