「まわりの視線が怖い。」そんな生きづらさがあったからこそ、できることがある。-尚工藝代表・宮田尚幸さん-
「生きづらさを抱えていた僕でも、今こうして社会に関われている。生きづらさはかるくなる、ということを伝えたいんです。」
デザイナー・宮田尚幸さんとメールでやりとりするなかで、そんな言葉と出会った。
「生きづらさ」には、僕も心あたりがある。大学時代、人の視線がこわくて、就職活動はおろかバイトもできず、ニートになった。病院に行くと、「社会不安障害(SAD:Social Anxiety Disorder)」と診断された。(今でも、人前に立つと汗がダラダラ出てしまうのはその名残りだ。)
「社会不安障害」とは、ある特定の状況や人前で何かをするとき、過度な不安や恐怖を感じ、次第にそのような場面を避けるようになる病気のこと。現在日本では、この病気で悩む人が約300万人以上いるともいわれている。
宮田さんと話していると、どこか安心感を感じる。それは、同じような生きづらさを経験した人が持つ空気感があったからかもしれない。
「実は僕も、社会不安障害と診断されたことがあるんです」と、あるとき宮田さんは話してくれた。
「小学生の頃は、テスト中に消しゴムを落としても拾えなくて。それくらい周りの目を気にしていました。」
「尚工藝」という屋号で取り組むデザインや、デンマークのハンドメイドの杖「Vilhelm Hertz / ヴィルヘルムハーツ」を広める取り組み、「huset(フーセット)」という対話会の開催など、宮田さんの活動の背景には、「生きづらさをかるくする」という想いが貫かれているように感じる。
では、宮田さんが感じていた「生きづらさ」とは、どんなものだったのだろう。そして、どうやって、今のあり方にたどりついたのだろう。そのことが知りたくて、話を聞かせてもらうことにした。
宮田尚幸さん
自身が福祉だと感じるものごとの、商品のデザイン、ブランディングを行う。その傍ら、デンマークのハンドメイドの杖の工房「Vilhelm Hertz / ヴィルヘルムハーツ」の一員として、日本に広める活動を行う。また、対話会husetや執筆活動を通して、デンマークの思想を自分なりに伝え、生きにくさを感じている方への小さな拠り所を作る場を模索中。
note:https://note.com/nao_denmark
生きづらさを感じている人を減らしたい
-宮田さんは、デザイナーとして「福祉だと感じるものごとのデザインやブランディングをしている」と、ご自身を説明していますね。「福祉」って言い切らないのはどうしてなんですか?
宮田:「福祉」って、日本だと障がい者や高齢者に対するサポートみたいなイメージがありますよね。でも、僕は福祉をもっと広い意味でとらえています。
デンマークに留学してた時、現地の人に「なにをしにデンマークに来たんだ?」って聞かれたので「福祉を学びにきたんだ」って英語で答えたんだけど、ピンときていない様子で、「福祉のなんだ?」って聞かれることがありました。
最初は僕も、なんでそんなふうに聞き返されるのかわからなかったんです。だけどよくよく聞いてみたら、英語の「福祉(Welfare)」は「幸せ」って意味あいで使われるらしくて。だから、相手からしたら僕は「幸せを学びにきたんだ」って言ってるようにしか聞こえなかったんですよね。
日本語でも、辞書で調べると「福祉」にはちゃんと「幸せ」って意味がある。それを知ってから、僕はその「福祉とは個々の幸せのことである」っていう定義がしっくりきてるんです。
-なるほど。だから、狭い意味での福祉の領域におさまらない活動をしているんですね。
宮田:そうです。僕は「一人でも多く、生きづらさを感じている人を減らすこと」が、自分の役割だという考えに、デンマークにいる時に辿りついたんです。
福祉事業所の冊子づくりとか、介護事業所の新しい事業のディレクションとか、狭い意味での福祉に関わる仕事もしています。でもそれだけではなくてですね…。
たとえば北九州の金属加工業の会社で、自社の工場で作業する方たちが手荒れに悩んでいることに気づいた社員が、保湿しながら手が洗えるハンドクレンジングを開発しました。その「現場プロジェクト」というプロジェクトの立ち上げ段階で、ひょんなご縁から声をかけて頂き、そのアートディレクションからデザインまで手がけています。それも、工場で働く方たちの生きづらさが軽くなるという意味で、僕にとっては福祉なんです。
他人が自分にめり込んでいる感覚
-「生きづらさを感じている人を減らす」ことに取り組む宮田さん自身は、どんな生きづらさを抱えていたんですか?
宮田さん(以下、宮田):小さい頃から、極度にまわりの目が気になってたんです。
小学校のテスト中に消しゴムを落としたら、身動きをとるのが恥ずかしくて拾えないんですよ。仕方がないから指で消そうとしてました。緊張で手汗がすごい出たので、その汗をつけて、ゴシゴシと。当然、紙が真っ黒になるんですけどね。小学校の時はずっとそうでした。
あのころは、「普通の人間になりたい」っていう思いが常にありましたね。
-普通の人間になりたい?
宮田:「はやく人としてのスタートラインに立ちたい」って、そればっかり考えてました。普通の人間はまわりの目を気にしてないから、好きなことができるんだろうなって、うらやましくて。
-普通じゃない感じっていうのは、どんな感覚なんですか?
宮田:うーん……言葉で説明しづらいんですけど、まわりの人達が自分のなかにめり込んでた感じ。家族だろうが友達だろうが、めり込んでいる感覚があったんです。
めり込んでいるので、自分自身の行動にものすごい影響を与えてくる。その人が右に動いたら、自分も引っ張られて右に動いていく。 その人がここに行こうって言ったら、本当は行きたくないけど行っちゃう。そんな状態でした。
自分はこの世界に必要ない人間だ
-自分の意志に関係なく、他人に左右されてしまうわけですよね。それはつらくなかったですか?
宮田:いやぁ、つらかったですね。これはあまり多くの人に話してないですけど……小学校中学年ぐらいの時は、「自分はこの世に必要のない人間だな」って思ってました。
-ああ、そこまで……。
宮田:それで、家の二段ベッドの上の段から床にわざと落ちたりして。下にマットも敷かずにですよ。「これで死んだら、自分は死んでいいってことだ」って。 もちろん、それくらいの高さから落ちてもただ痛いだけですけどね。 そういうことを考えつくぐらい、精神的に追い込まれてた。
でもチャレンジする癖だけはあったので、「こうやったら恥ずかしくなくなるんじゃないのか」みたいなトライ&エラーは、小学校の時から積み重ねてました。
-たとえばどんなことを?
宮田:たとえば、チームスポーツをしたらまわりの目が気にならなくなるんじゃないかと思って、中学でバスケ部に入りました。でも、そんなに恥ずかしいのにチームスポーツなんてできるわけないんですよ。試合にも出れないし、練習中だろうと「パスくれ!」の一言が言えなかった。
高校でも大学でもいろいろ試行錯誤してましたね。大学では金髪にしてみたり、あえてプレゼンの多い授業を取ってみたり。でも、そうしたことでは生きづらさはぬぐい去れなかったんです。だんだんと良くはなりましたが。
デンマークに、自分が求めるなにかがある気がした
-そんな生きづらさを、どう乗り越えていったんですか?
宮田:乗り越えてきたっていうより、「自分を認めていった」という感覚かな。「乗り越える」って、上のステップにあがるイメージがありますけど、そういう感じではないんです。
自分にまとわりついてた「まわりの視線が怖い」っていう感覚がうすれていった。他人が自分にめり込んでいたのが、すっと剥がれて、自分の輪郭がはっきりしてくる感じかな。
-なにかを経て、自分の輪郭がはっきりしていった。
宮田:そう。それには3つ大きな出来事がありました。ひとつは、大学を卒業する直前くらいに精神科に行って「社会不安障害」って診断されたこと。「自分だけ変なわけじゃないんだ」って思えて、楽になれた。
もうひとつは、新卒から4年働いた会社を辞めてイギリスに行ったこと。4ヶ月ぐらい語学留学して、そのあとヨーロッパを一周して、自分が生きてきた文化とは全然違う文化が存在するってことがわかった。
そして、特に大きかったのが、デンマークに行ったことですね。30歳のとき、ワーキングホリデーで1年間デンマークに行ったんです。
-どうしてデンマークに行こうと思ったんですか?
宮田:ヨーロッパをまわるなかで、デンマークだけは「この国なら住めるな」と思ったんです。「この国には、自分が求めている何かがあるような気がする」って直感で感じました。
それに、前職で働いていたブランドの代表の「人を大切にして、環境に配慮し、質の高いものを長く使う」という思想に、凄く大きい影響を受けていて。この思想を育てる方法が、デンマークにある気がしていました。
調べてみると北欧には、全寮制の成人教育機関である「フォルケホイスコーレ」という学校があるらしい。北欧各地に点在していて、デザインやアートだけではなく、スポーツ、音楽、哲学や社会福祉、ベジタリアン、瞑想等、各校が各々のテーマを設けており、興味のあるテーマの学校に身を置き、自分を深めること、民主主義を育むことがコンセプトの教育機関です。
僕はそんな学校に興味を持って、留学しようと考えるようになりました。
自分が想像できない世界に飛び込んだ
宮田:留学先の学校を探すとき、最初はアート系の学校を見ていたんです。それまでも日本で文具などのデザインをしていましたから。
でも、障がいを持ってる学生と思っていない学生が一緒に住んで、今まで触れたことのない福祉を、身を以て体験することができる「エグモントホイスコーレ(Egmont Højskolen)」を見つけて、なんか気になったんですよ。
「もし自分がここに入ったら、途中で『もうここにいられない』っていう状態になっちゃうかもしれないな」と思って。それまでの人生で、障がい者の方と関わる機会がまったくなかったですから。
-多くの人は「だからやめておこう」って発想になると思いますけど、宮田さんはそうはならなかった?
宮田:むしろ行きたいと思ったんです。せっかく行くんだったら、自分が想像できない世界に飛び込んだ方が、将来につながる変化があるはずだと。イギリスでの経験で、それを学んだので。
入学してみると、200人ぐらいのデンマーク人の中に障がいを持った生徒が、重度、軽度含め80名ぐらいいました。そこに、日本人が自分を含め6人いて、そのなかに胸から下が付随の車椅子の男性がいたんです。それで僕は先生から、「彼のヘルパーをやらないか?」って言われて、「やります」と。
-そこでも新しい世界に飛び込んだんですね。
宮田:はい。エグモントホイスコーレでの半年は、本当に新しい経験の連続でしたよ。常識なんて通用せず、多くの固定概念が崩れました。四六時中まわりに電動車椅子が走り回っているし、彼ら含めてパーティも、山登りもする。ヘルパーとして排泄の世話もするし、お出かけも一緒にする。ある時なんて、ヒッチハイクで車椅子の彼と街に出かけたりとか。
福祉にほとんど触れてこなかったので、本当に発見ばかりで。「車椅子だとこんな遠回りしなきゃいけないんだ」とか、「この段差が無理なんだ」とか。それに、自分に対する発見もあった。
-どんな発見が?
宮田:「あ、自分にできることって実はいっぱいあるんだな」っていう発見です。かつては「自分はこの世界に必要ない人間だ」と思っていたわけですけど、そんなことなかった。この世界で、僕ができることはあるんだと。だんだん自分のできること、輪郭がはっきりしてきたんです。
「対話」を通して、自分の輪郭がはっきりしていった
宮田:さらに、自分の輪郭をはっきりさせる上で大きな影響を与えてくれたのが、デンマークの「対話(dialogue)」の文化です。
自分が生きづらさを感じていた根っこにあった、他者とのコミュニケーションのむずかしさを、デンマークでは一切感じなかったんですよね。なんというか、 同じ深さでみんなが会話してくれる感じ。だからものすごく居心地がいい。これはなんでだろうと考えたときに、「対話」の文化のおかげだな、と気づいて。
-「対話」の文化って、たとえばどういうものなんでしょう?
宮田:たとえ意見が違ったとしても、相手の意見を受け止めたうえで自分の意見を伝えるっていうコミュニケーションが、自然と行われているんです。政治でも教育でも暮らしでも、そうした対話がベースにある。
たとえばデンマークだと、右寄りの政党の人と左よりの政党の人が、対話を積極的にしてるんです。「お前の言わんとしていることもわかるよ。でも俺はこうやったほうが国が良くなると思ってる」「そういう考えもあるのか。しかしここの部分は譲れないから、こういうのはどうだろう」みたいな。
だからほとんどのシステムが80%の出来になっているというか、相手と対話してつくっていくための余白が必ずある。日本だと、お互いの批判ばかりであまりそういう光景をみかけない気がするんですけど。
-宮田さんの言葉を借りれば、他人が自分にめり込んでいないというか。自分と他人が異なる存在だと認めたうえで、コミュニケーションをしているのかな。
宮田:そうですね。めり込んでいない。
エグモントホイスコーレの授業で、教室で前に立って自分の好きな音楽を話す時間があったんです。それまでの自分だったら、頭が真っ白になってなにを話していいかわかんなくなってたと思うんですけど、その時は完璧とは言わないけど、説明できた。それは、たとえ意見が違ったとしても、受け止めてくれるっていう安心感があったからだと思うんですよね。
自分は存在しているだけで、すでになにかを与えている
-福祉との関わりや、対話の文化と触れることで、宮田さんのなかでだんだんと生きづらさがかるくなっていったんですね。
宮田:そうですね。自分って存在は、生きているだけで、すでに誰かになにかを与えているということがわかってきた。決して大きなことでなく、本人にとって些細なことだとしても。
デンマークに行く前は、声が小さいことがものすごくコンプレックスでした。でも、それを「君の声はすごく安心する」って言ってくれる人がいた。 自分はそうやって、相手が話しやすい雰囲気を気づかないあいだにつくってたんだな、って気づけて。
あと、いろんな生徒から相談されることが多かったんですよね。「そこまで真剣に話を聞くことは、他の人にはできない。君のすごいところだよ」って言ってもらえたりして。僕としては、当たり前のように相手の話を真剣に聞いていただけなんですけど。
-話しやすい雰囲気も、真剣に聞くことも、「まわりの目が怖い」っていう生きづらさと同じ根っこからきてるような。
宮田:そう。小さい頃からものすごく人の仕草や言動を気にしてきたからこそ、相手の気持ちに寄り添うことは、ある種の技術といえる域まで達しているんだと思うんです。
自分が生きているなかで自然とやっている、癖みたいなもの。それは生きづらさのもとでもあったけど、「自分にできることって、このぐらいだわ」って、ひらきなおることができたんです。
せっかくこんな自分らしさを持ってるんだから、生かさない手はないなって。
未来に点をうつ
-宮田さんは「生きづらさを感じている人を減らすことが、自分の役割」だと言っていましたね。こうした経験を踏まえて、今まさに「生きづらさ」を感じている方になにかを伝えるとしたら、どんなことを伝えますか?
宮田:「未来に点をうつ」、ということかな。自分の人生を振り返ると、「未来に点をうつ」ことで、生きづらさがかるくなっていったから。
-「未来に点をうつ」っていうのは?
宮田:自分が想像できない世界に飛び込んでみること。人生の地図があるとしたら、今の延長線上にはないところに点をうって、そこに向かってみる。
たとえばデンマークに行くとか、福祉の世界に飛び込んでみるとか。そういう、予測できないことをやってみると、のちのち「こういう意味があったんだ」ってつながってくるんです。僕もデンマークに行く前は、それで自分の輪郭がはっきりするなんて思ってなかったし。
つまり、「なにかをする」って言う目的があって行動するんじゃなくて、まず日常から外れてみること。自分の人生のストーリーブックがあるとしたら、それが面白くなりそうな、自分が少しでもワクワクすることに飛び込んでみること。
僕は、もしできるのであれば、海外に住んでみることはオススメしたいです。 動機は「なんとなく行ってみたいから」でいい。行くこと自体に意味があるので。海外に住んでみる、違う文化を受け入れてみることで視野が広がるし、日本の社会を客観的に見れるようになるので、帰ってきたときに社会に関わりやすくなる。それは僕が身をもって体験したことです。
-僕も社会不安障害と診断されてから、あえて居酒屋のバイトをしたり、ヒッチハイクをしたりと、「未来に点をうって」きた気がします。
でも、予測できないことをやるのって怖いですよね。僕も、たかだか居酒屋のバイトだと人は言うかもしれないけれど、あまりに怖くて、精神を落ち着ける薬を飲みながら仕事してました。
宮田:怖いですよね。自分の場合は、普段なかなか毎日の習慣から抜け出せないんですけど、逃げられない環境に自ら身を置くとやれるタイプなので、海外に行くとかバスケ部に入るとか、ちょっと荒治療ぽいことをしてきました。
だけど、別に自分ができる範囲の、もっと小さいことでもいいと思ってるんです。 「引越してみる」とかでもいいですし、「毎日この時間に外に出てみる」みたいな日常の小さな選択でもいいですし。
とにかく、なにか今までの自分の生活から抜けだしてみることが大事。そうするとこれまで生きづらさだと思っていたことも、違う見え方ができるようになることがあるんですよね。
責任をつかみ取ることが、自由につながる
-「未来に点をうつ」ことがなかなかむずかしい人は、どうしたらいいでしょう?
たとえば「他人が自分にめり込んでいる」ような感覚があるときって、そもそも自分がなにをしたいのかもわからないような気がするんです。
宮田:そうだな……日々の生活のなかで「自分で決める」ことが大事かもしれません。自分の輪郭をはっきりさせてくれるから。
僕はエグモントホイスコーレを卒業した後、デンマークにあるハンドメイドの杖の工房で修行してたんですけど、そこの職人さんにいつも「 You Choose(君が決めなさい)」って言われたんですね。
たとえば、朝起きてコーヒーを飲む時、「自分でカップを選んで」と。それまで僕は、自分で決めることをあまりしてこなかったから、最初「なんでもいいよ」って返事してたんです。そしたら、笑われたんですよ。「そうじゃないだろう。お前が飲むカップなんだから、お前が選べ」って決めさせられた。
「人の視線が怖い」ときって、たしかに自分で決められない。だからこそ逆に、「自分で決める」ことは、自分の輪郭を知るすごく大事な作業になったんですよね。
-「自分で決める」ことを繰り返すと、自分の輪郭がはっきりしてくる。
宮田:そう。職人さんはよく「Take Your Responsibility(自分で責任をとりなさい)」って言ってました。「自分で決めることをしないと、責任を他人に押し付けて、他人の人生を生きることになるよ」と。
確かにそうなんです。僕はそれまで、無意識に他人に決めてもらっていた。それで、のちのち「あの人がこう言ったから」って不満が出てしまうこともあった。それは、自分で責任をつかみ取っていなかったんです。
そうじゃなくて、自分で決めて、責任をつかみ取ること。そのことが、他人が自分にめり込んでいる状態を抜けて、自由になることにつながっていくんだと、今では信じています。
「まわりの目が怖い」のは、一人じゃない
宮田さんにとって消しゴムを拾うことがそうだったように、「まわりの目が怖い」と言う生きづらさを感じている人にとって、他の人が当たり前のようにできていることでも、崖から飛び降りるような恐怖を感じることがある。(僕の場合は、コンビニのレジが怖かった。)
だから、そんな生きづらさを抱える人にとっては「未来に点をうつ」ことも、「自分で決める」ことも、簡単ではないよな、と思う。
だけど、それでもここまで書いたのは、「あなたは一人じゃないよ」と伝えたかったからだ。
宮田さんや、僕のように、「まわりの目が怖い」という生きづらさを抱えながら(そう、僕らもそれらを克服したわけじゃない)生きている人がいる。でも、そうした生きづらさの中にこそ、その人にしかない個性があるのだ。
この記事が、生きづらい日常からちょっと飛び出す、その背中にそっと手を添えるようなものになっていたら嬉しいです。