見出し画像

世界にブン殴られたい

去年の年末、本屋UNITEさん主催の『わかりあえなさを繋ぎとめる』というトークイベントを拝見した。
話すのは堀静香さんと永井玲衣さん。
生まれて初めてトークイベントというものを浴びて、お二人の殴り合いのような対話が、出てくる言葉の組み合わせが、脳みそにびりびりと効いた。

その中で、永井さんが「世界にブン殴られたい」と言っていた。
聞いた瞬間その言葉に私はブン殴られた。

それだ。 うん、それだよ。
何度も聞いているはずの音楽が、ある日突然刺さること。良かれと思ってやっていたことを、失礼なことだと言われた瞬間。青森の美術館で絵画を見た時の、言葉にできない感情。長年の友人の、意外すぎる一言。文章を書き始めたら、全く予想していない終着点にたどり着く現象。私は世界にブン殴られている。
それに出会いたくてしょうがない。
ブン殴られたいから、生きている。

-- -- -- -- --

小さい頃から、希望だけを歌う歌が嫌いだった。

世界はなぜこんなに不公平なのか。なぜ正直者が馬鹿を見るのか。昔からずっと、それに怒っていた。
身の回りの好きな人たちが理不尽な理由で傷つけられるのが嫌だった。いい人が酷い目に合うのは耐えられなかった。何も悪いことをしていないのに、なぜ。でも誰に聞いても、納得できる答えをくれなかった。
じゃあ諦めるしかないのか。世の中はそんなもんだと冷たい石のようになればいいのか。そんな世界で希望の言葉だけを歌われても何も救われなかった。

10代20代で付き合いたての恋人が盛り上がっている時期に「あなただけ」とか「ずっと一緒にいたい」と言われると興醒めした。そんな気持ちはすぐに移ろい互いが虚しくなるものだと思っていたからだ。

夢は必ず叶う。前を向いて笑って。君だけを愛してる。
そんな歌詞を聞く度に うそつけ、と思っていた。そのわかりやすい代表だと思っていたから、アイドルが嫌いだった。

私を熱くさせてくれたのは、この世の不条理を一緒に悩んだりもがいたりしてくれる言葉と、人の死をちゃんと考えさせてくれる言葉だった。
この世がどんなに不公平でも、正直者でありたい。それを諦めたくない。良いことをやれば良いことが、悪いことをやれば悪いことがその人に返って来ると信じたい。
そしてこの世がどんなに不平等でも、生きとし生けるものは全て平等に、いつか死ぬ。
それだけが、私が信じられる世界の決まりごとだった。



-- -- -- -- --

先日、テレビ番組『関ジャム』でBUMP OF CHICKEN特集が放送された。
小さい頃からとにかく音楽が好きで、姉の影響で小学生の頃BUMPのファンになった。藤原基央さんから紡ぎ出される歌詞がたまらなかった。それは本でもなく、ラジオでもなく、音楽だったからこそ体全部で言葉を感じられたのだと思う。

関ジャムで質問にゆっくりと、藤原節で答える姿を見て改めて思った。この方が紡ぐ言葉は、この世の不条理を一緒に悩んだりもがいたりしてくれる。人の死をちゃんと考えさせてくれる。そして、人の弱さを受け止めているからこその優しさに芯がある。正直であることや優しくあることを諦めさせてくれない。だから惹かれるんだと思った。

29歳で結婚してすぐ、旦那さんが仕事のストレスでうつになった。数ヶ月後には引きこもり状態になった。
私は家族としてどう彼を支えるべきか悩んだ。彼に何を提案しても断られ、見守ることに徹すると彼は攻撃的になった。
唯一、ホッと力を抜ける時間が夜中だった。彼が寝息を立てたのを確認して移動し、キッチンマットの上で休憩した。ある日ふと「音楽を聞こう」と思った。体も心も忙しくてしばらく聞けていなかった。iPodで好きな曲を再生したら、聞けなかった。

私は音楽が聞けなくなっていた。
何を再生しても聞いていられない。聞くのが辛かった。
自分の人生の中で歴代惚れた曲を詰め込んだiPod。どんな時も自分の人生の一部であり続けてくれた音楽が、なぜか聞けなかった。

この時の感覚をうまく言葉にできない。
どんな曲を再生しても辛くて聞いていられず停止ボタンを押した。穏やかで優しい曲も、歌詞がない曲も、全部だめだった。
耳が聞こえるのに音楽が聞けないなんて、考えたこともなかった。ショックだった。
音楽が聞けない状態はその後もしばらく続いた。

ある日、朝の情報番組に出ているアイドルがふと気になった。
メンバーにやたらとイジられ、腰が低くて身ぶり手振りが大きい彼は一体どんな感じで歌うんだろう。夜中のキッチンマットの上で動画を検索してみた。アイドルが歌う動画がたくさん出てきた。初めて見る世界が新鮮で、ずっと見ていられた。気づけば何日もアイドルの歌う姿を見ていた。思い出もない、メロディーにも歌詞にも何の思い入れもない、その時手放しで聞ける唯一の音楽だった。

関連動画に、ジャニーズWESTというグループのラジオが出てきた。たくさんメンバーがいるらしく、誰が誰かよくわからない。関西弁でテンポよく話す彼らの話は面白かった。名前も顔も知らないアイドルのラジオを毎晩聞いた。夜中に少しだけ、ふふっと笑う時間ができた。それはとても大きな生活の変化だった。

旦那さんと何度も話し合い、私たちは離婚した。実家に帰った後の彼は落ち着いた日が多くなり、本来の優しさが垣間見れるようになった。嬉しかった。その姿を見て、きっと彼には私ではなかったし、私には彼ではなかったんだと思った。
何が正しかったのかは今でもわからないけれど、また彼の幸せを心から願えることに、私は安心している。

いつの間にかジャニーズWESTをとても応援していた。ある日、濵田さんの歌声を聞きながら「この歌声であのバンドの曲歌ってほしいな」という感情が芽生えた。きっと似合う。歌詞はえっと…なんだっけ。iPodを引っぱり出してきてイヤホンをつけた。再生ボタンを押す。
ほら、やっぱり似合う。最高にいい曲だ。

音楽が聞けることが嬉しかった。

アンチだったアイドルの歌に、もう一度音楽を聞かせてもらった。

でかいこぶしで殴られた後のような、爽快感があった。




-- -- -- -- -- 

世界は日々、私をブン殴ってくれる。

服を購入して、付いているタグを読む。手洗いのみ可。なるほど洗濯機では洗えないのか。しかし母や姉が服の素材を読んで「ネットに入れて洗濯機で洗えるよ」と洗濯機に放りこむ。それを日向に干している。
いいんだ。世界はそれでも、いいんだ。

仕事は教わった通りの手順で進める。先輩のやり方を完璧にマスターし安心する。「こっちの方が早いよ」と別部署の方が荒技を見せてくれる。エラーを無視して先に進む。同じ出来栄えのものが半分の時間でできた。
いいんだ。世界はそれでも、いいんだ。

幼い頃、父と旅行に行った。ブラブラと周囲を探索していたらミカン畑を見つけた。「下に落ちてるミカン拾って食べてみよっか」とイタズラっ子のような顔で父が言う。
いいんだ。(ダメです)世界はそれでも、いいんだ。(本当はダメです)

私はなかなか「お手本」や「決まりごと」から外れることができない。その決まりごとは過去に自分で勝手に設定してきたことも多い。「遊び心」「臨機応変」「アイデア」なんて言葉はどれも、すごく眩しい言葉だ。

この世は驚きと不思議で満ちている。実は家族も友人も、自分と違う世界を見ている。違いを否定することなく純粋なまなざしで触れてみると、違うことは怖くないとわかる。私はこんなにもわからないことがある、ということがわかる。この世界には本当に色んな感覚があるんだってことがわかる。
もっと、私の凝り固まったガチガチの概念をブン殴って壊してほしい。壊れれば壊れるほど、戸惑いながらもどこか清々しく、私はまたつくられていく。

母から「おいしいハンバーガー屋さんでハンバーガー買って来るから、お腹を空かせて待っててほしい」というオーダーがあったので、ご飯をチンするのをがまんして岩下の新生姜をかじっていた。
やってきたハンバーガーは予想より50レベルくらい強かった。でかい。おいしい。しかしウエストが苦しい。
挫けそうになった時、姉が遊びに来た。
「ちょうどよかった!ねぇ、ハンバーガー食べない?」母が声をあげる。姉は食べると答える。
私も少し手伝ってもらおう。そう思って母の皿に目をやると、そこにはハンバーガーとは言いがたい何かが乗っていた。
細すぎる三日月状のバンズの端っこ。ちぎれた肉のかけら。もはや何なのかわからない卵の成れの果て。母が勢いよく皿に置いたのでソースは飛び出ていた。
これを…?これを人にあげるの…!?いくら家族でも失礼では…!! 私は慌てた。
すると姉は、躊躇なくそのハンバーガーとは言いがたい何かをまとめて持って食べ始めた。

いいんだ。世界はそれでも、いいんだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?