主体的に動くのは「損」なのか

久しぶりに、ちょっと思考実験。

Q. 主体的に動くのは「損」なのか?

これを読んでる人の中には、「いや、得でしょ」と感じる人もいると思う。

だが、主体的に動ける人が、世の中にそう多くないのだとしたら、

意識できているかどうかは別にしても、主体的に動くことが「損」だと感じている人が多いのではないかと思った。

「得」だと感じるなら、その理由を言語化できるだろうか?

…というのが、この問いの趣旨だ。

「主体的に動く」とは?

そもそも「主体的に動く」って、どういう状態だろう?

「誰に言われるでもなく、自らの意志で、率先して、それをやる」ということだ。

仕事でも、プライベートでも、誰かに言われて、やることは多い。上司に言われて、顧客に言われて、家族に言われて、などなど…。

誰にも言われずに動くときは、どんなとき?

それは、自らに不利益を被りそうになったときだろう。

お風呂に入らないと臭いと言われる。歯を磨かないと虫歯になる。毎週ゴミを出さないと、ゴミ屋敷になる。

他には、その活動を楽しいと感じるとき、自らの意志で主体的に動く。

テレビやYouTubeは、笑いや知識を提供してくれる。ゲームや映画は、驚きや達成感を与えてくれる。友達との会話は、つながりや安心感を与えてくれる。

仕事で主体的に動ける人とは?

自分が不利益を被らず、自分が楽しいと思える活動には、主体的に動けることが分かった。

でも、仕事で自ら率先して主体的に動ける人っているよね。その人のモチベーションって、どうなってるんだろう?損してるとは、感じないのかな?

いくつかのタイプに分かれると思う。

①実は主体的ではないパターン

一見、主体的に見えるけど、実は空気を読んで、仕方なく請け負ってるパターン。

私も繊細さんなので、よく分かる。「これ以上、だれがやるか決まらなかったら、その気まずい空気に耐えられないなー。仕方ない…、私がやって、この場を丸く収めよう。」みたいなパターン。

他にも、自分の与えられた役割(部署や役職など)だから、「自分がやるべき仕事なのだ」と言い聞かせてるパターンもある。

これは行き過ぎると「自己犠牲マインド」になってしまうので、注意が必要。それをやることが、本当に自分の本心か、深く自分に問い掛けてあげるといい。

②周囲への得点稼ぎに、主体的に動くパターン

自らの意志で、率先して行動する中でも、ギブ&テイクを意識してるパターンもある。

たとえば、これをやることが「自分の仕事の評価につながる。」とか、「ここで恩を売っておけば、別のときに助けてもらえる。」など。

「損して得とれ」みたいなギブ&テイク思考。これも全否定はしない。そうやって繋がるご縁も実際にある。

ただ、これも執着しすぎると、「⚪︎⚪︎してもらえないなら、△△しない。」とか「せっかく⚪︎⚪︎してあげたのに!」みたいな思考に陥るので、注意が必要。

③自らの目的に合致していると感じて、主体的に動くパターン

多少仕事で大変なことがあっても、それがチームで取り組むべきことでも、当事者意識を発揮して、自ら行動を起こせるパターン。

多分そういう人は、チームの目標を「自分ゴト」に出来てる。チームで成し遂げて実現したい未来があるなら、それを自分自身も本気で叶えたいと思ってる。

仕事だろうが、プライベートだろうが、自らの目的や辿り着きたい未来を明確にすることが、日々を惰性で過ごすのではなく、イキイキと主体的に生きるコツなのだと思う。

なんのために生きるのか。自分はこの人生でどんなことを成し遂げたいのか。実現したい未来の景色は、どんなものか。そこに命をかけたいと思えるのか。

私の周りでウェルビーイングに生きてる人たちは、自分なりの使命(ミッション)を持ってる人が多いように思う。

私自身もそうありたいと思っています。

ではまた!

しゅんたろう

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