「人のために」とは?[B]
僕には尊敬する友人がいる。
と言ってしまうと少し大それた
話になってしまうが、、、。
ことばを変えよう。
僕の友人はひとりひとり、
素敵な魅力をもっている。
「誰かのために」ってなんだろう?
と考えた。
その時に思い浮かんだ、
ひとりの友人がいる。
自分が食べているお菓子を、
「これめっちゃうまいよ、食ってみ?」
と言って、いつも分けてくれる友人。
最初はそいつのそういうところを、
なにも気にせず、
ただただありがたくお菓子をもらっていた。
ある日、考えた。
なんでこいつは毎回毎回、
「しつこい」くらいにも、
お菓子を分けてくれるんだろう、、、?
その時に初めて彼の1つの魅力に気づいた。
彼は「誰かのために何かをする事」を、
能動的にとらえているのではないかと。
「誰かに何かをする」ということは、
良くも悪くも相手に対して影響を与える。
例えば、
「お菓子をあげる」という行為ひとつにしても、
僕のように、単純に嬉しい!と感じる人もいれば、
自分も何か返さなくては、、、と、
負担に感じてしまう人もいるだろう。
どちらかというと僕は、
自分の行為に対して相手がどうとらえるのか
という事を考えすぎてしまうタイプだった。
それは、根本的に受動的な人間だから。
誰かに対して何かをしたい、
それが例え好意的なものだったとしても、
相手にとっては余計なことかもしれない、、、。
ひとつの行動に至るまでに、
いろんな事を考えすぎてしまう。
だから突発的な発言を求められると、
その場で考え込んでしまう。
当時からその対象的な一面にお互い
気づいていることもあって、
そのような会話をしたことがある。
彼に聞いた。
「なんでそんなに直感的に(バカみたいに笑)
行動に移せるのか??」と。
彼はこのように答えた。
「わからんけど嬉しいかなと思って!」
、、、なんだこいつ。
素敵かよ、、、。
彼がいうには、能動的な一面と受動的な一面、
それぞれの違いは脳の構造が違うことが
影響しているらしく、、、
なんちゃらかんちゃら言っていた、、、。
とはいえ、
彼のバカみたいに能動的な性格には、
学生時代何度も救われた。
授業以外にも様々なプロジェクトに
彼と中心になって取り組んできたこともある。
だが、その始めの一歩は間違いなく、
彼の力強い行動力に引っ張られたこと。
彼の存在は当時の僕にとって、
対象的であるからこそ、尊敬できる。
そんな存在であった。
大学の恩師は言う。
デザインには受動的な面と、
能動的な面が必要だ。
デザインをする上で与えられる
様々な条件を受け入れて読み解こうとする、
受動的な力。
現状を自らが変えようと、
新しいカタチを生み出そうとする、
能動的な力。
そういった意味では、
僕とは対象的な一面を持つ
彼のモノゴトのとらえ方からは
多くの事を学んでいた。
そして今でも心のどこかで、
僕にはない、
彼のような生き方に憧れている。
僕には尊敬する友人がいる。
と言ってしまうと少し大それた
話になってしまうが、、、。
ことばを変えよう。
僕の友人はひとりひとり、
素敵な魅力をもっている、、、。
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