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うかつに近づいた結果、逆に遠くなってしまった三佛寺投入堂

鳥取県の三朝町に、三佛寺という寺がある。その奥院で、国宝に指定されている「投入堂」こそ、自分がいつか行きたいと思っている場所だ。

投入堂は、崖の窪みにすっぽり収まるように建っている。お堂を支える柱の長さが、土台となっている岩の形に合わせてまちまちなのも印象的だ。「どうやって建てたんだ」「そもそも何故こんな場所に建てようと思ったんだ」と思わずにいられない佇まい。名前の由来である「徳の高いお坊さんが法力で投げ入れた」という言い伝えもたまらない。

日本史の資料集で存在を知って、「いつか行きたいなぁ……」と思い続けて20年以上が過ぎた去年の夏、念願かなって三佛寺を訪れることができたが、投入堂にはたどり着けなかった。

そこに至るまでの山道が、とんでもなく険しいのだ。

「山道」と書いたが、二本足で歩ける「道」ではない。大木の根や岩を手がかりに急斜面をよじ登っていくので、もはや「クライミング」だ。転落の可能性が高いので、1人で登ることは禁止されているし、入山口で靴裏チェックまで入る徹底した管理体制が敷かれている(靴裏の凹凸がないと、そこで販売されている「わらじ」を履かないと進めない)。

そういったルールは事前に調べていたので、軍手や靴などはしっかり揃えていった。だが、登り始めてから大事なものを忘れていたことに気付く。それは自分のトレーニング。正直なところ、甘く見ていた。

もともと運動が得意ではないうえ、デスクワークでなまり切った85キロ超の体に、この山道は厳しすぎた。木の根を掴もうと腕を伸ばすと足が滑って落ちそうになるし、なんとか掴んだところで、今度は体を持ち上げられない。

汗でシャツの色が変わり、会話もできないくらい激しく息をしながら20分ほど登ったところで、それ以上進むのを断念した。

「下手すると死ぬ……!」

本気でそう思った。実際、ここではドクターヘリが出動するような事故も珍しくないようで、死亡例もあるとか。麓の境内に貼られていたポスターには「命がけの国宝参拝!」みたいなキャッチコピーがつけられていたが、別に誇張でもなんでもなかった。

なんとか下山し、三佛寺から5分ほど歩いたところにある「遙拝所」から投入堂を見上げたが,「念願の場所に来た」みたいな感慨はなし。「次に来るときは……」と、悔しさを噛みしめるだけだった。山を登ることなく,直接ここに来ていたら、また違ったのかもしれないけれど。

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実を言うと一般人は投入堂の中に入れないので,山道を登って近くまで行ったところで,遙拝所と同じように「肉眼で見る」ことしかできなかったりする。遙拝所から見たことを「投入堂に行った」と言う人はそれなりにいるだろうし,別におかしな表現でもない。

だが,途中で引き返した自分にとって,「投入堂に行く」ということは,「あの山道を登り切る」ことになった。高校球児にとっての「甲子園に行く」が,野球観戦ではなく,地方大会を勝ち上がることを指すのと同じかもしれない。

自分が投入堂に行くためには、体重を10キロは落としたうえで、さらにボルダリングジムなどにも通ったほうがよさそうだ。そう思って、鳥取から帰って以来、週に2、3回のジョギングを続けている。体重は5キロ減ったが、まだまだ先は長い。

うかつに近づいた結果、投入堂は逆に遠くなってしまった気がするが、行きたいと思う気持ちはさらに強くなった。いつかたどり着くために、今日も走ろう。

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