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「なにもしないを、する」ことが、ホームに帰ることにつながる?

ここのところ、常になにかに追われている感じがする。

なにかって、主に仕事なんだけど。たいした量ではないのに、いつも心のどこかで「なんか抜け漏れはないだろうか」って気にしちゃってるような。

そんな感じなので、家でもゆっくり心を休める、みたいな時間があんまりない。これはよくない。よくないな〜。


soarのインタビューで、僧侶の藤田一照さんがおもしろいことを言っていた。


ステイホーム、スローダウンって言うけれど、そもそも日本人の生きるペースはずっと加速し続けている。東日本大震災のようなできごとを経てもなお、です。

今回は強制的にステイホームしろと言われたその結果、“ホーム”──これは単に家屋、ハウスという意味ではなく、魂が本当に安らげる場所のことですが──がない人がたくさんいるというのがわかった。
"新型コロナウイルスによって失ったもの"とどう向き合う? 僧侶・藤田一照さんを訪ねて気づいた「自分が落ち着ける場所」の大切さ/生湯葉シホ | soar(ソア)


藤田さんは、「ホーム」は「穏やかにそこに坐って落ち着くことができる場所」だという。たとえ物理的な家があったとしても、「ホーム」があるわけじゃないのだ。

じゃあ、どうしたら「ホーム」、つまり「穏やかにそこに坐って落ち着くことができる場所」のか。そのポイントは、「レスポンス(応答)」だそう。


何か問題にぶつかったときに、それをよく理解もせずに、怯えるように、自分の手持ちのパターンの中からとにかく解決策を導こうと反射的に動いてしまうことは「リアクション(反射)」です。

一方で、とりあえずは何もしないでいる時間をもって、視野を広げて問題をよく見極め、理解し、選択肢の範囲を広げて、その中からとるべき行動を選びとるというのは、「レスポンス(応答)」。智慧というのはそういうことだと思うんです。
"新型コロナウイルスによって失ったもの"とどう向き合う? 僧侶・藤田一照さんを訪ねて気づいた「自分が落ち着ける場所」の大切さ/生湯葉シホ | soar(ソア)


「レスポンス(応答)」は、言い換えれば、「しない能力」。「ネガティブケイパビリティ」、つまり「分からないものを分からないまま、宙ぶらりんにして、耐え抜く能力」だ。

なるほど、僕が常に追われている感じがあるのは、この「しない能力」がないからなのかも。

っていうか、スマホを持ってて、いつでもどこでもメッセージが届いて、一息ついたと思ったらTwitterを開き、寝る前にはNetflixやyoutubeにおもしろいコンテンツをみる。

……「なにもしない」って無理ゲーじゃない?

スマホを通して誘惑に雨あられのようにさらされまくってるわけだから、「穏やかにそこに坐って落ち着く」ためには、「なんもしないぞ!」とかなり覚悟を決める必要がある。場合によってはスマホの電源を切ったり、人里離れた場所に行ってみたり。

そうしたときにはじめて、「穏やかにそこに坐って落ち着く場所」としての「ホーム」ができるのかも。

って言っても、家でゲームをするとかだらだらyoutubeをみとかも、ひかえめにいってマジで最高にしあわせな時間なので、なくしたくないのです。要はメリハリっちゅうことですな。

だからたまに、「ホームに帰る時間」を持てたらいいと思うのだ。

僕の場合、週末にかならず銭湯に行ってる。お風呂に入ってるとスマホを見るわけにもいかないので、「なにもしない」をしやすいのでおすすめ。


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