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薬学部から法科大学院へ:理系と文系と両方を志した理由

 伸ばし伸ばしでようやくこのテーマまで辿り着きました。あんまり需要がないということは承知しておりますが、それでも僕にとってとても大事なテーマですので。

 一部のコアな読者にのみで構いませんので。少しでも、読者の方に響くものを伝えられましたら。


学部生の時の1つ目の出会い:木村廣道先生

 僕は、本当の本当に、よくいる学生の1人でした。まさに。気の向くままに授業に出て、興味があるテーマが見つかったら本を読んで。誘われたら飲み会に出て。やりたいことも特に無いし、かといって日々を心から楽しめているかというとそういうわけでもないし。見えない何かに常にイラついていた。そんな感じです(今思えば、力不足な自分にいつもイラついていたのだと思います)。

 そんなこんなで、いわゆるキャンパスライフを過ごし、自分の学部を選択する進学振り分けの時期(東京大学は、学部2年生の時に学部を選ぶ)が来まして。まだ、自分が何をやりたいか分かっていなかったのですが、それでも、何となく自分は境界領域(ex、文系と理系の融合など)に興味があることを自覚しておりまして。

 理学部、工学部、様々な学部に関する情報を集めていたのですが、ビジネスとサイエンスの融合を謳っている学部は、どうも薬学部にしかないことが見えてきました。そこで、

「サイエンスは好きだし、ビジネスとサイエンスと両方をやれる研究室がある薬学部は面白そうだな。ってか、薬学部しかないっぽい」

 そう考え、薬学部に進学しました。結果的に、この決断は、その後の僕の人生を大きく規定する結果になりました。その場所で、恩師である木村先生に出会い、諸々教育を受け、その後、約15年の時間を経て、ファストトラックイニシアティブに入社することになります(なので、僕自身は、木村先生の投資案件の1つとも表現できます)。

※ 木村先生は、当時から東大薬学部の教授であるとともに、ファストトラックイニシアティブというベンチャーキャピタルファンドの代表を務めておりました

少し話は逸れますが、木村先生は、まだベンチャーキャピタルのお金が、「雑金」と揶揄されるような時代、ただでさえ難しいライフサイエンス領域のベンチャー投資に挑んでいたわけで。そのパイオニアっぷりは、素直にすごいなと思います。

さらに、そんなパイオニアっぷりに加え、木村先生は教育者としても学生を刺激し続けてきたわけで。業界に与えた影響は大きいですね。現在、独立系VCで、ヘルスケア領域を手がける若手・準若手は、学生時代からのつながりが深く。当該つながりのきっかけは、木村先生が関係するイベントが作ってくれたものが多かったと記憶してます。

現在、東大理系出身のベンチャーキャピタリストは、どこかのタイミングで木村先生の授業を受けており。日本の最前線で戦う、ヘルスケアVCの関係性の基礎を構築した人間であったと言っても過言ではないと思います。

東大薬学部マフィア


薬学部は、サイエンスを幅広く学べる学部であることもあり。ヘルスケア領域における問題解決人材にぴったりな学部であったことも大きかったのかもしれません。関連して、近い将来、主にヘルスケア投資周りで、東大薬学マフィアなるイメージがついてもおかしくないなーと思っていたりするので。そんなエコシステム作りも、僕の将来の仕事の1つになればいいなーと考えてます。

他の言葉で置き換えれば、木村先生が果たしてきた役割を、僕なりのやり方で、学生たちに伝えていきたいですね。深津ゼミ的なもので。


学部生の時の2つ目の出会い:冨山和彦先生


これだけでも十分な出会いなのですけれども。その木村廣道が開講してくれていた授業において、さらに自分にとっての衝撃的な出会いがありました。

冨山さん


ビジネス界隈では有名人なので、ご存じの方も多いと思うのですが。その後、経営共創基盤というコンサルティングファームを立ち上げた冨山和彦さんが、授業に来たんですね。当時は、まだ、経営共創基盤を立ち上げる前で、産業再生機構に在籍されていた頃でした。

法律用語に触れたこともない理系学生でしたから、「債権圧縮・放棄って何?」「デットエクイティースワップって何?」みたいな状態でしたけれども。本質的なテーマが含まれていることは直感的に感じ取りました。

とにかく、その授業に圧倒されまして。ただでさえ、経歴がピカピカ(在学中に司法試験合格、スタンフォードMBA、にも関わらず、法曹にはならずにビジネスの世界で第一線)。そうであるのに、語り口は、痛快で歯に衣着せぬ表現のオンパレード


・人間は、所詮インセンティブの奴隷。人を変えるにはインセンティブ
 を揃える
・サラリーマンの仕事の多くは、上司のピー●●●●ピー(深津による自主規制)
・銀行ってのは、晴れの日に傘を押し付けて、
 雨の日に傘を取り上げるところ


今でこそネット(NewsPicksやグロービス知見録)で冨山さんの講義を気軽に受講できる時代になりましたが。15年前はライブ配信がメインですから。ライブで受ける講義に強い刺激をもらう時代でした。

収益性と東大生


極めつけはこのスライド。東大出身の役員が増えれば増えるほど、企業の収益性が下がるというグラフ。イノベーションを起こすのに必要な要素は、多様性と異質な存在。

冨山さんが語っていることは、過去からずーーーーっと言い続けてきたもので。最近の書籍でも同じことを繰り返されてますよね。
本当、変わらない本質。

授業が終わる頃には、痛快を通り越して、ポカーンでした。
「こんなに話が面白くて本質を突く人がいたんだー」そんな衝撃。
学生あるあるで、魅力に圧倒され、どうやったらああいう人になれるんだろう? 授業が終わった後は、ぼーっとしながらそのことをずっと考え込んでしまいました。さらに追加で、「このままじゃイケてない自分で終わってしまう」と危機感を与えてくれた瞬間でもありました。


自分の限界への自覚と直感(π型人材への挑戦)

自分の進路を検討する上で刺激を受ける授業が多かった、2年生、3年生の頃は、(当時、付き合っていた彼女にこっぴどく振られた時期であったということもあり)自分を見つめる時間が長く。

・自分の特技である、表面的な要約・プレゼン能力だけでは、
 早々に限界が来ると予感
・トレンドである、日系大手・外資 → MBA → 起業や海外駐在や昇進争い のようなありがちな進路は、何か違う気がする(辿り着きたい場所にたどり着けない予感がする)
・かと言って、何か、いますぐやりたいことがあるわけでもないし。。。

それこそ、僕が小説に書いたような次の会話を一人で内省している感じでしょうか。

あれ、何したいんだっけ?


そんな内省をぐるぐるぐるぐる繰り返しておりました。そんな時、ちょうどロースクールが出来たわけですね。今では信じられないことですが、2000年代前半は、夢のロースクールが出来ると話題でして。ロースクールに通って司法試験を受験すれば、7割が合格できる。そんな謳い文句で始まった制度でした(その後、見事にその期待は裏切られ、多くのロースクール生の人生が狂わされることになりました。このひどさについてはいくらでも語れることがあるのですが、それはまた別の機会に)

ぴーんと来るものがありました。その理由は、自分の短所を潰しに行けるチャンスになるかもしれない!そう閃いたからです。

感覚的なことですが、

長所を伸ばし続けるだけでは勝てない。短所がどこかのタイミングで律速になるから、短所を潰しに行けるタイミングで潰しておきたい。細かいことが苦手な自分は、ロースクールに行って粒度の細かい思考を身につければ、高いところに行けるかもしれない。

そう思ったんですよね。後から言語化すれば、専門性を2つ持つことで、今まで誰も挑戦したことのない領域に踏み込めるかもしれない。そう考えたんだと思います(当時は、うまく言語化する能力がありませんでした)。

理系から文系


その後、他学部の授業だったり、イベントの講演だったりで冨山さんの授業を複数回受ける機会に恵まれまして。授業後に、聞いてみたんです。

「司法試験に合格すれば面白いことできたりするのでしょうか?」

すると、冨山さんは、

「通行証としては、便利だと思うよ。霞が関の人と仕事もしやすくなるだろうし」

とのこと。

当時は、予備試験が存在せず、弁護士になるためにはロースクールに進学して、新司法試験に合格するしかない時代でした(なので、今とは異なり、どんなに最短ルートで司法試験に合格したとしても、弁護士になれるのは25歳の時代でした)。同時に、新司法試験の合格率は、7,8割程度と謳われていた時代で(それが嘘だと分かったのはだいぶ後になってのことでした。。。。もしも合格率が低いと分かっていたら、法科大学院に進学することは選ばなかったと思います)。暗記が得意ではない自分も、法科大学院経由だったら合格できるかもしれない。ライフサイエンス業界で、冨山さんみたいな活躍ができたら面白いかもしれない、それこそ、産業再生機構じゃないけれども、日本再生機構(仮)みたいな組織の代表を目指すのは面白いかもしれない!!

そう考え、自分の直感を信じ、法科大学院へ進学することを決意しました。本当に直感ですね。そこには、明確なロジックや理由はありませんでした。誰もやったことのないことに挑戦できるかもしれない。そんな可能性に懸けた決断でした。

人生の暗黒時代:法科大学院から司法試験


その後、法科大学院で人生の暗黒期を過ごすことになるわけですが、そんな暗黒未来は全く想像できず。法科大学院時代は、社会的な死と隣り合わせの日々でした(法律がいい意味で頭を洗脳してくれるまで、どうしても時間がかかってしまいました。同じ悩みを抱えている人は多かったように思います)。進路選択を誤ったと思うくらいに。

運よく合格できたから、今こうしてnoteを書けているわけですが。僕にとって、法科大学院在籍期間と司法試験受験期間は、自分の命を懸けて戦った日々でした。これだけで、1つ、noteの記事を書けるくらい自分の中で重たいテーマです。

今回のnoteの趣旨からは外れますので、簡単に概要を示すと、こんな感じです。松井秀喜選手の全ホームラン集を見ると、今でも受験生当時の戦っていた自分を思い出します。

暗黒時代

松井秀喜


ただ、最近は、映像を見るたびに自分に問いかけをするようになりました。


あの頃みたいに、俺はちゃんと戦っているのか?


もう二度と受験生時代には戻りたくないのですが。受験生時代の僕は、とにかく、倒れるにしても前向きに倒れることだけを考えていて。その姿勢だけは、今の自分では勝てないかもしれないな。そんな風に懐かしく思いつつ、今の自分に発破をかけつつ。そんな複雑な気持ちで、松井秀喜選手のプレーオフでのホームランを見るようになりました。

多分、僕はVCに向いている

 さて、その後諸々を経てたどり着いたのがVCという仕事で。VCとして本格稼働し始めてから約3年が経過。この業界に飛び込む前は、「この業界でやっていけるのだろうか」と不安は感じていましたが。結論としては、超向いてました。多分、天職です。自分にしかできないこと、自分ができること、他人から求められること、多くのことが合致していて。

「ああ、自分はこの仕事をするために生まれてきたんだろうなー」

と、日々感じるくらいに、この仕事への適性を感じております。

もちろん、投資家であるが故、結果が全てで。つまり、投資で結果を出せなければクビです。このあたり、スポーツ選手と同じですね。僕自身も強制的に投資家を引退させられることは、常に覚悟しております(ベンチャーキャピタルとしてうまくいかなくなったら、ベンチャーキャピタルでの経験を活かして、ヘルスケア領域を中心に資本政策、調達、VCとの交渉、各種リーガル事項を総合的にコンサル&アドバイスできる事務所を設立して、食べていくつもりです)

そういうプレッシャーがかかる仕事でも、自分が向いていると思う理由は、

・ベンチャーコミュニティーの本質である、嘘と欺瞞と悪意に耐性があるし、楽しめている

と感じているからです。語弊があるかもしれませんが、投資業というのは常に人の悪意に晒され続ける仕事でして。特に、この「悪意」を楽しめるかどうかが、投資家として向いているかどうかの分水嶺のような気がしております。

どういう人がVCに向いているかについては、また別途記事を書くつもりですが。VCに向く人は、このように少し変わった人なのだろうと思います(周囲を見ててもそう思います)。


法律家の素養が、投資で役立つ理由

 VCに向いている人と悪意との関係について。少し寄り道ですが、法律の話を1つ。

 僕は、法律が苦手でかつ嫌いなタイプの人間なのですが。それでもロースクール時代、「この法律は楽しいな」と思う法体系が1つだけありました。それは、「ローマ法」です。

ロカティオコンディクトやらボナフィデースやら、聞いたことのない単語のオンパレードの授業だったのですけれども。授業の本質は、

「どういう状況や方法が、人の悪意を引き出すか」

ということにあったと理解しております。他にも、相続が血と金のカクテルであるだとか、二重構造の罠だとか、現代社会にこそ必要な視点だなあと思いながら授業を聞いておりました(この先生の「記号論」という授業も含め、今でもノートを見返すのはこの先生の授業くらいでしょうか)。

そして、現在、ロースクールの授業の中で、VC業務に一番活きていると感じるのは、実は、このローマ法の授業です。僕は、まだ全て読み切れていないのですが、このローマ法の先生が書かれた書籍は、今でも購入して読むくらいなので。かなり頭は使いますが、アカデミックでとっつきにくいものも、実世界でダイレクトに役立つことがあるのだなーと、びっくりする経験でもありました(ex、ローマ時代の奴隷契約のスキームと、現在の組合契約のスキームとの比較)

辛かった法科大学院時代の学びも、今、少しずつですが、活きてきているのを感じます。僕のVCとしての素養は、知らないうちに法科大学院在学中に磨かれていたのかもしれません。

疲労的挫折とこれから

さて、超長文であるこのnoteも最終章ということで。ここまで書くと、何だかんだ導かれるようにしてVCになり、当初目指していたように文理融合の仕事もできていて、悩みなんてないのでは? と思われる方もいるでしょうか。特に、初対面の人にしてみれば、至って順調にストレートに人生を歩んできて、キラキラじゃん?みたいに。

ただ、大学受験から司法試験から就職活動から、落ちまくってますし、留年しまくってまして。その結果、本当だったら経験すべきことを経験できず、もっと高いところを目指せたのに目指せなくなってしまったかもなあと感じることはとても多いです。

例えば、20代で、勢いも体力もある時代を全部勉強に費やしてしまったようなものなので。仕事で量をこなすことを経験できませんでしたし、もう少しファイナンス部分の知見を深めたかったのに、その時間がありませんでした。加えて、せっかく英語を勉強してきたのに、留学するタイミングを逸し、年齢的にも今から通常の留学は難しくなってしまいました(特に、ヘルスケア領域を極めたいならボストンへの留学は必須であるにも関わらず)。

努力できる環境があっただけで、素晴らしく恵まれていたのは間違いないのですが。それでも、自分が失ってきたもの、得ることができなかったものは、冷静に分析しております。

ただ、上手くいかなかったことに目を向けてもしょうがないので。少しでも、いい方向に持っていけるよう、今後も自己研鑽と前向きな姿勢を忘れないようにしたいと思ってますし、せっかくなら悲壮感溢れる感じではなく、楽しく日々を過ごしていくことを意識しております。

受験生時代の自分の手帳を読み返していると、強がりも含めてでしょうが、印象的な言葉が残ってました。約10年前の自分に発破をかけられてますね。


上手くいかないことだらけだけど、あきらめない。何だよ、あれだけボロボロで、どうしようもない状態だったのに。全然大丈夫じゃないか。そういう雰囲気を姿勢と結果で見せるんだ!! このつまずきをきっかけに、どんどんダメになっていくのか。それとも、このつまずきをきっかけに、どんどんV字で伸びていくのか。それは、僕の努力と姿勢次第だ。


自分は、まだやれると思え、周囲に貢献できる力が残っている限り。誰もまだ登ったことのない山にアタックをかけ続けたいですし、冒険記を書き続けたい。そう思ってます。冒険記を書き続ける意思と覚悟と確実な実力。とても難しいことなんですけどね。

普通の人の普通の幸せを作るため、僕は普通ではないことを続けるつもりです。良い未来を創るため、このメッセージがどこかで誰かに届くことを信じつつ。


メッセージ:VCが起業家を選ぶのではなく、起業家がVCを選ぶ時代となりました。当然のことながら、我々キャピタリストは、命をかけて産業・未来を創ろうとする起業家と常に対等でいる必要があります。未来を創るため、誰も登ったことも見たことも無い山にアタックしなければならない時が必ず来るでしょう。その時、互いの命を預け合うシェルパとして、仲間として、貢献するための準備はしてきたつもりです。
一緒に、誰も見たことも聞いたこともない未来へアタックをかけませんか? 日本であれ世界であれ、何かを少しでも良い方向に変えるために。

ああ、自分が理系と文系と両方を志した理由は、この時のためだったんだなって。いつか来る、その日のために。

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