見出し画像

乳は隠れども、生涯説明クソババア

先日ある人に「隠れ巨乳だったんですね」と言われた。
初めて言われた言葉だったので、どう返したらいいのかわからず「これを隠れ巨乳と言うんすね…」としみじみしてしまった。初めて知るジャンルだった。

人生の大半をぽっちゃり体型で生きてきた私にとって、太っていることよりも胸が大きいことの方がコンプレックスだった。胸が大きいことが悩みだと言うといつも「嫌味かよ〜!」と言われた。だからあまり人には言えなかった。
胸が重くて苦しい。走ると揺れて苦しい。どんな服も胸があるとなんだか似合わない。高校のセーラー服は、胸が大きいとお腹の部分がパカーッと開いた状態になる。学生時代はずっと男子に巨乳とからかわれた。飲み会で酔っ払いに「ずっとおっぱい大きいなって思ってたんだよね〜!」と言われて気分が重くなっても、笑わなければいけない。初対面の人が、目を見て話す合間に胸元をチラ見する。
乳を小さくしたい。それは「かわいくなりたい」よりも強い願いだった。

社会人になって、ちゃんとした下着屋さんでブラジャーを買うようになった。試着室で、白手袋をつけたお姉さんが私の乳を寄せて上げる。そこはもはや乳ではない、乳周辺の肉という肉を手でかき集めてカップの中に詰める。「ここまでするんですね…!」と戸惑っていると、お姉さんは「ええ、こうすること胸が綺麗な形のまま垂れません!」と笑顔で答えた。
なるほど、と思った。
ワイヤーの中に肉を詰め、寄せて上げると乳がでかいと認識されるのだ。
逆をやればいい。寄せず上げず、精一杯垂らせばいい。
私はすぐブラトップを買った。キャミソールにカップが付いているタイプだった。

締め付けられる苦しさから解放された。息ができる。長時間座っていても胸が苦しくならない。お腹いっぱい食べても気分が悪くならない。あれは全てブラジャーだったのか。
「あんた綺麗な形の乳してるんだから、ブラジャー付けなよ。乳が垂れるよ」と姉に言われた。
「うん、今ね、乳を垂らしてるんだ」と答えた。

隠れ巨乳。それは乳についてのラベリングでは嬉しい部類だった。普段は乳がでかいと思われていないことを意味する。
あの頃より、私の乳は盛り下がった。ありがたい。

--- --- ---

人生で、言われた瞬間嬉しい!と手を叩いて歓喜したラベリングがある。
大学時代に言われた『説明クソババア』だ。

当時は有吉弘行さんが毒舌キャラとして有名人にあだ名を付けまくっていた。その日は確か恋人の家でテレビを見ながら課題をやっていて、ふと「有吉風にあだ名をつけてくれ」と頼んだ気がする。
すると、有吉さんが関根勤さんに説明ジジイというあだ名を付けたのをモジって「説明クソババアだね」と言われたのだ。
頼んでからあだ名が返ってくるまで、1秒もなかった。私は爆笑して喜んだ。

「あなたは10ある内の5くらいまで知ってる人に対しても、絶対0から説明し出す。」と説明があった。秀逸すぎて忘れられない。思い当たる節しかない。笑い転げながら「確かに…!」としか言えなかった。納得とワードセンスに惚れ直したものだった。

私がこの世で恐れているもの。
それは「誤解」だ。
誤解を生むのが怖い。耐えられない。誤解が原因で人々がすれ違うドラマは嫌すぎて見ていられない。

何かを人に説明する時、例え相手が5まで知っていても「私の認識が合っているか一応確認させてください。」と言って0から説明し出す。
時にはこの行動が吉と出る。勘違いや間違いを発見できて、大事に至らないこともある。すると私は味を占め、説明に拍車がかかる。
効率を重視している人にとっては耐え難いタイプだろう。私の性質で効率マンをイライラさせてしまった時は、凹みつつも「世の中は色んな人が関わってバランスを取っているんだ、」と自分を慰めながら対策を練る。

--- --- ---

社会人になり、仕事で人に何かを説明する機会が増えた。もちろん相性はあれど、「説明がわかりやすい」と言われることも増えた。
乳は隠れても、説明は止まらない。私は生涯説明クソババアだろう。それをいい方向に活かせる場面があるといい。自分のチャームポイントになるといい。

よく晴れた日、出先でこいのぼりを見つけた。
車を降り、土手をむりやり滑って柵の間をすり抜けてこいのぼりを目指して歩いていたら、とても歩きやすい道が近くに整備されていた。
そうだよな…!と思いながら服についた色々をはらった。

風を活かし、力強くビチビチと空を泳ぐ姿はまるで生きているみたいだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?