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手を繋ぎあえば、人の可能性が花ひらく。20年コミュニティに関わり続ける中島明さんが、コミュニティより大切にしたいこと

近年、コミュニティマネージャーと名乗る人が増えてきた。

中島明さんはフリーランスとして独立した2010年から、さらにいえば2001年に社会人になってからも、広い意味で言えばコミュニティづくりに関わるような仕事をしてきたので、もうその道20年。コミュニティづくりを仕事にする存在のはしりといってもいいだろう。

数々のプロジェクトに関わってきた中島さんだが、最近では「コミュニティ」という言葉と、自身の活動に齟齬を感じるようになっているという。そんな中島さんに、これまでの歩みを振り返ってもらった。

中島さんにとって、コミュニティとはどういう存在なのか。なぜ関係構築や場づくりに取り組むのか。日々心がけていることや、今後取り組みたいことはなんなのか。そして、「コミュニティ」の先に見据えているものとは。

(聞き手:山中 康司)

中島明さんのプロフィール
関係構築と場づくり、共創型プロジェクトを専門とし、テーマコミュニティからローカルコミュニティまで、企業・行政・アーティスト他、様々なプレーヤーとプロジェクトを共にしてきた実績を持つ。 池袋界隈では、2014年からまちの人々を発掘・紹介する「としま会議」をスタートし、200名を超えるまちの人を紹介するとともに、コラボレーションを促してきた。2015年からは、空き家を活用しながら、まちに新たなコンテンツを生み出す「リノベーションスクール」の運営に従事、2018年からはRYOZAN PARKのインキュベーションマネー ジャーも務め、2020年「池袋ローカルゲート」を企画・プロデュース、2021年には、駅とまちとをつなぐ「まちの案内人育成 講座 TOKYO SEEDS COLLEGE」にてナビゲーターを務める。他、2020年-2021年には豊島区基本構想審議会委員を務めている。1976年生まれ、千葉県千葉市出身。豊島区在住。

イベントをつくる・コミュニケーションを改善する・コミュニティをつくる

これまでずっとコミュニティに関わる活動をしてますけど、自分の活動を説明するのがむずかしいんですよ。今では「コミュニティマネージャー」を名乗る人が増えてますけど、僕の取り組みはいわゆる「コミュニティマネージャー」とはちょっとちがう気がしているんです。

端的に言えば、関係構築や場づくり、共創型プロジェクトを専門にしているんですけど、さらに具体的にいえば、僕がやっていることは3つに分けられると思っているんですね。

それは、「イベントをつくる仕事」「コミュニケーションを改善する仕事」「コミュニティをつくる仕事」です。

イベントの仕事って世の中に多いんですけど、打ち上げ花火みたいに、開催したらそれっきりになってしまうことも少なくないんです。僕は一瞬の関係より一生の関係を生み出したいと思うから、イベントをやるだけじゃなく、そこからどうやって長い関係をつくるかっていうことまで関わることが多いですね。つまり、コミュニケーションを改善して、コミュニティをつくるところまで見据えて活動をしているんです。

これまでに関わってきた取り組みでいうと、ひとつは2014年8月にスタートして以来、ほぼ毎月開催している「としま会議」っていうトークライブ&パーティー。東京都豊島区内のさまざまなエリアやジャンルから、毎回4〜5名のゲストが登壇して、それぞれのストーリーについて語る、というイベントです。

参加者の95%が豊島区在住・在勤・在学者で、参加するとまちに知り合いが増え、行きたい場所が増える集まりになっています。これまでに通算51回。230名以上を紹介してきました(2022年6月現在)


「としま会議」の様子(画像:中島さん提供)

もうひとつの取り組みが、巣鴨と大塚にあるシェアハウス&オフィス「RyozanPark」。僕はそこのインキュベーションマネージャーをやっています。

「RyozanPark」は、さまざまなバックグラウンドを持つ方が入居していて、そのなかに約300人くらいの起業家たちがいるんですね。僕は彼ら、彼女らの相談に乗ったり、励ましたりしながら、インキュベーション、つまり起業のサポートをしています。

例えば、無料で相談に乗ったり、メンバーを刺激するさまざまなセミナーを開催したりしているのですが、1番力を入れているのが、メンバー同士の横のつながりをつくること。例えば「おでん中島」と題して、みんながおでんを食べながら、気が向いたら相談できるようなコミュニティイベントも仕掛けています。

「RyozanPark」の様子。(画像:中島さん提供)

もう一つ関わっているプロジェクトが、「リノベーションスクール」ですね。舞台となる地域の空き物件を素材に、受講生たちが10人程度のチームを組んで活用方法と地域の未来を考えるプログラムで、これまで全国各地で開催されています。

僕は参加者として2014年の北九州市と、2015年の豊島区で開催された会に参加していたんです。空き家を資源として捉えて、そこに新たな力を吹き込んで蘇らせてくっていう発想に共感しまして。

ちょうど運営側としても、全国に取り組みを広げていくために担い手が必要だということで、僕も2015年から運営に関わるようになりました。

僕がやっていることとしては、行政担当者の方とチームを組んで、そこに公と民の新しいチームや関係性をつくりだすこと。既存の組織だけではなかなか次の未来がつくりづらくなっているところに、現地のチームと共に、次々と新しいコンテンツをつくりだしていきます。


コミュニティの力で、想いを持つ一人の人を支える


それぞれの活動はバラバラにみえるかもしれないですけど、僕のなかでは想いは共通しているんですよ。

それは、「人が手を繋ぎあうことで、個人が本来持っている力を発揮できるようにする」っていうことです。

たぶん僕、ちっちゃな力を応援したいんです。若手社会人もだし、専業主婦もだし、起業家もそうだし。ひとりぼっちで戦っていくのは厳しいから、手を繋いでやっていこうよと。なにか「やりたい」って想いを持っている一人の人がいたら、その人が必要としている人につなげて、力を思いっきり出せるようにしていきたいんです。

それを僕は「コミュニティ型支援」って呼んでます。たとえば、何か課題を抱えている人がいたときに、僕が励ますこともできる。でも、その場ではスッキリしたとしても、その人を取り巻く環境が変わらなければなかなか課題は解決されないんです。

ほら、「こんなことをやりたい」って言う人に対して、「それは厳しいでしょ」ってネガティブな意見をいう人、たくさんいますよね。そうじゃなくて、「それいいね!」って言ってくれる人がいたり、ちょっと先を走ってる別の人が近くにいたりすると、その人は頑張れると思うんです。

だから「こんなことをやりたい」って言う人がいたら、僕が相談に乗るよりも「この人と話すといいよ」って紹介して、応援してくれる人たちをその人のまわりに整える。そういったことが、僕のやっている「コミュニティ型の支援」なんです。


コミュニティにおける鍼灸師のような存在



僕がやってる仕事って、ちょっと鍼灸師に近いなと思っています。

西洋医学的なアプローチだと、何か問題があったとき、その問題自体を取り除こうとする。でも東洋医学では、その問題は身体の血のめぐりが滞ってることからきていると捉えて、問題の箇所とはちがう箇所に針をうったりしますよね。

僕も、鍼灸師が気のめぐりをととのえるように、そのコミュニティのなかの循環をよくしていく、っていう意識を強烈に持っています。

これまでの世の中では、壁をつくることが多かったですよね。会社の「上司-部下」っていう構造もそうだし、地域にある「お役所-住民」っていう構造もそう。「サービス提供側-消費者」っていう構造もそうです。そうした壁があることによって、循環が滞ってしまって、社会やコミュニティのなかで色々な問題が起こってしまっていると思うんですよ。

だとしたら、その壁を取り除いて、コミュニティの循環をよくすれば、問題が解決するはず。たとえば、あの人とあの人をつなげたら何かが起こりそうだとか、あの人をイベントに呼ぶと活動が盛り上がりそうだとか。どのタイミングで、なにをしたら、そのコミュニティにいい循環が生まれるのかを常に考えて、行動しています。

そう、僕がやってることは、鍼灸師が身体の状態を見極めて、ツボに針をうって気のめぐりをととのえるみたいに、コミュニティの状態を見極め、適切な場所とタイミングでなんらかのアクションをして、いい循環を生むっていうことなんですよね。


頑張る人の、よき伴走者でいたい


実は「としま会議」で毎回呼ぶゲストも、「この人とこの人は今つながっておくとよさそうだな」ということを考えて選んでいます。そのおかげか、「『としま会議』がきっかけで踏み出せました」とか、「あのとき出会ったことがきっかけで、一緒に仕事をしてます」って言ってくれる方がいっぱいいるんですよ。

都会に住んでると、隣に住んでる人もわからないことがある。そんななかで、交流が生まれて、仲間になって、一緒にプロジェクトをするようになっていく姿を見るのが、僕はめちゃくちゃ嬉しい。

たとえば、池袋のとある企業の三代目で、小さい頃からずっと池袋で育ってきた方が、「参加する前から、このまちに“知り合い”はたくさんいたけど、一緒に活動できる“仲間”はいなかった。『としま会議』のおかげで仲間ができました」って言ってくれたり。

「リノベーションスクール」でも「RyozanPark」でも、やっているのは「人が手を繋ぎあうことで、個人が本来持っている力を発揮できるようにする」ことです。「リノベーションスクール」では、一緒に取り組んだ行政担当者の方が、その達成感からか、思わず涙してくれることもあるんです。「RyozanPark」では、子育て世代の方もいるんですけど、子どもたちをみんなで面倒をみていたりして。子育てがみんなのことになってる感じが、すごく嬉しい。

そういえば僕、プロゴルファーのキャディをやってた時期があるんですよ。大学生の時に体育会ゴルフ部だったのがきっかけで、アルバイトでやるようになって。なんか性に合ったので、社会人になってからもつい数年前まではコミュニティの仕事をしながらやってたんです。昼間はキャディをやって、夜はパソコンで作業して、みたいなときもあって(笑)

ゴルファーが不安になったときや緊張したとき、キャディが一言かけることによって、その人が活躍できる可能性が広がるんですね。それが楽しくて。ある意味、キャディもコミュニティの仕事も、「バディ」というか、頑張る人のよき伴走者。それが、僕はスタンスとして合ってるんだと思いますね。



「熱量」「ベクトル」「距離感」「スピード」でコミュニティの循環を見極める


鍼灸師の方は筋肉の張りや身体の症状でその人の気のめぐりを見極めるんだと思いますけど、僕もコミュニティの循環を見極めるとき、見ている要素があるんです。それは、「熱量」「ベクトル」「距離感」「スピード」です。

まずは「熱量」について。これってもう職業病だと思うんですけど、場づくりの現場にいると、サーモグラフィーのように「ここの人たちが盛り下がってるな」とか「この人たちは前のめりになってるな」とかが見えてしまうんですよ(笑)

だから、熱量が上がってるグループをさらに盛り上げたりとか、つまらなそうにしている人たちに話を振ってみるとか。さまざまな手を使って全体の熱量をあげています。

もうひとつの「ベクトル」も大事。つまり、コミュニティがどの方向性に進んでいるか。どのコミュニティにも「ベクトル」はあるんだけど、それがどれくらい共通認識になっているかはコミュニティによってまちまち。あまり「ベクトル」が合っていないな、と思ったら、共通の目標やビジョンを言語化したりして、ベクトルを合わせていきます。

もうひとつは「距離感」。その人がコミュニティとどれくらいの距離感にいるのかによって、とるべきコミュニケーションは変わってきます。オンラインだと、浅い関係なのに、いきなり馴れ馴れしくしてしまうことがあったりしますけど、それって、リアルでいえば、会った瞬間にハグしてしまうようなものですよね。だから、相手との距離感に応じた、適切なコミュニケーションがあるって思ってます。そんなふうに、その人とコミュニティの距離感を見極めながら、コミュニケーションのとりかたを調整しています。

最後は「スピード」です。「ベクトル」がぴったり合っていたとしても、ある人は目標まで10年かけたいけど、別のある人は1年で到達したいと思っていたりするわけです。進みたいスピードは人によってバラバラ。だから、人それぞれの適切なスピードをちゃんと気に掛けないといけない。

これら4つの要素を見極めるんです。「あ、今はベクトルがあってないな」とか、「ベクトルは合ってるけど熱量に差があるな」とかいったふうに。

そのうえで、イベントを開催したり、関係者でミーティングをしたり、個別で相談に乗ったり。そのコミュニティによって、どう対処するのかを変えているんですよ。


小さい頃から、人と人の間に立っていた


僕って、八方美人な性格だと思うんです。他の人からは避けられるような変わった人でも、わりと仲良くすることができる。そんな性格が嫌な時期もあったんですけど、今ではそれがいかされているかな、って思うんですよね。

僕は男三兄弟の末っ子で、兄貴が8歳差と9歳差だったんです。小さい頃、兄貴達が物を投げ合うような喧嘩をしていて、「お前はどっちにつくんだ!」ってを聞いてくるようなことがよくあったんですよ。でも、どっちか一方につくとのちのち面倒じゃないですか。だから僕は、今日はあっち、明日はこっちと、どちら側にも気を配って、その間に立つようなことを無意識にやっていましたね。

中学校は国立の中学に進学したんですけど、小学校から内部進学してきた生徒たちが多くて、「内部生と外部生」みたいな壁があったんです。そうすると僕は、内部生と外部生の間が気になってしょうがない。それぞれが一緒に何かできるにはどうしたらいいんだろう、ってことをずっと考えていて。

高校は男子校だったんですけど、文化祭はだいたい「女の子目当て」か「先生の点数稼ぎ」の生徒に分けられるんです。だけど、やっぱり僕はなんとかその間にいけないかっていうことが気になって。「女の子にもモテるし、先生の点数も稼げる、みんなが一緒にできることはなんだろう」って、ずーっと考えていました。壁を取っぱらいたい性分なんですよね。


本来持っている力を発揮できていない状態へのジレンマ


僕が大学生の頃はインターネットの創世記だったので、ネット系の会社に興味があったんですけど、ネットだけじゃなくてアナログなこともやりたかったから、両方できる会社ということで一社目のマーケティング会社に就職しました。

理念が「発信する生活者を支援する」っていう会社で、メルマガなど、企業と生活者のコミュニケーションを生み出すような事業をやっていました。ただネットバブルと呼ばれる時期だったので、会社のほとんどがネット事業になってしまって。ちょっと肌が合わないなと思って、6年くらい勤めてから転職することしたんです。

2社目は人材系の会社でした。社会人向けの事業を任されて、転職やスキルアップの相談にのったりしてたんですけど、そのときにやってた仕事のひとつが、社会人向けの朝セミナーだったんです。参加者は忙しいビジネスパーソンなので、夕方や夜は時間がないけど、朝なら参加できるだろうということで、朝7時15分から8時15分までセミナーを開催していて。

そのなかでも、人気のコンテンツはビジネス系のハウツー。時間活用術とかプロジェクトマネジメントとかですね。で、たしかに人は集まるんだけど、「みなさん、これ以上働くんですか?」みたいなことも、僕はふと思っていたりして。

それに、よく講師でビジネス書の著者さんを呼んでたんですけど、ふと「本当に書きたいのは、別のことだったんですよね…」とこぼしているのを耳にしたりして。出版社は売れることを第一に考えるから、書きたいことより売れる内容を優先しなくちゃいけなくて、それで心が折れてしまうような著者さんとも出会ったりしたんですね。それって、その人が本来持っている力を発揮できていないような気がして、違和感があったんですよ。

僕自身も、朝はセミナーをやり、昼間は作業をして、夜や休日は転職相談に乗って…っていう生活をしていたら、鬱になってしまって。半年くらい会社を休んだんです。

今思えば、病気になって良かったと思うんです。半年休んで、自分が本当に何がやりたいかを考えることができたから。会社も戻ってくる選択肢は用意してくれてたんですけど、自然に身体が動くことというか、誰からも頼まれなくてもやっちゃうことを仕事にしよう、とその頃に思ったんですね。


ダメなところだって、チャーミングな個性になる


会社を休んだときに、どう生きていこうかをじっくり考えたんですけど、めちゃくちゃ稼いだり、ゴールに早く辿り着くよりも、人が本来の力を発揮して、輝く姿を目指していく方が僕にとっては大事だなって思って。それを支援したいと思ったし、僕自身がそうありたいなぁと考えた時に、「じゃあ独立しよう」と思ったんです。

自分が八方美人であることを、「自分の芯がない」ってネガティブなことのように感じていた時期はあったけど、それも個性だなってふっ切れたのもその時期で。それは、ゴスペルの経験も大きいかもしれない。

1社目の会社にいた頃、ゴスペルのグループに参加したことをきっかけにはじめて、それ以来15年ぐらい続けてました。

そこのグループは、100人以上、時には数百人で歌うんです。あるとき、僕の横で歌ってた親父くらい年上のおっちゃんが、めちゃくちゃ音痴なのにめちゃくちゃ楽しそうに歌っていて。でも、一人くらい音痴がいても、100人くらいいると全然問題ないんですよ。むしろちゃんと音程をとれる人からすると、微妙に音程を外すのってむずかしくて。むしろ音痴が人がいることが、音の厚みになったりするんです。

世の中ではダメなところって呼ばれるかもしれない部分も、誰かと組み合わせれば、実はめちゃくちゃチャーミングな個性になる。自分の個性がいきる環境にいることができれば、その人が変わる必要なんてないんですよね。それはゴスペルから学んだことです。


社会人生活20年。自分の芯がはっきりしてきた


僕、2021年が社会人生活20年目だったんです。これまでを振り返ると、右往左往してきましたけど、やっと芯がはっきりしてき感覚はありますね。

2010年に独立してからも、たくさん試行錯誤してきましたよ。当初は「つなぐ専門家」という肩書きを名乗って、1ヶ月に20本トークイベントをやるような仕事をした結果、「イベントやるのは俺の仕事じゃないな」と思ったりとか。とはいえ、イベントの仕事はお金をいただきやすいので、まずはイベントをやらせてもらって、そこからコミュニティづくりまで入り込む、っていう営業のスタイルができていったりとか。

実は僕、独立後にふたつ会社をつくってるんです。ひとつ目は広告とコミュニティづくりを掛け合わせる事業に取り組む会社で、もう一つはリノベーションまちづくりを行う会社。正直両方ともうまくいかなかった。一社目は仲間と方向性が折り合わず僕が抜けて、2社目は逆に僕が方向性を示せなくてメンバーが抜けてしまいました。

そういう試行錯誤も経ながら、今では「人が手を繋ぎあうことで、個人が本来持っている力を発揮できるようにする」っていう自分の芯にある価値観が見えてきたし、それをやるためには組織に所属しない方がいいんだな、ということも見えてきた。

それに、会社員時代は鬱になったことはまわりに隠してたけど、今では、たまに体調を崩す僕を見て、地域の人たちが「最近体調大丈夫?」って声をかけてくれるんです。ちょっと連絡がとれない時は「今は大変なのね」って気にかけてくれて。とても健やかな関係ですよね。僕自身が、コミュニティによって自分の悩みを解決してもらってるんです。


コミュニティより、生態系をつくっていきたい


今後取り組んでいきたいことも、いろいろとあります。ひとつは、後進の育成。最近では社会に分断が増えてる感じがします。みんなが手を繋ぎ合うためには、僕みたいな人と人をつなぐ存在は一人では足りない。

世の中、表舞台に立つ人が賞賛されがちですけど、僕は「裏方の中で一番攻めるタイプ」だと思ってるんですよ。表舞台に立つより、良き伴走者であるほうが心地いい人って、僕以外にも実はたくさんいるんじゃないかな。

一方で、少し前は「コミュニティマネージャーがもっと増えたらいい」って思っていたんですが、今では「コミュニティマネージャーが増えても、世の中は平和にならないかもしれない」とも思い始めてもいます。というのも、コミュニティのような集団は、コミュニティ外の人たちを疎外しがちで、ともすると分断を生む可能性をはらんでいるので。

今はどちらかというと、コミュニティよりも「生態系をどうつくっていくか」という言い方がしっくりきています。コミュニティ同士がどうつながっていくかとか、個人がコミュニティにぶらさがったり、依存するのではなく、どう活かし合う関係がつくれるのかだったり。そういうことを最近いつも考えています。

白か黒かはっきりさせることも、結構抵抗がありますね。白と黒の間のグラデーションがもっとあってもいいかなと思って。二項対立の世界を超えていきたいなぁと思っています。

だから後進というのも、コミュニティマネージャーというより、生態系をつくれる人を育てていきたいんですよね。

もうひとつのやりたいことは、「池袋のカルチャーブック」をつくることです。イベント開催だけでは一過性のものになってしまうけれど、それによって関係性が結ばれてコミュニティになり、それが波及していくとムーブメントになり、それが根ざしていくとカルチャーになる。僕は単発のイベントでもコミュニティでもなくて、カルチャーをつくっていきたいんですよ。

例えば北九州で始まった「リノベーションスクール」は、今全国90都市に広がって、ムーブメントになっている。これが根付いていくとカルチャーになると思うんです。

そう考えたときに、池袋はすごくカルチャーとしての可能性を持ってるんですね。池袋は、大正から終戦期にかけては芸術家が集まる「池袋モンパルナス」と呼ばれる場所があり、昭和には手塚治虫や藤子不二雄たちが暮らしたトキワ荘があり、セゾングループがカウンターカルチャーをいっぱい生み出していった、っていう文化的背景があります。

それらはそれぞれ単体では語れられてきたけど、ひとまとまりの池袋というまちの文化としては語られていない。だから、カルチャーブックという本にまとめられないかと思っていて。

まちづくりの文脈で言うと、アメリカのポートランドが脚光を浴びてますよね。僕は池袋もそうしたたまちに負けないくらいの可能性があるんじゃないのかと思っていて。そういう意味で、カルチャーブックはつくりたいと思ってます。まだ構想段階ですけどね。

あとは政治の領域でも、何か取り組んでいきたい。僕は人の間にある壁を崩していきたい気持ちがあるっていう話をしてきましたけど、政治ってまさに壁がある領域だと思うんですよね。

市民にとって政治は遠いものになってしまっているじゃないですか。地域内でも、世代同士で軋轢が生まれることがあって。若者のコミュニティが「こういうことをしたい」と言ったことに対して、高齢者たちが「なんだ、勝手なこと言って」みたいにぶつかることもある。でも、どちらも「地域をよくしたい」っていう気持ちは同じなんですよね。なので、そういう世代間のつながりを再構築することには、すごく興味があります。

いろいろやりたいことはありますけど、「人が手を繋ぎあうことで、個人が本来持っている力を発揮できるようにする」っていう芯は同じ。そんな想いに共感してくれる方と、ぜひ一緒に取り組んでいきたいですね。


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