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『第12回 「半分垢」のおかみさんはかわいそう、の巻(寸志滑稽噺其の十)』

杉江松恋(以下、杉江) では、次の回です。「半分垢」「権兵衛狸」「親子酒」ですね。

■「半分垢」

【噺のあらすじ】
巡業から関取が帰ってきた。昼寝をしているところに贔屓衆が訪ねてくれたので、おかみさんは関取が旅先でいかに体が大きくなったかと自慢した。それを関取が陰で聞いていて。

杉江 たいへん申し上げにくいのですが、「半分垢」は今までのところ、アンケート評価の最低記録なんですよね。当時寸志さんも「こういう汚い系の噺は今は評価されない」とおっしゃってました。
立川寸志(以下、寸志) どれどれ。ああ、やっぱりアンケートにも「あまり好きな噺ではなく」って書かれてますね。そりゃそうですよ。だって「垢」ですよ。
杉江 垢ですからね。
寸志 それで思い出しましたけど、このときサゲの後に「汚ねえ」って、付け加えてるんでね。「半分は垢でございます。――汚ねえ」って、誰の台詞でもないような感じでポンと付け加えてます。贔屓衆の台詞ととらえられたかもしれないし、演者の地と捉えられたかもしれない。どっちでもいいんですけど、そういう風に言い訳をしないと成立しないぐらい、やっぱり生理的に拒否感があるんですね。で、という表面にも納得しつつ、前回の「後生鰻」の宗教盲信批判みたいなニュアンスもあるんですけど、後から考えてみたら女性差別、とまでは言わないけれど、「半分垢」という噺に出てくるおかみさんの、在り方というか在らせられ方が、かわいそうな感じがしてきたんですよ。
杉江 おかみさんは、旦那の関取がいかに体が大きくなったかと自慢して、あとで叱られちゃうんですよね。
寸志 あれね、すごい息苦しい状況だと思うんですよ。つまり、ちょっと自慢しちゃったら怒られる。それで逆に謙遜してめちゃくちゃなこと言って笑われる。なんかかわいそうでね。その部分がたぶん、明確には伝わらないけど、なんかこの噺って気持ちよく笑えないのは、垢の気持ち悪さだけじゃなくて、そこにあるのかなと思っていて。
杉江 言われてみれば確かに。女性を愚かしいものとして描いてますよね。
寸志 そうそう、愚かしいもの。そういう気がします。あさはかさ、いや、あさはかって訳じゃないな、自分の夫を思う健気さ、女らしさを笑いものにされているわけですよね。女の人だからうまく対応できずに愚かしい行動を取ってしまった、あはは、みたいなね。
杉江 同じ女の人が笑われる役になる噺でも「洒落小町」とはちょっと違いますよね。あれの主人公のお松さんは自分がある人だけど。
寸志 「洒落小町」は大丈夫ですよね。彼女は普段からそういう人で、「おもしろい人だよね、あの人」って言われている。だからあれはあれでいいんですけど、「半分垢」のおかみさんはちょっとかわいそうなんですよ。本来健気で夫思いで、ちょっと自慢しちゃうくらい素直で――そこを馬鹿にしている感じが「好きな噺ではなく」の深層にある気がします。まぁ第一義には「垢」でしょうけれど。

■「権兵衛狸」

【噺のあらすじ】
山奥の村に住む権兵衛さんは片手間で床屋も営んでいる。ある晩、村の衆が帰った後にまどろんでいると、外で名前を呼んで戸を叩く音がする。山の狸が浮かれて悪さをしに降りてきたのだ。

杉江 じゃあ、次は「権兵衛狸」ですよね。
寸志 え、ちょっと待って。今の「半分垢」すごい良いこと言いましたよね? そういうことですよ。
杉江 いや、別にスルーしたわけではなくて。良い問題提起でした。
寸志 良い問題提起でしたよね。だからね、これ以降やってない。
杉江 落語には「現代的なものに合わない」ということで演じられなくなった噺はありますけど実はこれもそうじゃないか、ということですね。
寸志 そう。それは汚さじゃなくて、この主人公の女性のあらせられ方ね。置かれた状況ね。強いられた状況ね。それがちょっとやるせない。
杉江 で、「権兵衛狸」です。
寸志 これは(桂)文字助師匠から教えていただきました。これ、立川流みんなやりますし私もやりますけど、正直言うとあまり自分向きじゃないな、とは思っています。
杉江 それはなんでですか。「狸の了見になれ」の柳家(小さん)の曾孫弟子なのに。
寸志 狸がかわいいから。かわいい噺はあんまり向いてないなと自分では思っているんです。ただ、田舎噺なので、楽っちゃあ楽なんですよ。
杉江 ああ、「権助魚」のところでも触れられていたリズムの噺ということですね。
寸志 そうです。でも、なんと言ったらいいのかな。やっていて爽快感がないんですよね。ドッとウケるわけでもなし。演者がたくさん出ているときに、流れの中で「雰囲気変えようか」だとか、「ちょっと落ち着かせようか」というときにはいい噺だと思うんです。でも、まだそこまで、自分の役割意識を発揮しなくてもいいかな、という気はする。
杉江 そこまで引かなくていいと。
寸志 実際、そんな出番と言うか、立ち位置にいないですからね。日暮里寄席で前座の直後に二ツ目が「権兵衛狸」やったら盛り下がっちゃいますよ。もうちょっと香盤が上がってから、三番目、四番目以降の出番だったらやらないこともないけれども、っていうことですね。
杉江 それこそ「ちょっと落ち着かせよう」と。前にがちゃがちゃかき回す人が出てきた後に、「じゃあ『権兵衛狸』やるか」みたいなね。
寸志 今、「がちゃがちゃかき回す人」のところ実名で言いましたけど、それは私の発言じゃないですからね。いや、まあ、そういうことですよ。これも、地噺的にやる人もいるでしょう。
杉江 そうですね。こういう落ち着いた噺は、人柄というか、炉縁の話みたいな感じとか、そういうところを聴かせる噺なのかなという気がしますね。前にも話題に出た、お辞めになっちゃった長四楼さんがやっていたのを聴いて良かったような記憶があります。あまり若い人向きじゃないという気もしますね。
寸志 そうです。若手がむりやり入れごと(もともとにないオリジナルのギャグ)をして笑わせる噺でもないのかな、という気がする。
杉江 そんなに笑うところも多くなくていいじゃないですか。最後まで聴けばいいわけだから。
寸志 はい。たとえば権兵衛さんが寝るときに、たとえば今だったら「岸田政権の今後はどうなるか。立憲民主党はどこまで票を伸ばせるか。小池百合子はどう立ち回るつもりなのか、なんていうことを考えて眠りにつく」みたいなことを入れる場合があるじゃないですか。それをやっておもしろい人とおもしろくない人がいるわけです。「お血脈」のときにも噺に出た地噺論ですよね。聴いていていいなと思う、思わないという違い。やっぱり私くらいのキャリアが浅い演者だとハズすことは多いし、自分自身について話すと、なーんか若手らしくないし、ということ。無理にいれごとをするよりも、文字助師匠に教わったまんまフワフワやったほうがこの噺はおもしろいかな、と現状では思います。
杉江 そういう噺があってもいいですよね。フワッとしたまんま終わるというのも。特に寄席興行だとそう思います。
寸志 それがなかなかできないんですよね。でも秋になるとふとやりたくなるんですよ。

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■「親子酒」

【噺のあらすじ】
商家の跡取り息子が酒の上でのしくじりをする。行く末を案じた親父は息子に共々禁酒しようと提案した。しばらくは平穏な日々が続いたが。酒が我慢しきれなくなった親父は。

杉江 次は「親子酒」です。あ、この会はどれがネタおろしたんでしたっけ。
寸志 あ、言い忘れてました。「半分垢」です。三遊亭楽天さんと、何かと交換で教わったんですね。「半分垢」はね、(五代目)円楽一門会はよくやるみたいですよ。
杉江 なんでだろう。お江戸両国亭で会をやるからかな。
寸志 そうですそうです。相撲噺の一つとしてやるみたいですね。
杉江 ああ、なるほど。でも相撲の軽い噺なら「大安売り」のほうがいいですよね。
寸志 そうですね。「大安売り」はまた後で出てきますけど、あの噺は好きなんです。相撲噺は個人的には「大安売り」と「佐野山」で十分と思っています。で、次の「親子酒」なんですけど、これはアンケートに「ちょっと長いかな」って書かれてますね。
杉江 長かったんだ。「親子酒」なのに。
寸志 なぜか長くなるんですよね。
杉江 不思議ですね。親父の酔っ払ってるところが長いのかな。
寸志 うん。ちょっとくどくやりすぎてるかもしれないですね。
杉江 ちょっと伺いたいんですが、これは寸志さんの言うところのリズム落語ではないんですか。父親の酒を飲む場面がポン、ポン、ポンと速くなっていって、息子が入ってくるとバババババッと加速して終わる、みたいな。そういうイメージではないですか。
寸志 私はあまりそういうかたちではやってないですけど、言われてみればそういうこともあるかもしれない。小さん師匠なんて本当に短いですからね、「親子酒」。酒飲みのマクラのほうが長い。それも大好きなんですが、私が影響を受けているとしたらしろうと時代に聴いた先代の(金原亭)馬生師匠です。馬生師匠の「親子酒」は大好きです。ほんとこの数回は馬生リスペクトですね。
杉江 馬生さんはネタ数が多いからしょうがないですね。特にこういう短い噺は言及する回数が増えていくでしょう。「紀州」とか。
寸志 雰囲気としては、馬生師匠の「親子酒」はトロトロとした酒飲みの感じなんです。これ、文字にして伝わるのかな。せがれが帰って来て「おとっつぁん、ただいまーっ~」ってあの声、いきなり大音声なんですよね。
杉江 ああ、親父がトロトロ飲んでいるところに。
寸志 で、「ば、ばあさんっ(慌てた様子で)」。
杉江 あ、馬生の感じだ。文字にしてもたぶん伝わってないけど。
寸志 これね、「長い」って言われてるのは一つ長い台詞を加えているからなんです。前半のおとっつぁんが飲みながらばあさんに話しかけているところで、ちょっと人情噺っぽく、なぜ自分が酒飲むようになったかを語る。まとめて言うと、「自分は先代の親父にプレッシャーを感じていた。もっと近づきたいけど難しいので、つい飲むようになってしまった」「せがれも同じなのかもしれない。そういう思いがあって、あいつも酒におぼれたのかもしれない」「でも、私は飲んでもしっかりしている。あいつはダメだ。私はやめるといったらやめる。一杯きりでもピタッとやめられるのがえらいんだ。ばあさんお代わり」「なに言ってんです」っていう、ちょっと泣かせといて笑わせるのを入れたんですよ。それが長いって言われちゃったのかな。
杉江 それはいつもの演出なんですか。
寸志 「親子酒」もあまりやらない噺なんですよね。秋冬の季節のものですしね。それと、別の機会にお客さんから「『親子酒』というのは、笑うというよりも酔っ払いの生態を見せる噺なのかな」みたいに言われちゃったことがあるんですよ。それっておもしろくなかったってことだろうなあと忸怩たるものがあった。サゲは有名すぎるくらい有名だし、それを「いいや。それでも俺がやるんだ」みたいな感じでやるほど自信を持ってないということです。特徴出すためにさっき話したくだりを入れたんですが、今ひとつ効果出てないっていうことですね。また、みんなやるでしょ、このネタは。
杉江 そうですね。
寸志 例えば(立川)らく兵兄さんのがすごいおもしろいんですよ。そういうね。これ僕の悪いところですが、「ああ、この噺、この人の方が圧倒的におもしろいわ」と思うと、もう自分はやめようと思っちゃうんです。
杉江 また出た。
寸志 そう。(立川)笑二兄さんの「元犬」とかね。直近だと(立川)談洲くんの「あくび指南」とかね。
杉江 へえ。私は聴いたことがないんですけど、いいんですか。
寸志 談州くんの「あくび指南」むっちゃくちゃおもしろい。最高に好きですね。「今度やって」ってリクエストするぐらい。壊し方のしつこさが尋常じゃない。やめてーって言いたくなるくらい笑います。(つづく)

(つづく)

(写真:川口宗道。構成:杉江松恋。編集協力:加藤敦太)

※「寸志滑稽噺百席 其の二十九」は10月28日(木)午後8時より、地下鉄東西線神楽坂駅至近のレンタルスペース香音里にて開催します。詳細はこちらから。前回の模様は以下のYouTubeでダイジェストをご覧になれます。コロナ対策の意味もあるので、できれば事前にご予約をいただけると幸いです。上記フェイスブックのメッセージか、sugiemckoy★gmail.com宛にご連絡くださいませ(★→@に)。





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