時に自分の状態に気付くこと

今朝、出勤のため駅へ歩く時のことである。

続く雨天のせいか私の心は穏やかでなく、薬を飲んで改善しつつあった「出勤したくない」気持ちがぶり返していた。

湿った空気が私の思考をより端的なものにして、「こんな日々がずっと続くならいっそ死んでしまいたい」とはっきりとした言葉で思い描いた。

今回、薬を飲む前と違ったことは、私がすかさず、自分を客観視出来たことである。

数日前には人生を面白く感じていたし、それが本来の私の感性なのだ。

私はそれを覚えていたので、即座に「今、うつの症状が強く出ているぞ」と思い至った。

自分の感じ方などの心の状況を、自分の意思だけ離して見つめられるということ、これは改善しているということなのだろうか。

健康な人ならば、意識すらしないかもしれない。

幼い頃、自分が自分であることを、何も疑わずに生きていたから。きっとその時の私は健全な魂で過ごしていた。

人と交わって、考え方をいくつも持てるようになったのだろう。意思薄弱とか優柔不断とかでなくて、いろんな見方を出来るようになった。

だからといって、自分をこんな風に切り離して、まるで落ち込む私を置き去りにしようとしたような、こんか感覚は初めてだ。

解離性…なんとか。そんな単語が頭をよぎったが、こういう症状はインターネットで引っかからなかった。

意識の片割れが遠くから自分の意識を見つめて、状態として理解して、それで私が冷静になる。

なんという現象だろうか。

客観視とか俯瞰とか、そういうことだが、名称のみで片付けていいものか。

私に何が起きているのか、誰か答えを教えてくれまいか。

悪い感覚ではないのだけれど。ただ、知りたい。

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