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めちゃくちゃ愛することを、許して放っといてくれ


ここ数年、「誰かを思いっきり愛したい」という欲がすごい。
気まぐれな暴れ馬(そんな馬がいるのかは不明だが)のような感情なので、うまく制御する自信がなくて、なんとか外には出していない。


博愛主義の方向ではない。
有名人やアイドルを推すという感情とも違う。
生活の中で会って話せる特定の1人がいい。
愛されなくてもいい。
ただ自分が、とにかく夢中になってその人を愛したい。
こんなKinKi Kidsみたいなことを30代で叫ぶことになるとは私も思わなかった。


逆に「愛されたい」という欲は理解されやすい。
例えばドラマの中で、気の知れた友人たちとの飲み会の帰り道に「あ〜誰かに愛されてぇな〜」とつぶやく場面があったら親近感が湧くが、「誰かを愛してぇな〜」というセリフだと印象がずいぶん違う。どうしてそんな気持ちになったのか説明の描写がほしくなる。


おそらく私は、愛されることが恐い。
誰かに愛されると、安心と同量かそれ以上にプレッシャーを感じる。
愛されて嬉しい相手でも手放しで喜べず、興味がない相手でも無関心でいることができない。愛されると勝手に「期待」を感じるのだ。
『期待に応えなければフェスティバル』開催である。

フェスティバルを開催しない相手が望ましい。
私の「愛したい相手」の理想像はこんな感じだ。

・私が愛していようがなかろうが関係なく、私への態度が変わらない
・邪険に扱いはしないが、ほぼスルー
・マイペース
・気が乗ったら話し相手をしてくれる
・テンションがだいたい一定で落ち着いてる
・質問したら、感じたことを言語化してくれる
・考えが違っても否定しない、というか他人は違う個体だと思っているのでそもそも何も期待してない
・私が嬉しくても悲しくても別に関係ない、妙に共感したり慰めたりしない
・基本は放っといてくれる
・万人に対する基礎的な思いやりがある
・自分の好きなことをやって1人で楽しそう

…………いいなぁ。すごくいい。
好き勝手に箇条書きしながらニヤニヤしてしまった。後半の2つはただの理想のタイプになっている。
こういう人を愛して放っといてくれたらすごく嬉しい。
愛する行為を許してほしい。
で、放っておいてほしい。
これは世間から見ると、変わった欲望なんだろうか。


数ヶ月に一度こんな欲望が暴れて、矛盾や現実と葛藤していたら、週末に姉が姪っ子を連れて遊びに来たりするので姪っ子をめちゃくちゃ抱きしめてしまう。
姪っ子のことは心から(姪っ子ってこんなかわいいんかとびっくりするくらい)愛しているんだが、抱きしめて愛しても許してくれる存在は本当にありがたい。

ある程度の年齢になったら抱きしめるのは嫌がられるだろうから、今だけだ…と今から切なくなる。おばちゃんは君たちに嫌われたくないので、暴れ馬のような要望を少しずつ飼い慣らす方法を探そうと思う。



誰かと話したいけど1人でいたい。
他人が何を感じて何を考え生きているのかを知りたいけれど処理できるキャパは狭い。
自分が今感じたことが通り過ぎてなくなってしまう前に「あった」ことを記したい。

だから、私はTwitterやnoteにいるのかもしれない。

(TwitterのことをいまだにXと呼べない。どうしてだろう。Xって口にするのはなんか…格好つけてる感じがするので、もう少しかわいらしい名前に変えていただけるとありがたい。)

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