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夫婦別姓訴訟と最高裁(最高裁は果たして無能なのか?)

アメリカ判事RBGのように裁判官が表に出てくることが少ない日本では、司法が話題に挙がることは少ないですよね。今回の夫婦別姓訴訟は、久しぶりに一般の人も司法判断に注目した事案だったように思います。

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ところで、彼女の、反対意見の述べ方はかっこいいですよね。数か月前、日本でもドキュメンタリーが放送されていたので、今こそ再放送してほしいところです。マイノリティー・女性問題に関心がある方は、これを機会に彼女の人生と戦いっぷりを見ても良いと思います。マイノリティー・女性がどうやって権利を獲得していくのかについて、理解が深まると思います。Netflixにもあるようですね。

日本で、彼女のような存在が出てくるのは、(日本の司法の慣行上)しばらく難しいかもですが。。。

さて、枕の話はこれくらいにして、本題に入ろうと思います。


はじめに

 今回、夫婦別姓訴訟について、いろんな人が法律論でしたり、各裁判官意見の意味でしたり、しっかり解説してくれておりますので。詳細な議論については、そちらの専門家の方にお任せいたしまして。

 「何で、こんなに一見不合理な判断が最高裁で下されたわけ?」

という素朴な疑問に答えるnoteを書いてみようと思います。今回の記事は、僕が学生にした講義をベースにしておりまして。理系の人が得意なように、極力、系を単純化して記述することを心掛けます。興味持っていただける方がいたら嬉しいな。

それでは、はじまりはじまり。


判断背景~つまり、裁判所は立法機関ではない~

 さて、皆様、小学生から高校生にかけてのどこかで学んだであろう、三権分立について思い出していただけますでしょうか。

三権分立とは何か


 今回の、最高裁の判断理由を一言でまとめると、

「いや、夫婦別姓を実現するのは、法律を作る国会の役割で裁判所の役割じゃないから。あとは、国会でやってください」

ということになります。上の図に基づいた判断がされただけと言いましょうか。裁判所が、立法にまで踏み込んだ判断をすることは稀ですので。法曹関係者からすると、今回の最高裁の判断は、強く予想されていたことで、まあそうだよねー、くらいの感じだと思います。


判例・司法とは何か

さて、ここで、最高裁が出す判例の意味について検討します。語幣を恐れずに言い切ってしまえば、最高裁が、既存の法律体系に「No」と突きつける場面は、極めて稀です。故に、最高裁が憲法違反の判断を下す時は、よほどの緊急事態です。僕なりに最高裁の判断軸を言語化しますと、

・社会変容に法律が追い付かず、かつ、改善の見込みが絶望的なときで、超やべー時

となりましょう。この状況を図式化すると、次のようになりましょうか。


誤字修正判決とは何か


こう書いてみると、夫婦同姓が強いられる現状に憤る方は、次のように思われるでしょう。

「いや、社会の変容半端ねーし、夫婦別姓は相当実現しなさそうだし。この場面で最高裁が動いてくれないと絶望的っしょ?」

ええ、僕も個人的には、夫婦別姓はさっさと認めるべきだと思ってますし時代遅れもいいところやんと感じてますが。最高裁の判断基準は、イメージ化すると次のような感じです。

・最高裁は、結構やばい事案くらいでは動かない

一方で

・最高裁は、超やべー事案だと動く


では、ここで、最高裁が動いてきた、超やべー事案を2つご紹介いたしましょう。


尊属殺重罰規定問題

今から読むと、こんな恐ろしい条文が刑法に存在したのか。。。。という感じでしょうが。かつて、日本にはこういう刑事罰を定めた条文がありました。


刑法200条:自己又は配偶者の直系尊属を殺したる者は死刑又は無期懲役に処す

簡単にまとめると、「親殺しは、死刑か無期懲役」という重たい刑罰を定めた条文だったのですが。昭和のある時、次のような事件が起こりました。

・20代の女性が、父親の首を絞めて殺害


これだけシンプルに記載すると、この女性が、死刑か無期懲役になっても仕方ないかもしれないと思われるでしょうが。次のような背景事情があったらいかがでしょうか?


・この女性は、幼い頃から父親から散々暴力を振るわれてきた
・しかもこの女性は、父親からレイプされており、妊娠した当該父親の子供を数回堕胎している
・20代になり、ある男性と結婚したいと父親に申し出たら逆行され、暴力を振るわれる
・もう父親を殺すしか、自分の身を守る方法はないとして、父親を殺害


どうでしょう、この背景事情を踏まえても、この女性を死刑か無期懲役にするのが相当だと思いますか? ふざけんなって感じじゃありませんか?


このままでは、この女性は刑務所行きだということで、弁護人は、超頑張り、この旧刑法200条が憲法違反だと主張したわけですね。
(この弁護人の話は、中々に感動的な話で授業ではよく紹介するのですがここでは割愛。刑事弁護人スピリッツに溢れていて大好きな話です)

詳細は省きますが、結局弁護人の頑張りが通用し、この女性には執行猶予がつくことになりました。裁判官も、刑法200条は憲法14条違反だと判断し、間もなく、国会を通して、この条文は削除されるにいたりました。

尊属殺重罰規定


令和の現代、親が子を虐待することは当然のように認知されるようになりましたが。しかしながら、昭和の時代は、そんなことはなく、むしろ、親不孝な子供(親に暴力を振るうけしからん子供)が多いという認知の方が強かったということになります。その背景事情に対して、上記最高裁が一石を投じたということになります。

当時の時代背景詳細は僕も分かりませんが、コンプライアンスなんていう概念がなかった時代です。親が子を虐待するのは昭和時代の方が日常的だったのではないでしょうか(愛の鞭と称して暴力を振るう)。有識者の中にはそのことを認識しつつも、社会の認識が変わらないことへのもどかしさを感じられていた方も複数いらっしゃたのではないかと。

この尊属殺事件についても、散々多くの弁護人が「憲法違反である」とトライしてきた条文でありますが。ことごとく最高裁から、蹴られてきたわけです。昭和25年、最高裁判所は、こんなことを述べております。

「(前略)夫婦、親子、兄弟等の関係を支配する道徳は、人倫の大本、古今東西を問わず承認せられているところの人類普遍の道徳原理、すなわち学説上所謂自然法に属するものといわなければならない」

つまり、親殺しを重く罰するのは当然じゃね?と言い続けてきたわけです。その考え方が変わるまで20年以上(昭和25年→昭和47年)かかりました(その間、この女性のように、親に虐待をされてきて仕方なく両親を手にかけた多くの方がいらっしゃったのだろうと想像します)

これが超やべー事案1つ目。


非嫡出子相続問題

これは、比較的最近ですね。というか、最近までこんな条文が許されていたのか?と驚かれる方も多いはず。憲法違反判断がされたのは、次の条文です。


・旧民法900条4号
四  子、直系尊属又は兄弟姉妹が数人あるときは、各自の相続分は、相等しいものとする。ただし、嫡出でない子の相続分は、嫡出である子の相続分の2分の1とし、 父母の一方のみを同じくする兄弟姉妹の相続分は、父母の双方を同じくする兄弟姉妹の相続分の2分の1とする。

平たくまとめますと、「愛人の子供の相続分は、正妻の子供の半分」ということを定めていた条文でした(分かりやすく男性目線で記述します)。

すなわち、生まれてきた子供は、自分は何もしていないのに、「お前は正妻の子供」「お前は愛人の子供」のように区別して、相続分で明確に区別する。つまり、生まれながらに子どもに対して負の烙印を押すことを許容してきたわけですな。

非嫡出子相続分判決


この条文は、ずーーっと憲法違反の疑惑をかけられ、何回も弁護士がこの壁に挑んでは破れを繰り返してきました。この最高裁判決が出たのは、僕が司法試験に合格した後のことですが、僕が受験生だった時代から、多くの学者の先生や弁護士は、

「この条文が削除されるのは時間の問題」

と口を揃えておりました。結局、強い違憲の疑いをかけられてから削除されるまで約20年くらいですかね。1回目に最高裁で退けられたのが平成7年のことですから。提訴からの期間を考えると、やはり20年くらいかかりました。

これが超やべー事案2つ目。


最高裁のタイムラグ感覚は、約20年

 ここまでの客観事情を踏まえ、超私見を述べます。最高裁の裁判官の感覚は、いい意味でも悪い意味でも浮世離れしていると考えて良いと思います。通常の社会生活を送っている人が、「これおかしくないっすか?」と気付き、散々、活動をして最高裁の前で退けられる。その敗北から20年経ってようやく最高裁が動くイメージです。

 ゆえに、今回の夫婦別姓について、令和20年頃にもう一度最高裁で判断されることになったら最高裁も憲法違反判断をする。その可能性が高い気がします。

 「おいおい、ふざけんなよ、そんな待ってらんねーよ。裁判官は何を考えてるんだ?」と思われるでしょう。はい、僕もそう思いますし、一刻も早く国会で立法解決すべきですね。

 パフォーマンスでもいいから違憲判決を書いて欲しかったなあと個人的には思いますが、今回の裁判官の判断は、それなりに合理的だなと思っております。次のスライドをご覧ください。

職業裁判官


 これを見るに、ずーっと純粋培養で法曹になり、一度も民間企業で働いたことがないような裁判官は、全員合憲判断。一方で、元弁護士や元検察官で、社会経験をしている人は反対する傾向がある。

 これを見ると、「だから、純粋培養裁判官はダメなんだ。社会のことを全く知らない。欧米のように社会人経験を踏ませてから裁判官への道を開かせるべきだ」というメッセージが読み取れるようにも思えますが。

僕には、

「そうなんです。私たち純粋培養裁判官は、社会・世間知らずなのです。だからこそ国会に任せるのです」

と、冷静な割り切った判断のように読めました。

さらに、個人的な妄想を膨らませますと、最高裁の裁判官は、「超やべー問題」の中でも国会で政治家が取り上げなさそうな問題、つまり、立法解決があまり望めない分野になって初めて違憲判決を出す傾向があるように思えます。

超やべー問題でピックアップした、尊属殺問題や非嫡出子の問題は、あまりに事例となる数が少なすぎて(つまり、国会議員の立場からすると票につながらなさ過ぎて)、国会で取り上げることに対し、あまりインセンティブにつながらないだろうことは想像つくでしょう(例え、それが人権上極めて重要な問題だとしても)。

一方で、女性の夫婦同姓問題はどうでしょうか?僕は、国会議員をうまく巻き込んでロビイングさえきっちり遂行できれば、数年で立法解決される可能性はあるように感じております。最高裁の裁判官もそのことを匂わせるように、今回の決定で次のようなことを書いております(最高裁が、接続詞で「なお」と書いた際には、その後大事なことを述べるシグナルなのです)。


なお、夫婦の氏についてどのような制度を採るのが立法裁量として相当かという問題と、夫婦同氏制を定める現行法の規定が憲法24条に違反して無効であるか否かという憲法適合性の審査の問題とは、次元を異にするものである。本件処分の時点において本件各規定が憲法24条に違反して無効であるとはいえないことは上記のとおりであって、この種の制度の在り方は、平成27年大法廷判決の指摘するとおり、国会で論ぜられ、判断されるべき事柄にほかならないというべきである。

補足ですが、夫婦同姓以外の問題で、違憲判決が出る可能性が高い問題としては、上記ロジックに基づけば、僕は、「同性婚の可否」や「性転換の要件」の問題だろうと考えております(すでに多くの裁判が行われており、判断も積み重なってきている)。立法解決がより望みにくい事項だと推測されますので。このあたりは、発展事項でした。

海外に比べ、日本は遅れてる?

日本あるあるの意見でありがちな、海外との比較。
海外では、諸々進んでいるのに、日本は遅れている。。。と嘆かれる方も多いと思います。個人的見解を述べますれば、それでも、諸々の法制度を比較すれば、

「いや、日本は、かなりマシな方だな」

と感じるようになります。例えば、女性の社会進出が進んでいるとして、みんなが大好きなアメリカ。全体的に進んでいるイメージあるかもしれませんが、未だにいくつかの州では、妊娠人工中絶が許されてません(むしろ、妊娠人工中絶禁止が拡大している傾向があります)。

宗教上の理由もあるのでしょうが、僕の感覚からすると、望まれない妊娠であっても一切の堕胎を許さない、こちらの方が、よほど夫婦同姓を強制するよりもよほど超やべーように映ります。

また、同姓婚についても、アメリカでは、皆が皆、あっさり認めているような印象を持っているかもしれませんが、アメリカの最高裁判所の判断は、4対3でギリギリでした。薄氷の勝利です。そして、根強い保守層は、今でも同性婚に反対をしております。
(その理由は、日本と同じように、既存の家族観を害するなどがあるようです)

アメリカの同性婚訴訟

他にも、表現の自由や財産権などなど、多くの国では一長一短があるもので。僕自身は、日本だけが圧倒的に遅れているとは思えません。どの国もどこか凹んでいる部分があるもので。日本では、夫婦の氏だったり同性婚の問題だったり、それらの領域に凹んでいる部分が集中しているだけのことだと思います。


超やべーどころか、触れられない領域

さて、憲法に関する問題ばかり取り上げました。最高裁は、憲法判断をするところではありますが、憲法以外の問題の判断も当然します。

実は、最高裁は民事上や刑事上の超やべー事案に決定を下す、究極の機関でして。まさに、正解がない、恐ろしい事案がたくさんあります。

僕が、理系の学生への講義の際、紹介する最高裁の判断に、次の2つがありますが。どちらも、究極の判断を迫られており、それに対し、最高裁はまともな判断をしたなという印象を僕は持っております。

母親浮気事件


認知症鉄道事件

長くなりすぎてしまいますので、今回は解説を省きますが、最高裁はこれらの事案に関し、まともな判断をしている印象です(サイエンスは無視しても守るべきものは守った印象)。

なので、今回の夫婦別姓に関する決定も、(最高裁はチキンだなーという印象は持ちつつも)まあ、(諸々のことを考えると)妥当っちゃ妥当だなと思われます。

学生に限らず、講義で取り上げると必ず盛り上がる事案&解説ですので。昨年は、コロナで大学の授業が流れてしまったので。今年は講義できるといいなあ。

終わりに

 さて、元理系っぽく、ざっくりと系を単純化してお話しましたが。今回の最高裁決定に関する僕なりの理解を書いてみました。

 夫婦別姓が認められない理由は決して深くなく、単純に「昔にそう決めてしまったから」に尽きるように思います。一度決まった制度を変えるのが大変なのは、大企業に勤める方であれば容易に想像がつくのではないでしょうか。

この制度を変えるインセンティブを国会議員に付けることが今後の鍵になるのでしょう。
日本の最高裁は、良くも悪くもダイナミックな判断はしません。それを前提に我々は思考・行動をする必要があるのではないでしょうか。

ドキドキしながらの初めての弁護士っぽい投稿でした。


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