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陣中に生きるー3

宿願

昭和50年6月1日 ー 第二の誕生日に

動員下令—―それは我々にとっては、あたかも<死の宣告>であり、その魔剣をつきつけられた思いだった。
しかし、強大な支配力はどうにもならず、それに、骨髄にしみるまでの軍国主義教育もうけていた。

そこで、あきらめに埋没するより仕方なかった。
とは言うものの、あきらめ切れるものではない。
わたしは何とはなしに、しかも止むにやまれず、その日からペンを友とし、頼りにもした。

文には筆者の魂がやどる—―そのように思われた。
文によっては生きる—―これよりほかに生きる道はない。
おもむくところ、間がな隙がな、書き続けるようになった。
いわば生への強い執着が、そのようにさしたのである。
やがてそれは、いつどこででもできる、唯一のなぐさめともなった。


平凡な私は山砲分隊長として出征し、後半は乗馬伝令あるいは曹長となり、負傷による野戦病院生活等々幾多の辛酸を舐めること約千日。
その時その日のことを書き綴ること六百余日に及んだ。
したがってこの戦記は、弾丸飛下に生まれ育った自然児である。


わたしは、奇しくも生きて帰れた。
戦記もどうにか連れて帰れた。
すすめられて一部出版しかけたこともあったが、やがて戦況不利となり、敗戦となって状況が一変した。
そして、約三千枚の陣中記録が、埋木さながら、眠り続けることになった。


歴史は、人類の貴重な遺産である。
われわれはそれを知り、それに教えられ、進路をたしかめつつ前進すべきである。
したがって歴史の内容は、よきにつけ悪しきにつけ、教訓にならぬものはない。
戦争はいまわしい。
絶滅を決意すべきだ。
だが、戦記は戦争そのものではない。
戦争の描写であり、歴史のひとこまである。

その中には、平時にまさる人情の花もあり、詩も美もある。
そして、ひとたびこれを失いば、再生産は不可能なものである。


第二次世界大戦は、全世界に、はかり知れないマイナスをもたらした。
自業自得とはいえ、わが国家国民のうけたマイナスの深刻さは、言語に絶するものがあった。

ところで、<マイナスあるところに必ずプラスあり>である。


そこで最も重要なことは、われわれ国民の自覚と知恵とによって、そのプラスを無限大にすることであろう。
いましむべきは<のど元すぐるば熱さを忘れる>であり、<治にいて乱を忘れる>ことこそ、危険千万である。


わたしは、文筆の玄人ではない。
したがって、天の美禄のような文など、とても書けない。
ただ、<真水のような文を・・・・・>と、務めたにすぎない。
しかし、<事実は小説より奇なり>とか。
千変万化の日々が、その短を補って余りあるものと、じつはひそかに自負している。


この戦記は、生まれておよそ四十年、わたしは古希。
戦争体験者も少なくなった。
そこでまたしても、この戦記に思いをいたす。
これを公的遺産とすべきだ。
では出版の目途は?
今のところ五里霧中だ。
だからと言って諦めきれない。
執念はもえさかるばかりだ。


この時さいわい、身内からの激励と支援があった。
前途に光明をえて欣喜雀躍、老体にむちうち、また意欲をもやすことになる。

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