そして私は、母になった。
昔から、海外にあこがれ、アメリカに留学し、カナダで働き、今はシンガポールに住み、結婚した。
自分の意志のみで、仕事をかえるように、住む国を変えてきたこと。行き当たりばったりの、私の人生だけど、それでも想像の範囲内ではあった。
子供が産まれるまでは。
帝王切開前日の病室で、大好きな小説「夢をかなえるぞう」の新作を読んでいたら、病室に入ってきた看護師さんに、勉強熱心だね、とほめられた。
彼女は、私が育児本を読んでいると思ったのだ。
赤ちゃんが産まれてくる準備は、一応できていた。新生児用の服も、ベビーカーも、哺乳瓶も、おむつやおしりふきも。
育児本なんて、バカらしい。育児本なんて、ありきたりなことしか書いてないだろう。38年もたくましく生きてきたんだ、赤ちゃんなんて、簡単だ、と思ってた私は、育児本よりも、夢を叶えるぞう、を、子供を産む前日に、読む。
だれもがやってる、母親を、私は完璧にこなせる、と思ってたから。
そして次の日、私の人生は、変わった。
海外でキャリアウーマンやってます、英語話せます、みたいな自負、女としてのプライドや、エゴや、信じていたこと。
38年のなかで、築き上げてきた「自分」という人間像が、がらがらと音を立てて、その瞬間に崩れた。
子供を産んで数日目、産院で夜ごはんがでてきたときに、赤ちゃんが泣いた。私は、泣く赤ちゃんをあやしながら、看護師さんをよびだし、「あかちゃん泣いてるんですけど、ごはんどうすればいいですか?」と聞いた。
そしたら「あとで食べてくださーい」と言われ、看護師さんは足早に去っていった。
お腹はペコペコで、目の前にはおいしそうな冷やし中華とスープ。腕の中でわけもなく赤ちゃんを抱きながら、はじめての、ごはんおあずけをしった。
帝王切開から、8日間の入院生活を終え、父親の車で実家に帰る途中。サービスステーションに寄ったときに、「パパ、あったかいコーヒー買ってきて。」と飲みたいものをお願いした。
父親は、なんかあって赤ちゃんにこぼれて火傷したら困るから、冷たい飲み物にしなさい、と言って、産後ハイもあった私はえらくショックをうけた。
もう、飲みたいと思ったものや、食べたいと思ったものでさえ、赤ちゃんに合わせていかなくちゃいけないんだ。母親になるって、そういうことなんだ、とショックをうけた。
とうに追い越したと思っていた、自分の母親も、父親も。子供を産んだその瞬間から、彼らは子供を育て上げた人生の先輩となり、頼りない私に指示をだす。
ほら、哺乳瓶はもっと立てないと空気が入っちゃうでしょ。沐浴のとき、首をおさえてあげないと、赤ちゃん怖がっちゃうでしょ、と。
その都度に、自称できる女、だった私は、おどおどし、新入社員さながらに、父と母に従う。
あれから月日が流れ、赤ちゃんをあやしながらの立ち食い、早食いにも慣れた。
ファミレスでは子供も食べれそうなものを、当たり前のようにオーダーする。眠くないのに寝かしつけで寝てしまい、朝はずいぶんと起きるのがはやくなった。
新生児のお世話に慣れたと思ったら、つぎは離乳食がはじまり、立ったーと喜んでいたらすぐに歩きまわり、そのときどきで、求められる育児能力がかわってくるなんて、子育てって一体どんな過酷な試練なのだろう、とは思うけど。
ただ、子供をとおして広がる世界を知った。子供のために湧き出る力に驚き、子供のことで一喜一憂する弱い自分に気づく。
子供がいるから、いままで想像もしなかった自分に出会えたこと。
今、4歳の娘にふりまわされながらも、あの日想像さえしなかった日々の幸福を、かみしめて。