競争社会は「悪」なのか

ポケモンカード勝負で嫁に負けて悔しい、しゅんたろうです。

今日は、勝負の世界について、善悪を考えてみたいと思います。

悪者にされがちな競争の世界

競争とか、勝ち負けの世界って、つい悪者にされがちなのですが、社会が成り立つのに必要な仕組みだと思っています。

だって、競争の市場原理をなくすと、みんながしらけて頑張らなくなっちゃう。ソ連崩壊がいい例です。

でも、一方で過激な競争社会では、落ちこぼれが発生するし、格差が生まれる。

しかも、際限ないお金の欲望に呑まれた結果、「勝ちさえすれば、なんでもいい。」みたいな論理までまかり通ってしまう。

じゃあ、どうすればいいんだろう?

世の中は二極のグラデーション

まず大事なのは、「0か100かで考えない」ということ。

たとえば、渋沢栄一は、民間人として経済による近代的な国づくりを目指した人ですが、生涯に約500もの企業に関わり、約600の社会公共事業・教育機関の支援や民間外交に尽力しています。

競争も福祉も、両方あってこその社会なのです。なので、「競争社会が悪だ」という文脈は、「競争に偏り過ぎている状態が良くない」と言い換えることができます。競争だって、必要な要素の一つではあるのです。

スポーツマンシップに則った競争

もう一つ、「モノサシは1つではない」ということも大切です。

「お金を沢山持ってる人が偉い」という論理だと、「どんな方法でも、お金を稼げればいい」という人たちが現れます。

ただ、「ズルして競争に勝つ」のは、道徳に欠けた行為です。1つのモノサシに執着してしまっているために、なにか人として大切なものを犠牲にしている気がします。

そして、「自分さえ良ければ」という考え方は、周囲の反感を買い、周り回って自分の首を絞めるため、長続きする幸せは訪れないのです。

道徳の通じる範囲内で、アイデアや工夫を凝らして、誰かに喜んでもらえる商売をする。ビジネスの中で、切磋琢磨して、共存共栄・三方良しの世界を作る。

そんな競争の世界が、いい世界だと思います。

まとめ

「競争=悪」ではない。

ただ、福祉がなく、著しく競争に傾いた社会は悪だと思う。

また、道徳なき、競争の社会は悪だとも思う。

資本主義の中で、自由と競争が叫ばれてきた世の中。

お金という際限のない欲望に呑まれて、本当の幸せとはなにかを見失ってるのだとしたら…

お金以外に、自分なりの幸せのモノサシを、探すことが大切なのかもしれないね。

ではまた!

しゅんたろう

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