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『第10回:今回は地噺についてあれこれ考えましょう、の巻(寸志滑稽噺百席其の八)』

杉江松恋(以下、杉江) さて、其の八です。この回は「権助魚」「お血脈」「崇徳院」と、けっこうバラエティに富んでますが、どれがネタおろしなんですっけ。
立川寸志(以下、寸志) 「お血脈」がネタおろしです。

■「権助魚」

【噺のあらすじ】
毎晩どこかに出かけていく旦那を怪しんだ奥様が、飯炊きの権助に後をつけろと命じる。妾宅に急ぐ旦那は権助を買収して、大川に網打ち遊びをしに行ったことにしろと告げるが。

杉江 今さらなんですけど、いつも口にするたびに「ごんすけ・ざかな」か「ごんすけ・うお」かで一瞬迷っちゃうんですよね。で、これは。
寸志 これはうちの師匠(立川談四楼)が若いころから得意にしているネタです。権助は割と好きなキャラクターなんです、という話はしましたっけ。
杉江 「権助提灯」のときにしたかもしれませんね。
寸志 そうでしたか。権助が好きというのは田舎言葉が楽しいからです。前座時代に田舎言葉の出る「三人旅」をやったんです。それは(桂)文字助師匠から教わったんですけど、師匠の前でやったら「(田舎言葉)いいな」って短くほめてくださったんですよね。師匠は群馬県の邑楽町出身です。落語の田舎言葉は上州弁を元にしていると言われますから、落語として聞き心地がいいんです。本当にいいなあと思うのは(土橋亭)里う馬師匠ですね。
杉江 ああ。わかる気がする。
寸志 里う馬師匠の権助っていうのは、なんつったらいいのかな、手触りがすごいんですよ。
杉江 リアルすぎる権助。
寸志 里う馬師匠は埼玉県さいたま市のお生まれ。うちの師匠と言葉が近いと言えば近い。やっぱり落語の中の田舎言葉は北関東系なのかなと。
杉江 上州は国定忠治を輩出した土地だし、特に侠客ものでは重要な場所なんですけどね。
寸志 権助は音の高低でできるんです。田舎言葉をリアルに再現する必要はなくて、「アラ。オメーサマー。ダータララータラタータータ。ナーンデデテッタータータータラター?」でいいんですよ。フレーズじゃない。言葉ではなくて音なので。音の高さで「ダータラータッタッター」でいいんです。何言っててもいいから、私としては楽しいんですよ。          杉江 なるほど。                          寸志 このネタはおかみさんが難しい。「長屋のおかみさん」じゃなくて「商家の奥さん」ですからね。杉江 ちょっと歳はいってるでしょうしね。寸志 そうそう。それでもう一つ気づいたことがあるんですけど、焼きもちを焼くというのも難しいんです。微妙な感情じゃないですか。うちの師匠が演じるおかみさんは、割とストレートに言うんですよね。「いいのよ。私は別にかまわないの。男の甲斐性だからかまわないんだけど、お出かけになってるときに『旦那がいらっしゃらない? どこに行かれたんです?』『わかりません』、そういう風になるのはおかしいでしょ。ね、権助。おかしいでしょ?」と。そこは僕がやると、ちょっと生々しすぎるんです。     杉江 そこは年季の違いが出ちゃうんでしょうね。           寸志 そういう、ちょっと近代人的なプライドみたいなものも含んだ奥様像というのをちゃんとお客様に伝えているところが、うちの師匠はすごいなと思うんです。僕なんかギクシャクしちゃう。奥様は案外難しいな、と思うと「権助魚」も呑気にできないんですよね。だからあんまりやらないですね。杉江 出た、またやらない噺。
寸志 うん。だって、うちの師匠だって、プロフィールに「得意な演目は『権助魚』』って入ってたら、たぶん修正すると思いますよ、「他にあるだろう」って(笑)。
杉江 さすがに十八番と言われたくはない。
寸志 五十番ぐらいなら入れていいけど、十八番以内にはどうかなって。ご存じない方のためにお断わりしておくと、現在皆さんやっているサゲを考えたのはうちの師匠です。関東一円のサゲ。このサゲの開発者を著書で今一度しらしめてくださったのが(立川)志らく師匠で、まだ入門前だったけど談四楼ファンとして嬉しかったなあ。
杉江 わかってるねえ、と。
寸志 「関東一円」という言葉は、東京生まれではない上州生まれの師匠だからこそ出たものかなと思います。そういうところもあって、軽くて他愛ない噺ですけれど、師匠の「権助魚」はすごいんです。だから、どうしてもこの噺をやると師匠と自分を比べちゃう。そういう自分のめんどくささが「権助魚」にはまとわりついているので、ちょっと軽くトライできない。いや、いい滑稽噺なんですよ。寄席サイズだしさ、談四楼の弟子なんだからもっとやりゃいいのにって思うんですけど。

■お血脈

【噺のあらすじ】
極楽往生を保証してくれる善光寺のお血脈が流行し、地獄はすっかり寂れてしまう。困り果てた閻魔大王は石川五右衛門を呼び出して善光寺からお血脈の印を盗むように命じた。

杉江 次はネタおろしの「お血脈」ですね。
寸志 この寸志滑稽噺百席では初めて挑戦した地噺です。というか、地噺自体をほとんどやったことがなかった。
杉江 地噺というのは、キャラクターに同化して語るんじゃなくて、演者が自分の視点で、つまり地の語りで進めていくんですよね。小説で言うと、神の視点の叙述。だから一般的な落語の感じとはちょっと違う。
寸志 この「お血脈」が二十三席目、以降のネタを見ていっても次に出てくるのは三十五席目の「紀州」ぐらいで、後はないんです。そもそも地噺にそんなに数がない。「源平(盛衰記)」を百席でやるかと言えば、ちょっとわかんないし。地噺ってやっぱり、噺家自身のキャラクターに左右されるものだと思うんですよ。キャラクターが立っている、あるいは「この人、感じ良いな」と思わせるような演者がしゃべっているフリートークだから地噺が成立するわけで。そこにはあまり自信がありません。正直言うと。
杉江 寸志さんのキャラクター問題がここで浮上するわけですね。
寸志 まあ、当然その腕もないんですが。とにかく、キャラが立ってる人がやったほうがおもしろいんですよ。例えば「荒茶」「荒大名の茶の湯」)って最近やる人多いみたいですけど、(瀧川)鯉斗師匠がやられるとやっぱりいい。一度前座の時分に伺いましたが、噺の魅力以上に師匠の魅力が光っていた。そのほうがおもしろいと思うんですよ、地噺は。
杉江 (立川)談志さんが若いときに「源平」で売れたというのも、タレントとしての人気が急上昇していったのと軌を一にしているでしょうしね。
寸志 自分としては、地噺を得意にしていこうという野望があるわけではないんですが、「お血脈」はちょっとやってみたい気持ちにさせるネタなんですよね。噺でふざけてみたい、というか。
杉江 ああ、わかります。
寸志 僕が二ツ目になってすぐくらいかな、ある会で別の団体のベテランの師匠とご一緒する機会があった。その師匠が地噺の「仙台高尾」を掛けられたんです。ちゃんと聴くのは初めてだったんで袖でじっくり勉強して、高座終えられてその師匠のお着替えの折に、「私、初めてうかがいました」みたいな話をしたんですよ。そのとき話してくださったのは、その師匠よりもさらにずっと上の、もう亡くなった昭和黄金期世代の師匠が「地噺で売れるのはよくないんだ」とおっしゃっていたと。
杉江 ほう、なぜですか。
寸志 地噺で売れると、地噺をお客さんに要求される。お客さんに要求されてやりすぎると、普通の噺ができなくなっちゃうって。若いうちから地噺をやりすぎていると、普通の噺の間とかそういうのがおかしくなってくる、年齢も落ち着いてからいざ普通の噺をやろうと思ってやってみても納得のいく間にならないんだ、と。ああ深い話だなぁと思いました。だから、地噺はやっぱり落語としては別系統なんです。言ってしまえば、何らかの軸があって戻って来られる筋のある漫談だと思うんですよね。
杉江 なるほど。シチュエーションの漫談ですよね。
寸志 そう、本筋から離れていく枝葉こそがおもしろいわけですし。その枝葉から戻るところでも笑いがとれる。脱線というルーティーンで細かい笑いがとれるんです。先代(林家)三平師匠の「源平」はまさにその見本かなと。
杉江 談志さんの「源平」で言えば文明批評のようなところですね。どこで終わってもいいような噺ですし。そういう風に考えると、落語との境界線が見えてくるのかもしれない。たとえば、古典的な地噺と(三遊亭)円丈「グリコ少年」はどう違うのか、という問いも成り立ちませんか。
寸志 そうですね。「グリコ少年」は私は地噺だと思います。
杉江 「グリコ少年」を軸にして考えると、何かのテーマについて話すものという再定義もできるのかな、と思いました。
寸志 テーマということもそうですけど、僕は「グリコ少年」って「体験語り」だと思います。(林家)彦いち師匠の「睨み合い」って聴いたことあります? 電車の中の体験を落語化した新作ですけど、あれを彦いち師匠以外の人がやったら地噺になるんじゃないかなあ。
杉江 ああ、そうか。個人の体験で話されるものが、演者から離れた作品として成立するということですね。
寸志 古典における地噺の特徴としては、もう一つ「歴史的なエピソード」という要素もあります。何かのエピソードをおもしろおかしく語るということで、これは講釈なんかとのつながりを感じますね。
杉江 時事ネタを採り入れた浪曲の新聞(しんもん)読みだとか。昔の雑誌『キング』を見ると、そういう話が新作落語とか新作講談として載っていますね。先代柳家つばめが、「佐藤栄作の正体」を作ったのもそういう流れなのかな。
寸志 あ、左談次師匠の「本読み」もある! 総合すると「一つのエピソードを、脱線含めておもしろおかしく聴かせる」という芸なんでしょうかね、地噺は。「戻るべき軸がある」ってそういう芸。古典で言えば歴史的なエピソードが軸ではあるけど、そこに自分の体験とか、批評眼だとか、「そういえば」みたいな感じで最近の話を折り込むという。とするとやはり、地になる自分の個性が歴史的なエピソードと拮抗してないとおもしろくないと思うんですよ。つまんない人が「こんなことがあったそうですな」みたいな風に言ってもおもしろくなくて、キョトンとされちゃう。だから地噺をやるとしても、もうちょっと僕も自分にパワーをつけていかないと、まだまだおもしろくやれない。
杉江 うん。地噺については「紀州」のときにもまたお話ししてください。そういえばあれも先代(金原亭)馬生のネタだなあ。

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■「崇徳院」

【噺のあらすじ】
若旦那の病はあるお嬢さんに一目惚れしたことだった。名前のわからないお嬢さんを捜すには崇徳院の和歌しか手がかりがない。その上の句を記した短冊を持って探索に乗り出した。

寸志 これはね、トラウマのある噺なんです。
杉江 はあ、穏やかじゃないですね。どういうことですか。
寸志 二ツ目になりたてのころに、ある知り合いの奥様から、お花の何々流なんとか支部の新年会に余興にお呼ばれしたんです。で、私ものすごく張り切って「崇徳院」を掛けたんですよ。めでたい噺だから。それがむちゃくちゃ長くて、持ち時間を十分近くオーバーしちゃったかな。
杉江 あらあ。
寸志 それでその奥様の顔を潰してしまって。以来、お声がかからないという。その知り合いにお目にかかるたびに「君の落語は長いから」って言われます。
杉江 でも、「崇徳院」は途中をつまめない(省いて短くできない)噺じゃないですか。選んだ時点で時間オーバー確定だったでしょ。
寸志 そうなんですよ。でも、めでたい一点張りでやっちゃったのが若さですね。若さというか経験値のなさ。だから「崇徳院」にはちょっと苦いものがね。でも、百席でのアンケートの結果はいいんですよね。五点満点で五点だ。これもしかしたら、答えてくれたのが一人だけで、その人が五点だったという裏はないですか。
杉江 疑うなあ。いや、回答者数は結構多かったはずですよ。素直にみんないいと思ったんですよ。心の傷が相当深いんですね。
寸志 「崇徳院」はつまめないという意味では前回話した「花見の仇討」と同じ感じがします。いや、やろうと思えばもっとコンパクトにできるんでしょうけど。中学高校の頃聞いた(桂)枝雀師匠(故人)の「崇徳院は」は爆笑でした。かなりたっぷりおやりになった音源で聞いていました。上方の噺は全般的に長い気がします。
杉江 そこに近づけようとすると長くなっちゃう。
寸志 自分の中でつかめてないネタなんですよね。正解が見えない、何をよすがにしていいかわかんない感じがあります。もしかすると、自分としても興味がある噺じゃないというか、好きな噺ではないんですよ。だって、かわいくて素敵な噺じゃないですか。
杉江 なんかシュッとしてますよね。
寸志 そう、シュッとしてる。そういうのがね、なんか壁があるというか。ありそうじゃないですか、「『崇徳院』やるあの人は素敵な人」みたいなのが。そういうのは自分に似合わない気がするんですよ。
杉江 寸志さんもかわいくなればいいのに、という話は置いといて。
寸志 ずっと向こうに置いておいてください。
杉江 変な話ですけど、「崇徳院」と「千両蜜柑」だったらどっちがいいですか。
寸志 サゲのシュールさとかで「千両蜜柑」のほうが好きですね。でも、あれは上方の噺だなと思うんですよ、蜜柑を売ってくれる店の態度なんかを含めてね。上方の商人の意気地みたいなのを見せる部分があるじゃないですか。あそこがなんか上方だなあと思います。前回に引き続いて先代馬生師匠の話ばっかりしますけど、馬生師匠の「千両蜜柑」はおもしろいですよね。蜜柑屋がシレッとしてて、あれがすごい。「崇徳院」は……どこがおもしろいです?
杉江 それを聞きますか。いや、構造が同じの「千両蜜柑」のほうがバカバカしくて僕も好きなんですけどね。
寸志 そう、一緒ですよね。そもそも「崇徳院」の恋わずらいという始まりかた。それ自体がなんかこう、きれいすぎる嘘みたいに感じるんですよ。同じ死にそうになるんだったら、「蜜柑が食べたい」のほうがおもしろいじゃないですか
杉江 それはそうだと思います。
寸志 若旦那のわがままの裏に人間の業が感じられるんですよ。同時に親に対する配慮があるでしょ。「こんなこと言い出すなんて親不孝だ」という親思いの感情があるんです。その業と両親への思いのアンビバレンツで患う。「崇徳院」の若旦那なんて、つまるところ性欲ですからね、性欲。
杉江 まあまあ。いちおう聴きますけど、あまりこの噺はやってないんですね、この会のあと。
寸志 やってないですね。トラウマにもなってるし。
杉江 やらない噺がまた一つ増えたちゃったよ。
(つづく)

(写真:川口宗道。構成:杉江松恋。編集協力:加藤敦太)

※「寸志滑稽噺百席 其の二十九」は10月28日(木)午後8時より、地下鉄東西線神楽坂駅至近のレンタルスペース香音里にて開催します。詳細はこちらから。前回の模様は以下のYouTubeでダイジェストをご覧になれます。コロナ対策の意味もあるので、できれば事前にご予約をいただけると幸いです。上記フェイスブックのメッセージか、sugiemckoy★gmail.com宛にご連絡くださいませ(★→@に)。


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