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V6と「本当の自分」〜分人主義という考え方をV6の楽曲にあてはめてみる〜【約11,000 字】

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「人生で初めてもらったバイトの給料で『Oh! My! Goodness!』を買った。〜あの時の男子中学生がV6にハマり,高校生は青春と共に...〜」

「ファンとV6に共有されていた「思い出」を彩るV6 For the 25th Anniversary〜閉鎖・宇宙・空間・'10年代〜」
https://note.com/kokiono/n/nf702daeef063


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✔️ 今回の記事で扱った文献

参考文献

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 昨年度,ボクは現在所属している研究室の先生が運営する学部ゼミに参加しており,今年の2月,発表合宿と題して箱根の旅館でひたすら自分にとっての実存的なテーマや問題について発表し,議論を深めるという時間を過ごした。

 ボクを含めて5,6人くらいで,1人につきの発表時間は1時間以上。これだけの時間もあればかなり深いところまで議論ができる。ボクの発表キーワードは「本当の自分」であり,タイトルは「「本当の自分」・・・ってなに?あるの?みんな、出せてる??」として,ここでボクはV6の『COLORS』という楽曲を問題提起・分析材料として用いたのである。

 ボクはこの『COLORS』がV6の楽曲のなかで5本の指に入るくらい好きで,リリースされてからずっとこの曲を聴き続けており,カラオケでも必ずこの曲を入れる。メロディーはもちろん,歌詞がとにかく素敵で,何度も何度もこれを聴いたり歌ったりしているのにもかかわらず,そのどちらにおいても曲の終盤では涙を流しそうになってしまう,それくらいボクはこの曲に心酔し,胸を打たれているのである。

 この曲にある全ての歌詞が好きで,もはや歌詞カードや字幕なんかみなくても一字一句暗記しているレベルなので,「特にどこが好きなのか」とピックアップしようとすればかなり迷ってしまうが,強いて言うのであればボクはこのAメロの切り出しとサビの盛り上がりにある歌詞(選びきれず2つに...!!)にグッとくる。

どうして 僕はこんなに
自分を隠して生きてる
仮面を外した姿 人に
笑われるのが怖いの?
君だけの色で駆け抜けて
二度とないこの世界で
たった一つだけ その命の
音色を奏でてみるんだ
飾らない君だけのメロディー

 数々のテーマ(恋愛とか元気付ける系とか...)があるなかでなぜボクはこのような「本当の自分」というテーマが好きで,そのなかでもなぜこの曲が好きなのかということを考えてみたとき,これは最近気づいたことではあるのだが,ボクは長い間「本当の自分って一体どれなんだろう」という疑問を抱えていた。

きっかけ

(↑ 発表スライド)

 特にボクは大学1年生のときは,大学という新しい環境に身を置くと同時に友達の前だったり当時付き合っていた彼女の前だったり,アルバイトでやっていた塾講師の仕事で生徒の前に立ったりその保護者様の前に立ったり... そして,日雇いの工場やレンタル彼氏という仕事をしていたりで,1週間で色んなところに身を置いていたために,いちばんラフでいれるときの自分を見失いつつあった。

 そのせい(?)で,大学2年生のときに鬱にかかってしまい,それを認めたくなく病院へは行かずに治療しないまま日々の忙殺スケジュールを無理やり過ごした結果,ボクは19-21歳あたりの記憶がほとんどない。それからはようやく順応していき,段々と問題なく日々を過ごせるようにはなったのだが,「本当の自分」というのが一体どこにいるのかが分からなくなり,どれが仮面をつけた自分なのか,そもそも今自分は仮面をつけているのか...みたいな疑問をずっと抱えていたのだ。

 当時はこのようにして「本当の自分ってどこ?」みたいに言語化されておらず,「なんか,精神的につかれるなー」としかきっと思っていなかったのだが,そこで『COLORS』と出会って,ようやく自分が一体どういう問題を抱えているのかが判明したという経緯なのである。

画像2

(↑ 発表スライド)

 「本当の自分」というキーワードを手に入れてからボクはこのようなテーマで書かれた本を手当たり次第読むようになった。そして,「本当の自分」について歌われる曲たちにも注目するようになった。ちなみに,前回の記事(「堂本剛の... 「愛」と「自分」 について〜愛を見失ってしまう時代・自分を守り生きていく時代〜【約19,000 字】」)では堂本剛の楽曲を挙げてそのことについて考察してみたので,ご興味のある方はぜひご笑覧ください。

 「本当の自分」というテーマでジャニーズに属するグループ関係なく,様々なアーティストによって歌われる。どうやらここ最近よく歌われるトピックというのが欅坂46『黒い羊』やKing Gnu『白日』を代表とする「自分探し」だったらしい。

 このようなテーマが盛り上がるなかで,V6が特別これについて歌ってきたというワケではないのだが,ボクにとってV6というのは「見てて一番心が落ち着」いて,「何でも話せる古い時代の友人」みたいなものなので,このような実存的なテーマについて歌ってもらえるとなんだか素直に自分と向き合えるような気にさせてくれるので,V6だからこその特別感があるのだ。

 前置きが長くなってしまったが,今回は今までにV6が歌ってきた「本当の自分」というテーマについて,先人の智恵と絡めながら探っていきたい。曲を聴いて,その歌詞を考えるだけでもちょっとは生きやすくはなるけれども,本を読めばなおさら。ただ,本は難しく書かれてあるものも多いので,そんなときは自分にとって身近な存在である歌手やアーティストの言葉と付き合わせてみることが有効だ。ボクはそれにV6を突き合わせて考えてみたいのだ。

「本当の自分」を考える視座〜「本当の自分」は自分だけでは分からない〜

 V6の楽曲たちをみていく前に,まずは前提として,数々の先人たちが「本当の自分」について様々に考えてきた思想についての前提となる考え方を示しておこうと思う。ボクが今までに読んできたこのようなテーマについての本は,互いに対立しあうことはなく,大抵の場合は根本は似ているものばかりであり,今のところどの本を読んでも「ここだけはみんな同じ!」という前提条件みたいなものが存在する。それは,”「本当の自分」は自分だけでは分からない”ということだ。

「われわれは自我を把握することができない。それはわれわれが自我自体であるからだ。それは手がその手自身をつかむことができないのと同じである。」

『制約されざる人間』p.53
わたしは「なに」であるかと問うべきなのではなくて、むしろ、わたしは「だれ」か、つまりだれかにとっての特定の他者でありえているかというふうに、問うべきなのだと。

『じぶん・この不思議な存在』p.104
 分人は、こちらが一方的に、こうだと決めて演じるものではなく、あくまでも相手との相互作用の中で生じる。

『私とは何か 「個人」から「分人へ」』p.37

 ボクはこのような悩みを抱えてからというものの「「本当の自分」って一体どれなんだ・・・。あれか・・・?これか・・・?」のようにして1人で考えて,色んな人の目の前にいる自分についてを考えていた。早速,ここで正解な考え方を言うのであれば,こう考えるのは×ではないが△で,○の考え方は「そもそも,どれが「本当の自分」かと心に問うこと自体が間違いで,様々なシチュエーションのなかで対峙している自分が 「「本当の自分」の一部」なのであって(=分人主義),そしてその「「本当の自分」の一部」を探る際には自分で自分の心を探るのではなく,「誰かにとっての他者としての私は一体どのような私なのか」について考えることが優先なのである」というのが(暫定的な)正解なのであると今のボクは考えている。

 けれど,このように「本当の自分」を考えている人はどれくらいいるのだろうか。ボクは当たり前のように「さて,「本当の自分」とは一体どれなんだろう」とずっと考えてきたために,このような新しくて,一般的には革新的な考え方を知ったとしても,長い間の「当たり前」がそう簡単に覆されることはなかった。

 ボクのあまりよろしくない性格が原因なのか,「いや,でも...!!」と思い,なかなか自分にとっての当たり前で根本的な考え方がすぐに改善されない,みたいなところがあって,論理的な納得はしたけれどマインドがすぐにガラっと変わることはなかったというのが実情的なところ。これに関しては,自分が自分の心に忠実だからなのか,それとも,ある種のプライドみたいなものがそう簡単に自分のマインドを変えさせない働きをもたらしているのかどうかはまだ分からないが,正直,これを飲み込めていない自分がいる。ボクよりも何倍も何十倍も,何百倍も「頭のいい人」たちがこのようにして述べているのに対してなぜ自分はここまで意固地になってしまうのか。とはいえ,ここでそんなことの原因を探っていっても,これを読んでくれている方々にとっては,さして興味を持たれないところだとは思うので,「そもそも,どれが「本当の自分」かと心に問うこと自体が間違いで,様々なシチュエーションのなかで対峙している自分が 「「本当の自分」の一部」なのであって(=分人主義),そしてその「「本当の自分」の一部」を探る際には自分で自分の心を探るのではなく,「誰かにとっての他者としての私は一体どのような私なのか」について考えることが優先なのである」というこのような考え方に則ったV6の歌詞を紹介していくことにする。

『Be Yourself!』('98)

ゼロからキミになればいい
To be yourself babe
すべての明日を駆け抜けて
Don't stop believin' babe

ゼロからキミになればいい
キミが始まる
世界がキミに夢みてる
U can get your dream babe

 まず,Vクラのみなさんが「本当の自分」というテーマでパッと思いつく,V6のシングル曲は『Be Yourself!』ではないだろうか。このシングルは直訳すると「お前自身であれ!」という強いメッセージが込められていると考えることができる。

 この曲の醍醐味といえば,間奏における6人のアクロバティックなパフォーマンスであるが,その前にあるサビで彼らは結構良いことを言っている。

 「ゼロからキミになればいい To be yourself babe すべての明日を駆け抜けて Don't stop believin' babe」,かっこよく歌われているこの歌詞をドストレートな言葉に直すと,「「お前自身」であるために,ゼロから「キミ」になればいい。(だから,)すべての(またとない)明日を駆け抜けて,信じることをやめるな」というメッセージを受け取ることができるのではないだろうか。特に,「ゼロから「お前自身」であるために,信じることをやめるな」というこのメッセージ,「信じる」の対象は自分自身はもちろん,きっと自分以外の他者も含めていることであろう。

 「本当の自分」を探るためには他者が必要という,この前提条件を歌い上げる詞のひとつとしてまず,この『Be Yourself!』があるとボクは考える。

 さらに,こういった真実を歌ってくれている楽曲たちを紹介してみる。ボクの脳内にあるV6の楽曲リストの中でこれにヒットするのが『SPARK』('17)という,CDの通常盤のカップリングとして収録されているファンのなかでの有名なダンスチューンだ。これはYouTubeに挙がっている「The Ones」でも歌われている楽曲であるのと同時に,滝沢歌舞伎で健がソロで披露した曲でもあるため,もしかするとVクラ内外問わず,知ってる人には知っているという通な曲なのだろう(以下の動画は『SPARK』の再生位置に合わせています)。

『SPARK』

サビは以下の通り。

We're gonna spark all night
孤独なアイデンティティ
ここに光あれ
We spark all night
ごまかしは もう Enough
派手に挑もうじゃない

Cuz we wanna feel alive
微笑みはいつも Inside out
Just cut it out
So baby, gonna spark all night
偽物はイラナイ
見たいのは 本当の YOU

 分人主義的な思想にたったとき「ごまかしは もう Enough」はちょっと注意が必要。この「ごまかし」というのは,それこそ『COLORS』のような「仮面をつけて」偽の自分を演ずるみたいな,これを指しているワケではない。分人主義の考え方は,様々なシチュエーションのなかで対峙している自分が「本当の自分」の一部であるため,この「ごまかし」というのは,他者を恐れ,1人きりで自分自身を見つめて「本当の自分」を見出そうとしているというこの方法自体のことを指していると考えた方がメッセージとしては具体的で,ちょっとは人生のヒントを教わるのではないだろうか。

 その後に続く「微笑みはいつも Inside out」に関して,これは「本当の自分」はそう面白く感じていないのに,人の前にいる「偽の自分」は取り繕って微笑みを浮かべている....しかもこれが「いつも」だと言っているが,自分ではそう思っているかもしれないけれど,この微笑みだって「本当の自分」の一部。そして極め付けは「偽物はイラナイ 見たいのは 本当の YOU」。自分1人で「本当の自分」を見つけることができないというのは,さきほど数々の先人からの言葉にある通りで,もしそこで「これが「本当の自分」だ!」と見出せていたとしても,実際のところは他者にうつる他者としての自分が「本当の自分」であり,必ず他者という存在は必要となる。「見たいのは 本当の YOU」というのは,他者にうつる他者としての自分を想像し,それを伝えることによって「自分の前にいるその人が想像する自分の心に映っている他者としてのその人」を確認することができるのである。

 そして2番のサビが終わったあとにくるソロの歌詞はまさに,これまでボクが考察してきたこの曲のメッセージを端的に表現しているパートだ。

誰が本物かはNo one knows
それでも生きていくLife
Hey baby
語り合おうじゃない
Baby
踊りあおうじゃない
駆け引き 瞬き じゃれ合い
Feel so nice
Just get up,
get up, get up, get up

 分人主義には,数ある自身の姿に対して「どれが本物?」「どれが偽物?」と問うこと自体が間違いで,「どれも「本当の自分」の一部だ」と考えるのが正解。ということは,「誰が本物かはNo one knows」という前半の問いかけ自体が実は間違いで,そんなことは誰にも分からないと歌う。だからこそ,「語り合おうじゃない」「踊りあおうじゃない」と他者と交わることに,全ては分からないにせよ「本当の自分」のピースをたくさん集めることの重要性がここには込められているのだとボクは考える。その交わりというのが「駆け引き 瞬き じゃれ合い Feel so nice」と表現されているあたりが,ボクの思う,この曲にある歌詞の一番好きなところだ。

 さて,こんな感じに”「本当の自分」は自分だけでは分からない”という様々な先人からの教えを踏まえて,V6はどのようにして歌ってきたのかについて『Be Yourself!』と『SPARK』を引き合いに考えてみた。思想書に書かれてある文字を追っていくと,心は突き動かされるかもしれないけれど,なかなか根本から自分の考え方がすぐにひっくり返ることは少ない。けれど,たいていの場合はそのような本に書かれてある生き方を—全部とは言わないまでも—浸透させていくことが今を生きる上で少しだけ生きやすくなるはず。これを叶えるためにも,ぜひとも少なからずこの2曲は今後も聴き込んでいきたい。

 ちなみに,もう一つ挙げようと思っていた曲をここに置いてから,次のテーマへ移りたい。文字数の関係で詳しい解説は控えたのだが『僕と僕らのあした』('07)もかなり良いことを歌っている。この良さをぜひみなさん自身で感じ取って欲しい。以下に挙げているのは2番のAメロとサビである。

「聞いて欲しい」と呼び出され
強い君が見せた涙
結局答えはは出せなかったけど
ホントは凄く嬉しかったんだ
どんなに辛い夜だって
超えた足跡は ひとつじゃない
そうさ僕らは ひとりきりで
強くなる必要なんてないさ

自分を愛することで他者を愛せる

 前節まで他者があってこその自分であり,複数ある自分はどれも「本当の自分」の一部であるという分人主義の考え方を踏まえながらV6の詞を考察してきた。これを提唱者の平野啓一郎さんの言葉を借りていうのならば,まさに以下の通りだ(前節冒頭でも挙げた)。

 分人は、こちらが一方的に、こうだと決めて演じるものではなく、あくまでも相手との相互作用の中で生じる。

『私とは何か 「個人」から「分人へ」』p.37

 そして,これの続きとして,誰か(他者)の存在によって生まれてきた本当の自分の一部を愛することによって初めてその誰か(他者)を愛することができるというこの考え方について触れていきたい。平野さんは以下のようなことをいう。

 無責任に聞こえるかもしれないが、裏返せば、ポジティブな分人もまた、他者のお陰なのである。そう思えば、相手への感謝の気持ちや謙虚さも芽生える。人は一人で生きてはいけない。ということもよく言われるが、それは、何かの時に助けてもらえるというだけでなく、私たちの人格そのものが半分は他者のお陰なのである。 あなたと接する相手の分人は、あなたの存在によって生じたものである。

『私とは何か 「個人」から「分人へ」』p.101

そして,ここから話は愛へ。

愛とは、「その人といるときの自分の分人が好き」という状態のことである。つまり、前章の最後に述べた、他者を経由した自己肯定の状態である。

『私とは何か 「個人」から「分人へ」』p.136
あなたが彼女にとって、必要な存在だということにも、リアリティがある。あなたと別れてしまえば、彼女はその「好きな自分」を生きられない。だからこそ、関係を持続させたいと思う。
 愛とは、相手の存在が、あなた自身を愛させてくれることだ。そして同時に、あなたの存在によって、相手が自らを愛せるようになることだ。

『私とは何か 「個人」から「分人へ」』p.138 

 わざわざ難しい本などを読まなくても分かる通り,愛というのは支配とは全くもって違って(もちろん自分のことを愛してくれているという事実に承認欲求が満たされてある種の快感を味わうこともできるけれど)やはり一番の希望としては,自分の愛する誰かがその誰か自身のことを愛して,前向きに生きているという事実のほうがパートナーとしてこの上ない幸せなのではないだろうか。しかも,このような状態になるきっかけが自分という存在であるとするならばもっと幸せなはずだ。

 愛とは、「その人といるときの自分の分人が好き」という状態〔他者を経由した自己肯定の状態〕という考え方はそこまでポピュラーではないので,この文章を読むと「ん?」と思うかもしれない。けれど,これについてちゃんと考えてみたとき,少なからずボクは「こんな自分と一緒にいてくれているときの彼女はまさに今の分人を愛しているのか。やるじゃんオレ。意外とできんじゃんオレ!もはや希望しかない!」みたいに考え,自分にも愛するその彼女にも優しくなれて,どちらも大切に慈しむことができる感じがする。個人的にこの考え方はずっと大切にしていきたい考え方の一つだ。

 さて,このような考え方をV6はどう歌っているのだろうか。さきほどと同じように2曲紹介してみようと思う。まずは『太陽と月のこどもたち』の最後にあるサビからの引用である。

嗚呼 美しいこの場所で君は生まれた
太陽のように笑い 月のように綺麗な人よ
強くなりなさい 何度も転んでしまっても
いつか大事な人を守るために 

嗚呼 美しいこの場所で僕も生まれた
温かな手をつないで いつも叱ってくれた人よ
きっと美しい この場所で命は廻る
ずっと愛が途絶えることはないから
きっと迷いはもうないはずだよ

 NHKの「みんなのうた」でも採用されたこの曲は,タイトルにもあるような子どもたちに向けた愛を歌う曲と捉えることもできるし,恋人にも捉えられれば,友達にも捉えることができる....つまり,愛を抱ける人すべてに届けられるメッセージがここには綴られている。

 この歌詞をどの立場で歌っているのかによって解釈はきっと異なってくるだろう。というのも,サビにある「君」というのはこれを聴いている自分を指しているのか,それとも,自分が「君」と言っていて,その対象は愛すべき誰かに向けられているとも考えることができる。解釈は個人の自由なのかなとボクは思っているので,ボクは後者のほうをとりたい。

 以上に挙げた大サビの歌詞を含め,この曲の歌詞全体を読んでみると,たしかに自分の好きな人に向けて歌える曲ではあるものの,恋愛ソングではない。恋愛ソングというよりも,命の廻りと愛の素晴らしさや尊さについて歌われた曲だ。「嗚呼 美しいこの場所で君は生まれた〜」の歌詞を改めてちゃんと読んで感じてみると,特に「強くなりなさい 何度も転んでしまっても いつか大事な人を守るために」という歌詞は色んな解釈ができるなーと思わせられる。パッと思いつくのは自分の子どもに言ってるところ,または,恋愛的な愛というよりも,性別を問わず人として愛する誰かに向けてのメッセージともみなすことができる。「いつか大事な人を守るために」というところも,ボクは愛は慈しみと多くの点で同じだと思っているので,「大事な人を守る」というのは性別や年齢に限らず,特に重要なメッセージなんじゃないかなと思う。

 誰かを愛することによって,新しくて魅力的な自身の分人が形成され,それによってその愛された人はその愛してくれている人にとって自分はかけがえのない存在なのであるとを感じ,それが自身にとって幸せとみなしたときに,その愛する人が自身の分人を愛しているところに自身の愛を見出し,それと同時に,その人を愛する自分の分人が誕生する。この循環によってお互いの愛は強化されていく。

 自身の分人の愛し方は数多にあるだろうが,この曲では今まで自分の周りにいてくれた誰かや命への感謝が綴られている。それもこれも,愛すべき人の存在や,それによって生まれる愛すべき自身の分人の存在によるものだ。なかなかにこれは深く自分と愛についてを考えることができるだろう。

 『太陽と月の子どもたち』の歌詞はあまりの深さと素晴らしさによって,そうパッと簡単に理解できてしまうほどのペラペラな愛が歌われたワケではなく,人生を通じて考えるに値するほどのメッセージが込められている。これに対して,次に紹介する『ボク・空・キミ』は端的でありながらストレートに自分への愛と他者への愛を歌っている。特に注目すべきパートは1番のサビだ。

君が君で 今いること
僕が僕で 産まれてきたこと
当たり前が すごく愛しい
ぎゅっとその肩 抱きしめよう
命の音 ほら聞こえるでしょう
今 僕は生きている

 歌詞をみてもらってわかるように,ここでは今いる「君」を愛していることの事実のみならず,「僕」自身が産まれてきたという,この当たり前と思ってしまう今を愛する様子が描かれ,そして,「君」と「僕」を同じだけ慈しむメッセージが込められている。一方的に人を愛するだけではなくて自分をも愛する,自分を愛しているから「君」の存在という根本的なところまでをも愛することができる,そして,自分たちをとりまくそれまでの歴史や環境までをも愛せる。そんなことが歌われているんだーと思うのである。

さいごに:V6が歌うからこそ「本当の自分」を問える

 今回はV6と「本当の自分」というテーマで4〜5曲ほど挙げてみて,先人の智恵を拝借しながら,これらの曲から何を感じ取ることができるのかについて考えてみた。もしかすると,このようなメッセージが込められた楽曲はどのグループ,またはどのアーティストも歌っているのかもしれないけれど,やはり「V6が歌う」からこそ響くものがあるはずだ。なんせ #勤続25年の男たち ,これまでの歴史や1人ひとりの人間としての素晴らしさを知っているからこその感動である。

 そして,次にリリースされる『It's my life』。これも今回のテーマには欠かせない1曲だ。今まで彼らが届けてくれた言葉やメッセージを抱きながら,ボクらの日常に寄り添ってポンと背中を押してくれるようなこの曲を大切に,今後の人生を歩んでいきたいものだ。

 それでは,最後に,冒頭に紹介したボクがV6で最も好きな曲のひとつ『COLORS』の大サビを紹介して締めくくりにしようと思う。ぜひとも今の自分がどのようなメッセージを受け取るのかを感じ取って欲しい。

君だけの色で駆け抜けて
ほら七色の風きって
もう自分に嘘つかなくていい
ありのまま 生きてみるんだ
そのままの君 輝くから 

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