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千夜一夜物語(アラビアンナイト) 前


見〜せて、あげよ〜う♪



空飛ぶ絨毯に乗って知らない世界を見せられた私に王子様が歌い出す。
煌く夜空の灯りがほんのり映える幻想的な街。
ムード満点、王子様の顔も近い。
そのまま顔を引っ掴んでその甘い顔と声の持ち主の精気を吸い込むような熱いキスを交わしたいが、まだ待つ。なんてったって私はお姫様。淑女様だからね。おっと私の出番が来るぞ。

A whole new world〜♪

「あ、ほぅるにぇぅわーー↑ーー↓〜るっ!」

2人だけの世界。側から見ればテレビと1人の世界。
デイケアの介護士の私の日々の楽しみである。
今日も中村の爺さんの家でせっせかせっせか介護に勤しみ、たまにケツを揉んでくる手をクレームが出ない程度にピシャリとやって、豚と玉ねぎともやしを焼肉のタレで炒めてご飯を2杯、発泡酒で流し込んで大きなゲップをかましたら、我が秘蔵のDVDコレクションの中からその日の世界を厳選する。

世間での31歳、独身、彼氏いない歴10年、小太り、近視、ペットもいない女への評価など知ったことではない。私にはアラジンがいて、アダム王子もフィリップ王子もいて、勿論これは私だけの王子たち。
お風呂に入って寝る準備をするまでの2時間あまり、私は毎夜お姫様なのだ。

「ゔあぁああぁ…っと」

お得用全国・秘湯巡り48パックの中から下呂温泉の香りを湯船にぶちまけて、肩まで浸かってホッと一息。我が憩いの時間だ。
お姫様から31歳独身小太り女に戻る為の儀式のような時間だ。
流石に鏡に映る色気のかけらもない自分を見てまでその世界に浸れる程、私は図太くない。

いち、に。

乳白色の良い温度のお湯に肩まで浸かって律儀に百数え出す。子供の頃からの癖、未だに治らない事の1つだ。

「はぁ…」

流石に痛すぎて声に出したりしないけど、やっぱり思ってしまう。
別に王子様でなくてもいいけども、誰かこの日常から救い出してはくれまいか。

じゅういち。じゅうに。じゅうさん。

爺さんの家で尻を揉まれながら体を拭いて下の世話をして、その日あった嫌な事を発泡酒で全て流し込まなくていい日々を、誰か私にくれまいか。

じゅうよん。じゅうご。

私とて10年前は同い年の彼氏の1人くらいいたし、その頃は幸せだった。気がする。
彼の部屋に呼ばれて、愛情たっぷりに(と少なくとも私は思っているんだけれど)抱かれる度に将来を意識したし、指輪の値段を調べたり、式場の場所なんかも調べたりして1人にししと笑みを浮かべて幸せに浸ったりしてた。

ただ。

あまりにも若すぎたのだ。

将来だとか、人生だとか責任だとか。

そんな事を背負うには、背負わせるには弱冠21歳の私たちはあまりにも未熟で。

互いを思いやったり尊重し合う、なんて概念をそもそも持ち合わせていなかったのだ。

はちじゅうく。きゅうじゅう。

私にはもう何もない。そもそも求めてはいけない。求めた時にやってくるあの押し寄せるネガティヴな感情に、対処法なんてないのだから。

「んどっこいしょっと」

浴槽からゆっくり立ち上がって、ミッキーさんのバスタオルで体を拭く。
久々にこんなこと考えてたら少しのぼせてしまったようだ。体が熱い。アイスでも買ってこようかな。

パジャマに着替えてクロックスをつっかけて外に出てみる。
10月の夜は散歩には丁度良い心地よい冷たい風が吹いていて、体と気持ちの火照りをスッと冷ましてくれる。
コンビニでパピコでも買って食べながら帰ろう。もう半分は明日の朝食べるんだ。

「んん?」

パピコをくわえて発泡酒が入ったコンビニ袋をぶらんぶらん振り回し、鼻歌混じりに帰路を歩いている時だった。

路肩に後部ドアを開けたまま路上駐車してある銀色のバンが目に入った。

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