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アラスカ

旅が好きな人は、総じて星野道夫さんが好きだと、勝手に思い込んでいる私です。

そんな星野道夫さんが愛してやまなかったフィールド。

それがALASKA(アラスカ)です。


つい先日、遂に長年探し求めていた本を手にしました。

それが、この『ALASKA』(national geograhic society 1969年)です。

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United States of Americaから我が家へ、はるばる旅をしてきました。

御年52歳の本ですので、カバーの状態は決してよくありませんが、そこも味ですね。

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付録なのか、それともただの偶然か。

アラスカ州の地図も同封されていました。


どうして、私がこの本をずっと探していたかというと。

この本が、道夫さんをアラスカへ誘った本だからです。

19歳の道夫さんが、神田の古本屋で見つけた一冊の本。

それが、この『ALASKA』でした。

道夫さんの著書『アラスカ 光と風』にこんな一節があります。


”一枚の写真がいつのころからか気にかかっていた。

本を開くたびに、このページをめくらないと気がすまない。

アラスカ北極圏にある、小さなエスキモーの村の空撮の写真だった。

<中略>どうしてここに人間の生活があるのだろう。

そんな思いをおこさせる、まさに荒涼とした風景だった。”


それが、このページの写真です。

ベーリング海と北極海がぶつかる海域に浮かぶ小さな島、シシュマレフ村。

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この写真に心を突き動かされた道夫さんは、宛名も知らぬ首長宛に手紙を出します。

この時、他の村へも同じ内容の手紙を書きましたが、半分以上が宛先不明でもどってきたとのことです。

しかし、奇跡が起こります。

1973年4月、なんとシシュマレフ村から返信が届いたのです。

その夏、道夫さんは念願だったシシュマレフ村を訪ね、エスキモーの家族ウェイオワナ一家のもとで3カ月ほど生活をします。

その出会いと原体験が、道夫さんをアラスカへ導きました。

道夫さん好きには、あまりにも有名なエピソードですよね。


「アラスカでキャンピングカーの旅をして、オーロラを見たい」

これが私たち家族の夢です。

道産子なので、正直「水曜どうでしょう」に感化された部分もありますw

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話を戻して・・・。

思えば、私自身にとっても「アラスカ」は、どこか親近感が湧く不思議な土地でした。

てっきり、道夫さんの作品でアラスカに憧れているからだと思っていました。

もしくは、デナリで消息を絶った植村直己さんの影響かとも。

でも、実は私も「アラスカ」の原体験をしていたのです。


先日、母から子どもの頃に書いた絵を大量に渡されました。

いわゆる断捨離ですね。

当然、そのほとんどを覚えているわけもなく。

ただただ、

「ふーん。こんな絵書いてたんだー」

と、自分の書いた絵を眺め、めくっていたときでした。

小学2年生のときに、写生会で金賞をとった絵のコピーがでてきたのです。

おびひろ動物園での写生会でしたが、そのとき私はなぜか動物ではなく、遊園地にあるロケット型のアトラクションの絵を書きました。

絵を見て、ハッとしました。

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そうだ、この絵。

アラスカに送られたんだ・・・。

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そうなんです。

この絵、帯広市の姉妹都市、アラスカのスワード市に送られたのです。

当時、私はワクワクしました。

だって自分の絵が、未知の場所「アラスカ」に旅立ったのですから。

すっかり忘れていましたが、それが私にとっての原体験として残っていたのです。


自分より先にアラスカの地に降り立った、ロケットの所在は分かりません。

とっくに破棄されているか。

どこか倉庫の奥深くに眠っているか。


私とアラスカをつなぐ物語。

いつか、家族でキャンピングカーの旅をするときに。

スワード市でこの絵と再び出会うという夢が、

生きる喜びとなり、

私の胸をときめかせています。

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