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赤ちゃんの頃の記憶―23 <耳>
こんにちは、心郎太です。
今回は<耳>についてです。
胎内で聞こえていた音は、言われてみれば巻貝に耳を当てた時に聞える音にも似ていると思う今日この頃です。
だんだん書くことが無くなってきたのですが、どうしましょう。
面白そうなところはもう書いたので、これからは絞りカスみたいな記事になるかもしれません。
それでも気がすむまで書きますか!
『僕の胎内記憶』は、胎内から生まれてくるまでを書き綴った集大成です。
ぜひこちらから読んでみてください!
耳の記憶①
うっすら残っている胎内記憶であろう耳の記憶を話してみようと思う。
この世界は雑音があふれている。
それは認識している音や声のことではない。
遠くから聞こえてくる車や電車の音、人々の話声、風の音、動物の鳴き声、それらはごちゃまぜになって僕らの耳に入ってきている。
それらは無秩序に、無意識に聞こえている。
だから普段は雑音とも、音とも認識できていない。
僕らは認識できる音がない世界を、無音だと感じているがそれは間違いだ。
胎内記憶では、音は無かった。
無音だった。
でもそんなはずはないと思い、一生懸命思い出そうとした。
それでようやくたどり着いた記憶―――。
胎内記憶では音は無音だった。
その無音を言葉にするとしたら
全ての音ががこもっていた。
全ての音が混ざって聞こえていた。
方向とか距離などはわからず、雑音のように聞こえていただけだった。
だから音を意識することは特になかったのだろう。
胎内での音は、空気の世界で聞くどの音とも違っていた。
この世界に来た時に、同じ世界だと認識できなかった理由の一つだ。
水の中で聞く音とも違う。
世に知られる胎内の音と言われているものとも違う。
一番近いのは耳の穴に指を入れて、周りの音が聞こえないようにしっかりふさいだ状態の音と似ている。
無音ともいえるが、雑音ともいえる。
誰かが話そうが、大きな音がなろうが、聞こえない。
雑音の範囲から出ない。
これがおなかの中の音と一番近い感じがする。
生まれてすぐの記憶では、音がどの方向から聞こえてきているのかが分かった。
その音がどのくらいの距離から聞こえてきているのかがわかった。
耳はこのためにあるのだと思った。
<この体は、この世界で生き抜くために用意されてきたもので、以前の世界で強くなって、この世界に来ることは決まっていたのかもしれない>
そう思った。
生まれてすぐの耳の記憶はこんな感じだ。
それまではこの耳の力を使えていなかった。
つまり、胎内では耳はうまく機能していなかったのである。
間違っているかもしれないが、大人になった自分の知識から推察してみる。
胎内にいるときは、耳の中まで羊水が入り込んでいるのではないだろうか?
一方、プールなど水の中に入ったとしても、耳にはいくらか空気が残っているのではないだろうか。
耳の中が羊水で満たされて空気が無い状態と、耳の奥まで指を突っ込んで、空気がなくなるほどにしっかりふさいだ状態が近いのではないだろうか。
さらに、羊水やお腹の皮膚を通過してから聞こえるのも、音が聞こえにくかった原因ではないだろうか。
つづく
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