大人世界と子ども世界のグラデーション

全ての事柄は二元論ではなく、二極のグラデーションだと思ってる。

そこには善悪も上下もなくて、それらはすべて人間の価値観に基づく捉え方。

そんな考えを持っている私が「共主体」という言葉に出逢った。

保育業界から発信された言葉なんだけど、保育には「人間の生きる」に関する全てが詰まっていると思っている。

共主体とは

「共主体」とは、お互いの主体性をバランスよく発揮して、より良い着地点を模索すること。

先生「みんなで〇〇しようと思います。いいですか?」
子ども「はーい」

というよくある光景。

でも、「見せかけの一致のワナ」があって、YESの返事をした子どもたちの心の中では、「必ずしも意見が一致しているとは限らない」ということだ。

これを「社長と従業員」とか友人関係、家族関係で読み替えると、すへての人間関係に当てはまると思う。

そこで、保育の場合は、大人と子どもを、上下関係ではなく、対等な関係で捉えて、お互いの主張を同じテーブルの上に並べて、対話を重ねて折り合いをつけようというもの。

もちろん、大人の主張は、子どもにとっての最善の利益を考えたものであるべきだし、子どもの主張をうまく引き出したり、対話の場を上手にファシリテーションする必要はあると思う。

大人世界と子ども世界

異なる主張同士がぶつかり合うことは、決して悪いことではない。

異文化や異なる価値観を理解するためには、相手の立場や気持ちを慮る。というのが大事だ。

子どもからしたら、大人の都合なんぞ知ったこっちゃない。だからといって、「子どもの主張が誤りで、大人の主張が正しい」ということでは断じてない。

どんな宗教でも、どんな国籍でも、どんな年齢でも、相手の常識を理解し、こちらの考えを相手に伝えて、お互いどこまで譲り合えるかを模索する。

大人と子どもが対等に会話できる世の中がもっと広がればいいなと切に願う。

自分の中の大人世界と子ども世界のブレンド率

そこから派生して自分が考えたのは、1人の人間の中にも、大人世界と子ども世界が同居してるなってこと。

しかも、そのブレンド率は、人によって千差万別であるということ。

一般的に、幼少期「子ども世界:大人世界=10:0」だったのが、学生時代に「5:5」になって、大人になると「0:10」になる気がする。

でも、大人になっても「子ども心を持つ」って、本当に大切だなと思う。しかも、自分の周りを見渡すと、いい大人が子どもっぽく無邪気に人生を遊んでいる人ほど、しっかりと自分を生きているし、その人自身が輝いてるし、そういう人のところに人は集まってくる。

ということは、大人になっても「5:5」か、下手すると子ども世界多めの「7:3」くらいのブレンド率で、自分の在り方を磨いていった方が、人生楽しく幸せに過ごせるのでは?と考えたりした。

この考えをエビデンスつけて証明する術を私は持ち合わせていないけれど、数字で計れずに、目に見えないところにこそ、本質が隠れてるような気がしてるので、しゅんたろう仮説として心に留めておこうと思う。

ではまた!

しゅんたろう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?