知識の量が多いからといって、良い人だとは限らない。

「知識の上に、あぐらをかいてはダメだなー」とか
「知識をどれだけ持っていても、結局その人が、どういうマインドセットで、何してるかだなー」とか
そういうことを思った。という話です。

「知識」があれば、それでいい?

一昔前の自分は、「知識」というものに執着していたように思う。

でも、知識があっても、行動に起こさず、批評家・コメンテーターとして、批判することで自分を守ってる人もいる。

はたまた、知識があって、行動に起こしていても、「自分さえ良ければ」という考えで、詐欺まがいの商売をして、道徳や志が欠如してるケースもある。

「知識」は変化する

ある時代に一生懸命勉強しても、そこで蓄積した知識が5年も経てば、全く通用しなくなったりする。

常に「知識」をアップデートしていく必要がある。それを欠かしていては、5年前は業界の権威でも、今は初心者とほぼ変わらない可能性だってある。

「知識」は枝葉

「知識」というのは、枝葉にすぎないのだ。

知識を学び続ける中で、物事の本質を捉える力を身につけて、道徳を磨き、行動に役立てることが大切なのだ。

その知識が、その場しのぎで一時的にこしらえた知識であれば、幹や根にまで影響を与えない。そんな知識の賞味期限は、非常に短い。結局、なにも残らない。

大切なのは、その知識としっかり向き合うこと。体系的に、縦横無尽に、知識のネットワークを繋げて、味わうこと。そして、自分を変容させることにある。

「知識」よりも大切なこと

私は、「知識」が枝葉であれば、知識から抽出できる「本質」が幹であり、「道徳」「志」が根であるように思う。

それらが揃って、初めて言葉や行動に魂が宿る。

自分の在り方や考えてることと、実際に発している言葉や行動に不一致が生じていては、それが相手に伝わってしまう。だから、常に真摯な態度で人と関わることが大切なのだ。

だから、知識をほどほど身につけたら、「学び続ける」ということを大切にする。

そして、自分の在り方を磨き・整える。

また、「自分が口だけの人になっていないか」「自ら行動で示せているか」を振り返る。

そうやって、日々を大切に過ごしていきたいな。

ではまた!

しゅんたろう

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