見出し画像

【テレビ要約】NHKこころの時代 SNSの時代に空海に導かれ~精神科医 名越康文~

本日は、こちらの番組を紹介します。

精神科医として早くに思春期カウンセリングを開設した名越康文さん。
Xでの発信も行っていて、最近だと、こちらの本も出されています。

ちなみに、「宗教心理学」というテーマで、2013年から公開講座をやってるんだって。めっちゃ興味ある✨️

これだけ人間関係が不安定になって、流動的になった上で、しかも色んな意味でチェックされて指摘される。それをある程度問題なく乗り切ってる人って、自分の神経がすり減ってるんじゃないかと。ホントにこの何年間か、ずっと思っている。

相愛大学の客員教授として、授業する中のひとコマ

名越さんの半生

小学4年生の頃、「死ぬ運命にある人間が生まれてくるのはなぜか」という問いを持ったが、眠れぬ日々が続き、一度自分の中にある"パンドラの箱"
にしまった。

両親の強い希望で、医学部の道へ進み、なんとか大学を合格。その後、パンドラの箱が再び開いてしまう。

祖父に紹介してもらった本で仏教に出会い、留年した3年生で、アドラー心理学のオープンカウンセリングと出会い、精神科の道を進む。

研修医を終えて、精神科の専門病院で勤務。緊急救急病棟の設立にも参画して、忙しい日々を送ります。

はたと「このままでは、自分のやりたかった"思春期の精神医療"をできずに、一生を終えてしまう」と思い、38歳でクリニックを開業。一段と多忙な日々となる。

身体的・精神的な疲労がピークに達して、満身創痍だった名越さんは、真言宗のお寺を訪ね、そこで空海の考えと出会い、仏教の勉強を始めます。

勉強になった点

仏教には、学(理論)と行(実践)がある。
どちらか片方ではいけない。両輪を回しながら、進んでいくんだよーと。

その中でも、「大日経」の登場する「三句の法門」の意訳が、
とてもわかりやすかった。

大日経「三句の法門」の意訳

人生を本当に成功したい、充実させたい人は、これをやりなさい。

①菩提心

菩薩になろう。人間の心(人格)は、死ぬまで無限に成長できるということに気付きましょう。

②大悲(だいひ)の心

どんなに幸せそうに生きている人も、心のなかには地獄を2つや3つ抱えている。その人の心の中にある、深い苦しみ・悲しみに心を寄せましょう。

出会った人みんなが、(表層の様子ではなく、その内側では、)苦しみ・悲しみに喘いでいることに共感しましょう。

③方便こそ究竟(くきょう)なり

自分ができる範囲で、苦しみ悲しみを抱えた隣人に、
ちょっとでも慰められるような気持ちにさせてあげましょう。
(癒やそう。ちょっとラクにしよう。救ってあげよう。)

そういうことに心を砕いて、行動しましょう。

人生は修行である。

この世の中で、自分がどんどん成長していくことが目的。
それは、菩薩や悟りに近づくことを意味している。

具体的には、自分の抱える問題、苦しみ・悲しみを前にして、
心のなかにある痛みを見つめること。
自分の心の動きを観察し続けること。

それこそが「成長のプロセス」であり、「修行」だと考えている。

「怒り」に対する武器は「慈悲」

"とげとげしい言葉"の正体は"さびしさ"である。

攻撃的な言葉、怒りに満ちた感情。その奥には、その人自身も気付いていない(もしくは忘れてしまっている)満たされていない想いがある。

理解されなかった、抱かれなかった、迎え入れられなかった、寂しさ・孤独がある。

だから、「怒り」には「慈しみ・優しさ」なんだ。
(慈悲 = 友愛の念「慈」、哀憐の情「悲」)

それは、なんでも優しくして甘やかすということではない。
タイミングや出会いがある。

現代を生きる人の「こころ」の状態は、マックスに傷付いている。

40年前は傷付かなくて良かったシチュエーションで、
この20年、SNSによって、みんな心に(大なり小なり)傷を負っている。

活字が権威となって、本人の心に深く刺さる。
検閲もなく、「ここまでで抑えよう」という気持ちもない言葉が何億も飛び交う。

そう考えると、私達の心は、ひどく病んでいる。
精神病ということではなく、こころの不調。

自分の生活が営めない。
守ってあげたい人の生活を守ってあげられない。など。

祈る・拝むは、世界最古で、最も強力な心理療法

たとえば、ご真言を心を込めて、優しい気持ちで唱える。
唱えれば唱えるほど、自分の心の世界が広がっていく。

祈ることは、人々を豊かにする、人々を救う心理療法。

さいごに

名越さんは、「生きた仏教」を平易な言葉で、わかりやすく(そして、力強く、あるいは、寄り添って)教えてくれる方だなぁ。という印象を受けました。

山あり谷ありの人生の中で、人は一生をかけて学び続けるわけですが、
その魂を磨く、成長のプロセスが「修行」であり、
無限の成長の先に、「菩提心(悟りへの道)」があるんだなぁと。

あと、"大悲の心を持って、人と接する"という考え方を知り、「慈悲」というコトバの解像度が、より一層高まったような気がしました。

「怒り」の正体が、「寂しさ(=不足感)」であるならば、
「怒り」の感情に、自分も取り憑かれて、返答してはいけない。

「慈悲の心」を持って接することで、その人の心が少しでも満たされれば、
それは優しい世界に一歩近付けるんだなと感じました。

やっぱり仏教は深いね!

ではまた!

しゅんたろう



いいなと思ったら応援しよう!