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「世界サブカルチャー史 ~アイドル編~(全3回)」を要約してみた

全3回に渡る「世界サブカルチャー史~アイドル編~」を視聴。


概要

「偶像」という意味の「アイドル(Idol)」。
それは、人々が熱狂し、心酔する憧れの存在。

昔は、政治家や革命家などが対象だった。

それが、ラジオ・映画・レコード・テレビの登場によって、アイドルはエンタメ・ビジネスの担い手、商業的に作られる存在になっていった。

1930-40 米「アメリカン・アイドル」の登場

1930-40、大恐慌や第二次世界大戦の頃、アメリカのアイドル、フランク・シナトラ。劇場で、甘い歌声で安らぎを与えた。戦時国債を買う呼びかけにも巻き込まれた。

1950-60 米「ティーンエイジャー」の台頭

1950-60、アメリカの繁栄。大量消費社会の到来。ロックンロールのBADBOY的な存在、エルビス・プレスリー。親は眉をひそめるが、ティーンエイジャーは熱狂した。豊かを手にしても、気持ちは満たされない。そんな若者の気持ちを掴んだ。

戦後のベビーブーム世代がティーンエイジャーとなり、一大マーケットを牽引する。マリリン・モンローの登場もこの頃。1954には朝鮮戦争の在留米軍を慰問する公演も行った。

1950-60 日本「アメリカ文化」の輸入

1950年代、日本は朝鮮特需で好景気になり、アメリカの大量消費文化が押し寄せた。資本主義の欲望が、テレビという新しいメディア、広告戦略と結びつき、無名の少女を有名人に仕立て上げた。

1960年代、若者文化がアメリカから世界へ。「アイドルを探せ」で、シルヴィ・バルタン(ブルガリア)の登場。日本で爆発的に人気となり、「アイドル」という言葉が日本で初めて使われる。

また、カラーテレビが登場し、日本の人々とアイドルの距離は一気に近くなった。御三家(橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦)を、各レコード会社がテレビで売り出す。

1960後半-70 米「ベトナム戦争」の反戦運動

60年代前半は、ビーチボーイズやビートルズなど、陽気な歌詞だった。

しかし、1960年代後半に、ベトナム戦争が始まった。ベビーブーム世代の男性たちは徴兵され、戦地へと送られた。

音楽のメッセージ性も、シリアスなものになり、政治や社会のメッセンジャーとなった。若者たちの心の中でなにかが弾けようとしていた。

若者による反体制運動が、世界各地で同時多発的に発生する。(ベトナム反戦運動、パリ5月革命、安田講堂事件など)

その後、世界のアイドル文化、冬の時代を迎える。
唯一、日本だけを除いて。

1970 日本「一億総中流社会」の到来

高度成長を経て、アメリカに次ぐGDP世界第二位に躍り出た日本。
一億総中流社会となり、人々は「人並みの幸せ」を求めた。

南沙織、小柳ルミ子、天地真理。
3人の誰がタイプかを話し合い、連帯感が育まれていったのどかな時間。

特に天地真理は、「国民的アイドル」の元祖と言われている。
世代や性別を超えて、愛されれる存在になっている。

19070年代の日本における若い世代の意識の変化は、政治的な背景もある。
安保抗争が失敗に終わり、政治に対する失望感から、若者の意識は、しかたなく個人的な消費に向かった。

1970年代の若者たち。アイドル志願者は後楽園ホールを目指した。
「スター誕生!」(1971~)

選考の過程をショーアップして見せたことが画期的だった。緊張し、悩み、挑戦する姿を、そのまま見せることで、視聴者とアイドルの距離が縮まった。中森明菜(1981)も、そこから誕生した。

アイドルの中に、共感できるキャラクターを見ることで、私たちにとって、アイドルが身近で応援したくなる存在だと感じる。

ピンク・レディーのUFO(1977)から、アイドルのノベルティグッズの登場。ペッパー警部(1976)では、官公庁もその影響力を頼りにし始める。
アイドルが務める一日警察署長もこの頃から盛んになった。

1980年代には、東大のアイドルプロデュース研究会などが立ち上がる。

1980前半 日本「消費社会の加速」

日本の消費社会は、アイドル熱と共に膨れ上がり、バブルへと突き進んでいく。世界のパワーバランスは、日本がアメリカを追い抜く勢い。

そんな中、日本のアイドル文化がガラパゴス的な進化を遂げる。親衛隊・追っかけ等。アイドルの活躍のスケールが一気に拡大する。(西城秀樹、野球場でのコンサートを、ソロ歌手として日本で初めて行う。)

女性にも指示された松田聖子。聖子ちゃんカット。この頃の若者は、髪型や服装を真似して、自分のアイデンティティーを形成するようになった。

また、KADOKAWA映画がアイドルが主演する作品を毎年のように制作。巨額の宣伝費をかけて、映画・書籍・主演・主題歌をセットで売り出し、大ヒットを記録する。

好調な日本経済の波にも乗り、眩しく輝いたアイドル。当時のアイドル業界は毎年数百人がデビューする。自分を殺して、人形のようなアイドルを演じるものも多かった。売れっ子になるのは一握り。特に女性は入れ替わりが激しく、女性アイドルの賞味期限は3年と業界では囁かれていた。

1980後半 日本「等身大の自分」を見せるアイドルの登場

1985年、男女雇用機会均等法。女性の社会進出の遅れを改善する動きも始まった。そんな時代の流れに後押しされるように、アイドルも変わっていく。

おニャン子クラブ「セーラー服を脱がさないで」(1985)
→「等身大のアイドル」の先駆け的な存在。

小泉今日子「なんてったってアイドル」(1986)
→化粧っ気のない素顔も、プライベートな瞬間も、きょんきょんは人前でさらけ出した。表も裏もあってアイドル。作り物の人形ではない、生身の自分を堂々と見せる新しいアイドル像が生まれていった。

1990年にバブル崩壊して、日本のアイドルは冬の時代に突入する。

1990 世界「ソ連崩壊」世界で地殻変動が起こる

ロシアが自由経済を歩むが、激しいインフレが起こる。多くのロシア国民の鬱積した感情をぶつけるかのような反抗的なアイドルが世界を席巻する。
10代の女性デュオ、社会に反抗するレズビアンカップル「t.A.T.u」の登場。

ヨーロッパでは、「スパイス・ガールズ」が、女性の団結、社会を変えようというメッセージで話題になった。インド映画も話題になりはじめ、「ミーナ」がエンタメ業界で話題になった。

2000 日韓「インターネットの急速な普及」対象的なアイドル戦略。

インターネットの登場は、アイドルと世界の関係を変えた。

世界が市場となり、韓国は韓流アイドルとして、2004年に東方神起がデビューする。英語の歌詞で、楽曲をネット配信した。

一方、同じ頃、日本は国内をターゲットとして、市場を広げていた。孤立感を埋めてくれる存在を求めたファン。

2005年に、会いに行けるアイドル「AKB48」が登場した。秋葉原の劇場や握手会など、新しいアイドルとの関係性で、マーケットを拡大する中で、2011年、AKB48選抜総選挙を行い、前田敦子がグランプリとなる。熱狂的なファンが、アイドルを応援することに人生の意味を見出し、投票券目当てに大量のCDを購入した。

インターネットの登場により、データによって行うビジネスが主流となり、消費者の声が大事になっていった。

ももいろクローバーZでは、推しメンのイメージカラーのサイリウムを光らせた。統率の取れた応援。主君への忠誠を誓った。

2010 世界「スマホの急速な普及」アイドルはどこへ向かう?

世界のアイドルの勢力図は、スマホの急速な普及によって、熾烈な競争を極めた。SNSの情報戦を制したのは、BTS(2013)。2022年、バイデン大統領は、BTSをホワイトハウスに招き、アジア人差別解消へのメッセージを打ち出した。

デジタル時代の過酷な競争の中で、消費されるアイドル。偶像への幻想はグローバルに広がっていく。今後、どうなっていくかが楽しみだ。

所感

ここ100年で、スター性のある存在(アイドル)を「商業的に作り出す」時代に変わったのかと思うと感慨深かった。

その100年の中でも、色々な世相を反映しているのも面白い。

国のプロパガンダに利用されることもあれば、若者の鬱屈した気持ちを代弁することもある。資本主義の欲望に飲まれて「儲かればアイドルは消費されていい」みたいな時代もある。社会的なメッセージを発信する象徴的な存在となることもある。

アイドルとファンの関係性も、メディアが一方的に仕掛ける時代から、アイドル自身が素の自分で振る舞ったり、ファンの声を聞いて形を変えたりする。現在では、双方向のコミュニケーションができる時代となっている。

私世代は、ギリギリ「t.A.T.u」を知っていて、「東方神起」や「AKB48」がどストライクの世代だが、それまでの時代の変遷を、体系的な流れで知ることができた。(歴史の流れと密接に関連させながら)

とても勉強になりました。

ではまた!

しゅんたろう






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