しあわせは、“1日の終わりにふたりで乾杯できること”。バルンバルンの森をつくった夫婦が教えてくれた、誰かと共に生きる意味。
どうして多くの人は、誰かと結婚したり、付き合ったり、パートナーシップを結んだりするんだろう?
そんな疑問をポツリとこぼすと、「考えすぎだよ」と言われる。だけど、考えずにはいられないのだ。
だって、「誰かと共に生きる」って大変じゃないですか?
著名人の不倫のニュースは毎日のように飛び込んでくるし、友人夫婦はバスタオルを洗う頻度についてのいさかいが、深刻な家庭内紛争につながったらしい。付き合って数日でフラれて、「自分は誰からも愛されない人間なんだ……」と苦悶する人もいる(これは僕の話です)。
そして、もし最愛の人とのしあわせな生活が実現できたとしても。いつかは別れがやってきて、どちらかひとりが世界にとり残されるのだ。
僕はそんな、いずれやってくるもめごとや別れがこわくて、「誰かと共に生きる」ことを避けてきた。
でももし、「誰かと共に生きる」人生を選ぶとしたら、そこにどんな意味があるのだろう?
そんな疑問を投げかけてみたい夫婦がいた。田代和徳さんと、じゅんこさんだ。
和徳さんとじゅんこさんは、結婚24年目。大分県の小さな森の中で、「バルンバルンの森」というキャンプ場を運営しながら、空間デザインやものづくりをする夫婦ユニット「キツツキ舎」としても活動している。
ふたりは、出会ってからの34年間、喧嘩をしたことがない。別れたことも、別れを考えたこともないという。Instagramで垣間見えるその暮らしからは、「誰かと共に生きる」ことのしあわせさがにじみ出ていて、なんだかまぶしい。
そんなまぶしさから目を背けずに、オンラインでのインタビューで、ふたりの生き方や考え方に触れてみたい、と思った。そこに、「誰かと共に生きる」ことの意味を考えるヒントがある気がして。
>大分県中津市でふたりが営む、ちいさな森のキャンプ場「バルンバルンの森」。リノベーションした9棟のタイニーハウスと、約20張ぶんのテントサイトのほか、ツリーハウスや読書室、カフェがある。
毎晩「今日もよく遊んだねぇ」と乾杯してる
--こんにちは! ……あぁ、素敵な場所にいますね。それはどちらですか?
和徳さん:「バルンバルンの森」にある、森の読書室「ヨムネルの巣」です。ここで本を読んだり、お昼寝したりできるんですよ。ハンモックもありますし。
>取材は、オンラインでおこないました。
--そこで読書できたら気持ち良さそうですね! コロナウイルスの影響で「バルンバルンの森」に伺って取材ができなくて、すごく残念です。
じゅんこさん:ねぇ。こうじさん、落ち着いたらぜひきてくださいね!
--はい、かならず。 でも今は、「バルンバルンの森」はコロナの影響でお休みしてるんですよね?(註:2020年7月18日から営業再開)
じゅんこさん:そうなんですよ。お客さんの安全のことも考えてお休みしています。でも、こんな時に不謹慎かもしれないけど、いますっごく楽しいです。
和徳さん:うん、楽しんでます。
--コロナの前より?
じゅんこさん:うん。ずっとやりたかったけどできなかったことができてるから。最近は家庭菜園をいじるのが楽しくて。
面積は3mかける4 mぐらいの小さい菜園ですけど、そこでいろんな野菜を。何種類ぐらいかな、10種類以上。一つひとつ看板を描いてね。「アスパラ」とか「ニラ」とか。
和徳さん:自分はものをつくるのが好きなんで、「バルンバルンの森」のものをつくったり、うちで使う家具をつくったり、石を積んだり。 昨日はご近所さんの玄関の建具をつくってました。
じゅんこさん:わたしはそのとなりで小鳥の巣箱をつくってたんです。
--キャンプ場が営業してたときはできなかったことができてるんだ。
和徳さん:そう。それで、毎晩ふたりで「今日もよく遊んだねえ」って乾杯して。そんな生活してますね。
じゅんこさん:うん。それが毎日ですね。だから今、すごく楽しい!
--心から「今がすごく楽しい」って言える人って、まわりにあまりいないです。前お話したときも、ふたりはすごくしあわせそうで。
だから今日は、どうしてふたりがそんなにしあわせそうなのか、ぜひ聞かせてください。
じゅんこさん:ぜひぜひ! うまく答えられるかわからないけど。
>この日ふたりがいるのは、森の読書室「ヨムネルの巣」。
「読む」と「寝る」から名前を付けているそう。
ふたりの世界観をかたちにできる場所を見つけた
--ふたりが「バルンバルンの森」をはじめたのは、見ず知らずのおじさんからの一言がきっかけだったとか。
じゅんこさん:そうなんです。和徳さんが自動車整備の仕事をやめて、家業だった林業をするために、ここ(大分県中津市本耶馬渓地区)に1999年に引っ越してきたんですけど。知らないおじさんに、「キャンプ場をやってみらんかい?」って。
和徳さん:名前も知らないし、もうどこで、どんなふうに言われたか覚えてないけど。
じゅんこさん:行政が管轄するキャンプ場だったんですけど、ゴミだらけで廃園寸前だったんです。
--それでも「やろう」ってなったのは、もともとキャンプが好きだったとか?
和徳さん:いやいや! キャンプはまったく興味なかったんですよ。
--ええ?!
じゅんこさん:完全なるインドア派です(笑)。
--……じゃあなんでキャンプ場を?
じゅんこさん:ここに来てみたら、桜の花が満開で、すっごく綺麗だったんです。
--桜が。
じゅんこさん:ええ。それで、「こんな素敵な景色の場所を、和徳さんとふたりで、自由に遊べる場所にしたいな」って思ったんですね。わたしたちの世界観をかたちにする場所に。
--キャンプ場をやりたかったわけじゃなくて、ふたりの世界観をかたちにできる場所が、たまたまキャンプ場だったんだ。
和徳さん:そうです。それから約20年かけて、コツコツコツコツ、思い描く場所をつくってきたのが、今の「バルンバルンの森」なんです。
ゆっくり楽しく暮らすために、会社を解散した
じゅんこさん:ただ、今でもですが、もともと行政が持っていた場所なので、最初からそんな自由にできなかったんですけど(笑)。
和徳さん:はじめは大変だったな。何度も行政に計画書を出して、正式にキャンプ場の管理委託者になったのはおじさんに声かけられてから3年後の2002年。まずは夏だけ運営してたけど、ぜんぜんお客さんがいなかったです。
じゅんこさん:和徳さんが林業で稼いだお給料を食いつぶす状態だったよね。
--お金の面でも、当時は不安じゃなかったですか?
じゅんこさん:それが、ぜんぜん不安はなかったんです。お客さんがこないこともわかって引き受けてたし、ふたりとも30代に入ってすぐだったから、あんまり将来のこと何も考えてなくてね。
それに、「バルンバルンの森」の仕事で食べていこうとも思ってなかったので。 今は食べて行けてるから、わたしもびっくりしてるくらいで(笑)。
--和徳さんが林業で稼ぎながら、「バルンバルンの森」をつくっていったわけですよね。
和徳さん:最初はそうですね。でも、自分が立ち上げた林業の会社を2016年に解散して、「バルンバルンの森」に集中することにしたんです。
そのときは一番お金がなかったな。お客さんもたくさん来てたわけじゃないけど、解散するって決めたんです。
--どうして会社を解散しようと?
和徳さん:ずっと嫁さんとふたりでひとつのことをやりたいと思っていたけど、当時の自分は林業が忙しくて、このままではいつまでたっても自分が望む生き方は叶わないと気づいたんです。
だから、自分らの心が求める世界をもっと大事にして、「バルンバルンの森」に専念することに決めました。
ふたりで、「決めること」をしてきた
じゅんこさん:そしたら、売上が上がってきたよね。「和徳さん稼げないんだったら、自分が稼げばいいや」って、わたしの気持ちのスイッチが入ったんです。
わたしが「こんなのがあったらいいよね」ってアイデアを出して、和徳さんがかたちにして。ツリーハウスとか石窯とかブランコとか、共同炊事場を改装してカフェにしたり。
とにかく、コツコツやってきたら、空間も良くなって、お客さんも増えて、スタッフも増えて……。バルンバルンの森の仕事で食べていけるようになってました。
>クリスマスの時期はグランピングも展開。
こだわりのディナーもオーダーできます。
--気持ちのスイッチが入ったことで、「バルンバルンの森」もどんどん育っていったんですね。
和徳さん:はい。覚悟を決めた、ってことかもしれないです。
じゅんこさん:うん。「決めること」はわたしたちにとって、すごく大事だよね。
--決めること?
じゅんこさん:わたしたち、いつもふたりで「決めること」をしてきたんですよね。キャンプ場をやることもそうだし、キャンプ場で食べていけるようにすることもそうだし。
--「決めること」って、みんなやっているように思えるけど、ふたりにとってはちょっと意味合いが違うんですか?
じゅんこさん:決めたことに対する意志は強いかもしれないです。「こうしよう」って決めたらもう、迷わない。実現するために、ただやるだけ。
決めて、楽しくやっていれば、ちゃんと実現するんですよね。「バルンバルンの森」が、今こうしてたくさんお客さんにきてもらえるようになったみたいにね。
毎日乾杯をするために生きてる
--ふたりの話を聞いてると「今この瞬間」を生きてる感じがするんです。過去のことを後悔したり、先のことを不安に思ったりしないというか。
じゅんこさん:うん。それはそう。わたしたち、「毎日乾杯をするために生きてる」感じがあって。
--毎日乾杯するために生きてる、っていうと?
じゅんこさん:さっき言ったみたいに、毎晩「今日ほんと楽しかったね。ありがとう」って乾杯してるんですけど。
日々のそういう、ちょっとじわっとした時間というか。そうゆうのが毎日あれば、それだけでしあわせだもんね。
和徳さん:そうそう。ふたりで充実した毎日さえあればそれで十分。
--目指しているものがすごくシンプルですね。
じゅんこさん:しあわせなことって、シンプルなことなんですよ。それができないくらい忙しくするのは違うなって思うし、多くのものを求めちゃうと、きりがない。 新しい車を買っても、また次の車が欲しくなるでしょ?
>ふたりは庭で食卓を囲むこともあるそう。
--うん。わかります。
じゅんこさん:だから、シンプルに、日々「楽しかったね」って乾杯できることを目指せばいいと思うんです。
和徳さん:今日いちにちで完結。過去も未来も考えない。基本、今日の自分が一番大好きなんです。
--今日の自分が大好き……。そう言えるようでありたいですけど、ついなにか足りないところを探しちゃったりしませんか? 「目標までには、まだここが足りない!」って。
和徳さん:そういうときはありましたよ。でも、自分らはなにか目標に向かっていく生き方が向いてなかったんですよね。
じゅんこさん: うん。目標を達成するためだけの道のりより、柔軟に、「今こうしたいからこうしよう」っていう寄り道をどんどん楽しみたいんですよね。
--それこそ、キャンプ場始めたのも壮大な寄り道だ。
じゅんこさん:ははは! そうですね。こんなになると思ってなかったもん。
後悔を残さないために、全力で楽しむ
--でも、ふたりならキャンプ場とは違うことをやっても、それはそれで楽しんでたような気がするんです。
和徳さん:そうですね。その日に悔いを残さないようにしてるから。
じゅんこさん:なんとなく、「いつ死んでも悔いが残らないように」みたいなことは意識してるよね。
--悔いを残さないために、なにか工夫はしてますか?
じゅんこさん:それもシンプルで、全力で楽しむこと。適当にやってると悔いが残るから。
--「バルンバルンの森」をつくることも、日々の暮らしも。
じゅんこさん:うん。でも、がむしゃらに努力するのとは違う。楽しんじゃうのが大事なんですよね。
和徳さん:そうそう。毎日を全力で楽しむことは大切にしてます。
でも、悔いなく生きれるようになったのも、だんだんですよ。前の自分は、日々悔いを残してたんじゃないかな。「なんであんな選択したのかな」とか、「なぜあいつはあれをしてくれないんだろう」とか。そういうことを思ってました。
--それがどう変わってきたんですか?
和徳さん:自分、ものづくりが好きなんですけどね。前は林業やってたんで忙しくて、適当なものばっかりつくってたんですよ。「これぐらいでいいだろ」って。
そしたら、あるとき長男が、自分が適当につくった靴箱を友達に自慢してたんです。「これ父ちゃんがつくったんや。すげえやろ」って。
その光景を見た時に、恥ずかしくなったんですよね。 「なんでもっとちゃんとをつくらなかったんかなぁ……」と。
--後悔したんですね。
和徳さん:ええ。適当につくったものが「田代さんがつくったもの」って思われるんだったら、それは不本意だなって。
そんな出来事があったから、つくるんなら下手でもいいからベストを尽くしたいなって。他人からみたらどうかということは、どうだっていいんですよ。 自分にとって後悔がないようにね。
じゅんこさん:うん。だから、この森について今できることは全てやろうと思ってます。上手じゃなくても、ベストを尽くして。今は全力で楽しんでるから、充実感が違うよね。
和徳さん:うん。だからいまは、毎日後悔がないです。
>手づくりのツリーハウスには、
絵本作家「THE CABIN COMPANY」の壁画が。
「この人と幸せになる」と決めること
--お付き合いを始めて、 結婚したのが……
和徳さん:28歳のとき。おたがい18歳のときに出会って付き合いはじめて、自分が19歳で自動車整備の仕事を始めて、一人前になったら結婚しようと思ってたんですけど。だんだん、「なにをもって一人前っていうのかもわからんな」と思うようになって、28のときに「もう結婚しよう」と。
--付き合ってから結婚までの10年は、きっと危機みたいなときもあったんですよね?
和徳さん:いやいや、別れたこともないし、別れようかって話になったこともない。自分ら、今まで喧嘩したこともないんですよ。
--えっと、出会ってから結婚するまで?
和徳さん:いやいや、出会ってから今まで。
--ってことは34年間、ですか?!
じゅんこさん:うん、そうです。
--……(すごいな)。
正直、他の人に目移りしちゃう、みたいなことはなかったんですか? 「もっと自分に合う人がいるんじゃないのか」って考えるとか。
和徳さん:考えたことないな。
じゅんこさん: わたしにとってこれ以上ぴったりな人いないですもん。
--なんでそんなふうに言い切ることができるんだろう?
じゅんこさん:「バルンバルンの森」のことと同じで、ふたりのことについても、「決める」ってことをしてると思うんです。
--決める。
じゅんこさん:つまり、「この人と幸せになる」って決める。一度決めたら、それ以外に選択肢は見ない。「この人とどう幸せになるか」だけを考えてる。
--「だれとならしあわせになれるか」を考えるんじゃなくて、「この人とどうしあわせになるか」を考えてきたんですね。
和徳さん:うん。そう。
じゅんこさん:そのほうが、しあわせになるための選択肢を探すより、しあわせに近づけると信じてるんですよね。
大切なことを実現する方法は、柔軟に変えていい
--「決める」っていうことが、ふたりのしあわせの秘訣なのかな、と思うんですけど、僕は「決める」ことが苦手で。
じゅんこさん:そうなんですか。それはどうして?
--なにかを決めるってことは、他の選択肢を諦めることでもあるじゃないですか。たとえば「キャンプ場をやる」ってなったら、「ケーキ屋をやる」ということを諦めなきゃいけない。その、「諦めをつける」のが苦手なんです。
じゅんこさん: ああ。うーん……。「決める」って、諦めることなのかなあ?
--……というと?
じゅんこさん:決めても、途中からまた新しく始めることもできますよね。いまはこれをするって決めたけど、「違うこともやっぱりやってみよう!」みたいに、どんどん発展していっていいと思う。「諦める」って言う感じじゃないんですよね。
和徳さん:そう。大切なことは変えないけど、他の事に関してはいつ辞めてもいい、みたいに思ってる。
--大切なこと以外は変えてもいい。
じゅんこさん:うん。わたしたちふたりで決めたのは、「ふたりで楽しく暮らすこと」。それを実現するための方法は、柔軟に変えたっていいんです。別に「バルンバルンの森」じゃなくてもいい。
--「バルンバルンの森」でさえも。
じゅんこさん:どっちかが楽しくないんだったら、変えたっていいじゃないですか。だって、「ふたりで楽しく暮らす」って決めたんだから。
だからよく、今のおたがいを知るために、「今楽しい?」とか「それってワクワクする?」とか聞き合ってます。
--「この人としあわせになる」ってことに向かって、ふたり日々調整してる感じがありますね。
和徳さん:そうですね。それで、「楽しくないんだったらここは変えよう」みたいな調整は、どんどんやってます。
>自宅にある、ハンモックがある縁側も、ふたりのお気に入り。
今のふたりなら、どんなことも楽しく乗り越えられる
--お互いにとって、相手はどんな存在なんですか?
和徳さん:そうやなぁ。なくてはならない存在。暮らしのことから仕事のことから、夫婦間でいろんなことが完結してるので。
じゅんこさん:うん。言うのも照れくさいけど、ふたりでひとつというか(笑)。変な話、ふたりでいれたらあんまりその他の関係を必要としないんです。ご飯食べる時も一緒に美味しいって言えるし、仕事の時も一緒だし、映画見て共感することも一緒にできるし。
和徳さん:夫婦であり、親友であり、兄弟でありみたいな感じですね。
--話を聞いていても、「ふたりでひとつ」な感じがありますもんね。おたがい、目を見合わせながら話してて。ちゃんと気を配りあってるというか。
和徳さん:そうかもしれないですね。
じゅんこさん:私もうまく生きられるほうじゃないけど、ふたりでいればなんでも乗り越えられると思ってるんです。それも、苦労して乗り越えるっていうより、面白がって乗り越えられる気がする。
和徳さん:それはあるな。
じゅんこさん:コロナの影響でキャンプ場がお休みになっても、たとえ来年ぐらいにすごい恐慌が起きても、楽しく暮らしてるとこしか思い浮かばないんですよね。
>森の中にあるカフェ「うたうように」も2人でリノベーション。
--恐慌が起きても?
和徳さん: そう。お金に対しても、気が楽になってきた。
じゅんこさん:前はお金のこと、考えるのがきつかった時あります。稼ぎ方がわからなかったというか。
でも今は、お金に余裕がある訳じゃないけど、ふたりでいればなんとかなると思える。もし「バルンバルンの森」がなくなったとしても、ふたりで楽しく生きるぐらいはどうにでもなりそうな感覚があるんですよ。
和徳さん:うん。根拠はないけど。
--根拠はないんですね。
じゅんこさん:根拠はない。けど、二人でコツコツ、34年積み上げてきたものって、絶対に裏切らないだろうなって。 そういう自信はあります。
ふたりなら、一生遊べる
和徳さん:あと、ふたりなら一生遊べるんですよ。
--一生遊べる?
和徳さん:遊んで暮らせるという意味じゃなくてね。遊ぶネタに尽きないというか。
じゅんこさん:うん。ふたりなら人生がより面白くなる。真剣になりすぎないんですよね。ストイックにやるんじゃなくて、寄り道もしながら、いろんなことを面白がれる感じ。
和徳さん:いなくなったら、なにして遊んでいいわからない。うちの嫁さん、「ワクワク増幅装置」みたいなとこあるんですよ。
--素敵な言葉ですね(笑)。
和徳さん:いつも楽しいことを見つけて、飛び込むんです。そういう人が一緒にいると楽しいですよね。
--34年間も一緒にいて、飽きないっていうのもすごい。
じゅんこさん:日々相手と自分の違いに気づくから、面白いんですよね。「えー、そうなの?!」みたいなこと、今でもありますもん。
和徳さん:朝ドラとか映画とかを一緒に観てても、同じ場面でも捉え方も違うもんね。
>「バルンバルンの森」の夜は、幻想的な雰囲気に包まれます。
パートナーがいるから、予想外の人生を楽しめる
--僕はここ何年か、「誰かと共に生きる」について考えていて。おふたりは、「誰かと共に生きる」ことの意味はなんだと思いますか?
じゅんこさん:そうだなぁ……。
わたし、大切な誰かと生きるからこそ、自分が想像できない人生を楽しめると思うんですよね。
--想像できない人生を楽しめる。
じゅんこさん:はい。想像できないことが起きても、それを楽しめるから、どんどん人生の深みとか、面白さが増していく。人生の色が鮮やかになっていくような感覚があります。
和徳さん:いいこと言うなぁ。
じゅんこさん:ははは!
--予定調和がない人生、なのかな。
じゅんこさん:うん。人生ってそうじゃないですか。来年のことも、明日のこともわからない。仕事はなにをしてるのかとか、お金はいくらぐらい稼いでるかとか、誰と仲がいいかとか、どんどん変わってくると思う。
--先が見えないことって、こわくないですか?
和徳さん:ひとりだとこわいかもしれないですね。自分らも、もともとメンタルがそんな強くないから(笑)。
じゅんこさん:そう、ひとりだと打たれ弱い。けど、ふたりなら良い方に捉えなおせるんですよね。「まぁ、飲もうか」って、ふたりで乾杯してね。なにかイヤなことがあっても、「何年かしたら笑えるよね」って、ネタになりますから。
相手がいなくなった日のことをは、考えてもしょうがない
--そこまでふたりで一緒に人生を歩んでいると、お互いがいなくなった日のことが不安になったりしないですか?
和徳さん:それは考えないです。今考えなくてもいいですよね。考えても、その時にならないとわからないから。
じゅんこさん:うん。 まだ起こってないことを不安に感じるって、時間がもったいない。だったら、今感じるものを感じたいなと思って。
--今感じるものを感じる。
じゅんこさん:今のしあわせを感じたいですね。お金も少ないなりにあるなら、ある方に目を向ける。足りないなって感じる時は、ないもの探してるってこと。
和徳さん:そういえば、自分の親父が死ぬ直前に、「今日のことは今日で終わり!」って言って死んでいったんですよ。
じゅんこさん:いい言葉(笑)。
--まさに「今を生きる」ことが、受け継がれてきたわけですね。
和徳さん:そうかもしれないですね。
じゅんこさん:うん。明日のことは明日考えればいいし、過去のことを考えてもしょうがない。「今日も楽しかったね」って、ふたりで乾杯できること。それだけを考えて生きてるんです。
和徳さん:だんぜん、そっちのが楽しいよな。
「思いがけなさ」に、身をゆだねる
「誰かと共に生きる」って、大変だ。
はじめに書いたように、思いがけない悲しみや、怒りや、不安と向き合わなきゃいけなくなる。ひとりで生きていたって思いがけないことはたくさんあるのに、「誰かと共に生きる」ことで、「思いがけなさ」はさらに増す。
でも、そんな「思いがけなさ」のなかにこそ、楽しさやよろこびがあるんじゃないだろうか。
なんでもない道で石ころにつまずいたことは、ひとりなら悲劇だ。だけど、誰かに話したら喜劇になり、ときにはロマンスになる。
だとしたら、石ころだらけの人生という道を、誰かと共に歩むのも悪くない。いや、だいぶいい。すごくいい。
そんなことを、和徳さんとじゅんこさんと話していて思うようになった。
今この瞬間の「思いがけなさ」に身をゆだねてみる。そうして起こったこと、感じたことを大切な誰かに話しながら「今日も一日、楽しかったね」と乾杯して、一日を終える……。
そんな妄想をしながら、僕はワイングラスをふたつ買うことにした。
▽「バルンバルンの森」の公式Twitterはこちら。
(2022年1月14日追記)
和徳さんとじゅんこさんが、バルンバルンの森をもっと素敵な場所にするためのクラウドファンディングをはじたそうです! 詳細は、以下のページをご覧ください。
サポートがきましたって通知、ドキドキします。