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日本の宗教の歴史をざっくり振り返る その2

前回は縄文時代の自然崇拝から、飛鳥時代の仏教伝来までの流れを見てきました。

今回はその続きです。

(奈良時代)仏教を国の研究学問にする

710年、奈良の平城京に遷都します。

古事記の編纂

712年には古事記が編纂されます。
現存する日本最古の書物であり、神話を含む歴史書です。

古事記の物語には「八百万の神信仰」が濃厚に現れています。当時、人々のメジャーな信仰でしたから。

国生み神話などを通じて「世界を作ったのは神様である。天皇は神様の子孫である。ゆえに天皇の元にみんな集おう。」と、中央集権キャンペーンを打ったんですね。(正当性を主張した)

奈良の大仏様

奈良時代といえば、なんといっても東大寺の大仏ですよね。

750年頃、鎮護国家のために建立されました。
高さ約15m(+蓮華の高さ3m)、幅約12m、手の大きさ約2.5m。

聖武天皇は、災害や政変、反乱などが相次ぐ当時の社会不安を、仏法の力によって解消しようとしたんですね。9年の歳月をかけ、当時の人口の半分が建設に関わったというのですから、超大規模な公共事業です。いかに国が仏教に力を入れていたのかが伺えます。

奈良仏教=南都六宗、学問としての仏教

日本の仏教は大きく3種類しかありません。
「奈良仏教(南都六宗)」「平安仏教(平安二宗)」「鎌倉仏教」です。

そして、奈良仏教は、国の中央官僚であるエリートたちが、鎮護国家のために、日々学問の研究と祈祷を行うための仏教でした。中国から仕入れた仏教書物を読み解き、一生懸命解読してたんですね。

平城京の近くに、南都六宗の本山となるお寺が配置されていることからもその様子が伺えます。

中国との外交を行うにあたり、日本の権威を示すためにも、先進的な文化を導入したかったのだと思います。

奈良仏教の衰退

桓武天皇は、平城京→長岡京→平安京と、2度の遷都を行っています。
なぜか。

その背景には、奈良仏教の腐敗があります。
仏教界の偉い人が、政治を牛耳ろうとする事件が起こったんですね。

奈良仏教とは距離を取りたい。でも、鎮護国家のための仏教は欲しい。そんな中で現れたのが最澄と空海です。そこから、平安二宗に繋がります。

(平安時代)最澄と空海、宗教の革命家

前述の事情から、桓武天皇が国として後押ししたのが平安二宗です。

平安二宗とは

平安二宗とは、最澄の天台宗と、空海の真言宗のことを指します。

天台宗の総本山は、滋賀県にある比叡山延暦寺。
真言宗の総本山は、和歌山県の高野山にある金剛峯寺と、京都府にある東寺(教王護国寺)です。どれも有名なお寺ですね。

天台宗は
・顕教(けんぎょう、言葉にできる教え、座学)
・密教(みっきょう、言葉にできない体験知、修行)
の両方を大切にするのが特徴です。

一方で、真言宗は「密教」を重視するのが特徴です。

平安二宗は何が革新的だったのか

最澄も空海も、804年に遣唐使として、中国に仏教を学びに海外留学をしています。

(元々仏教は、紀元前5世紀頃、インド発祥の宗教(始祖はお釈迦様)です。しかし、それが中国を渡って、日本に渡ってきているので、当時、仏教の経典は中国の書物を参考にしていました。)

奈良仏教の腐敗も目の当たりにしていた2人は、中国の仏教を学び、疑問に思います。「いったい、誰のための仏教なのだろう?」と。

仏教の基本思想は、生老病死は苦しみであり、苦しみから解き放たれた悟り(解脱、仏)の状態を目指します。

しかし、奈良仏教では、戒名をもらい仏弟子になれるのは一部のエリートだけでした。そのため、仏教界の権威から認められた仏教者しか、苦しみから解き放れることは出来なかったのです。

そんな奈良仏教を批判して、本来の仏教の教えは「誰でも悟れることだ!」と唱えたのが、最澄と空海なのです。

平安二宗をもっと詳しく

奈良仏教が認めてくれないなら、仏教者に認可が出せるお寺を自分たちで建ててやる!そうして、作られたのが比叡山延暦寺です。

そうして、国の研究機関だった仏教が、悟りたい人なら誰でも悟れる仏教へと進化していきます。

ちなみに、平安二宗の開祖は、それぞれ没後にその功績を讃えられて、天皇から称号をもらいます。最澄が伝教大師(でんぎょうだいし)、空海は弘法大師(こうぼうだいし)。

エリート最澄と天才空海は、口伝の教えを書物(言葉)に残すかどうかで、考えが異なり、袂を分かったと言われています。そのあたりを詳しく知りたい方には、「阿吽」というマンガがオススメです。

(余談)平家物語で描かれる諸行無常の世界観

「祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。 娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。 おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。 猛き者もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。」

有名な平家物語の冒頭の文章です。

平家物語とは、平安時代から鎌倉時代に変わる時代が舞台です。平家の栄華と没落、武士階級の台頭などを描いたもの。

実は、2022年にアニメ化されてて、個人的には結構好きだった。当時の仏教感とか分かると、もっと面白いと思います。

ちなみに、「諸行無常」とは、仏教の根本理念、三法印(さんぼういん)の1つで、「すべての現象(形成されたもの)は、無常(不変ならざるもの)である」という意味です。(世の中は変化することこそ自然の流れよね)

「沙羅双樹」は仏教の三大聖樹の1つで、お釈迦様が入滅(死去)したときの樹です。(誕生→悟り→入滅を象徴する木がそれぞれ存在する。)

神道と仏教の融合

平安二宗の頃、「神道と仏教のダブルスタンダードどうする問題」について整理されました。それが、本地垂述説(ほんじすいじゃくせつ)という考え方です。

「仏は、人々を救うために様々な姿に変わって現れる。だから、八百万の神とは、仏が姿かたちを変えて現れた化身のことだ。」という考え方です。

例えば、天照大神(あまてらすおおみかみ)は、仏教では大日如来(だいにちにょらい)のことです。他にも、「○○菩薩」とか「○○権現」みたいなものは神道(八百万の神信仰)と仏教が融合したことで、登場した神様も多くいます。

これが、江戸から明治にかけて、廃仏毀釈運動が起こり、国家神道に傾いていく訳です。飛鳥時代から1000年も根付いてきた仏教と決別し、神社と寺院を分離、国教として神道を選んだのですから、歴史とはどうなるか分からないものです。

そして、鎌倉仏教へ

その後、比叡山で仏教を学んだ人たちが、比叡山を降りて、鎌倉仏教の開祖となっていきます。

そのあたりは、また今度。

ではまた!

しゅんたろう



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