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キャリアを一変させる「エピファニー」と「カッコよさ」について

先日、「エピファニー」について書きました。

村上春樹さんいわく、「エピファニー」は「平たく言えば、『ある日突然何かかが目の前にさっと現れて、それによってものごとの様相が一変してしまう』という感じ」。

この「エピファニー」の感覚を大切にすることが、キャリアにおいてだいじなんじゃないか、と最近考えています。

だけど、なかなか村上春樹さんみたいに「神宮球場で野球見てたら『小説かけるかも』と思った」みたいな、運命的なひらめきが訪れることって、あんまりないですよね。あったとしても、一生に何度もあるものじゃないような気がします。

ですが、ちょうど今日見つけた記事で、作家の平野啓一郎さんが「カッコいい」について語っていて。この「カッコいい」の感覚は、「エピファニー」の感覚にすごく近いし、なおかつ、僕たちに手が届きやすい感覚だなと。

すこし引用してみます。

(筆者註:「カッコいい」対象を見つけることについて)やっぱり、そこには「しびれる体感」が伴っていることが重要です。「自分のロールモデルを見つけよう」とよく言われます。ですが、理屈だけで「自分もこういう人間になるべき」と考えても、なかなか必死にそうなろうとは思えません。一方、その人の演説を生で聞いて、震えるような感動をした体験があると、「その人みたくなりたい」と強く思うことができます。
僕が「カッコいい」に魅力を感じるのは、人を自発的に動かす独特の力があるからです。現在は「どうやって生きていったらいいのか」ということに対して、ひとつの大きな正解はなく、それぞれが自分で見つけるしかない時代です。自分が「カッコいい」と思える存在と出会うと、誰かに強制されたわけでもないのに勝手に努力を始めたり、人生の指針が自分の中に築かれます。

「カッコいい」には、人を自発的に動かす独特の力がある。平野さんの言葉はすごく納得感があります。

僕も含め、多くの人が「カッコいい」と思う人がいるはず。

たとえば僕の場合、元プロ野球選手である桑田真澄さんの生き方がすごく「カッコいい」と思う(巨人ファンじゃないのに)。

怪我をしてしまってボールが投げられない時期に、リハビリでジャイアンツ球場のレフトポールからライトポールまでの間を毎日毎日走り込んだ結果、その芝がすっかり剥げてしまって「桑田ロード」と呼ばれるようになった…みたいなエピソードに触れると、理屈抜きに「うわ、カッコいいな」と思います。

そしてその心の震えは、「桑田さんのようでありたい」という思いを生み、僕をこうしてPCに向かわせています。桑田さんが毎日走り込んだみたいに、
僕は毎日note書くんじゃ!と。


先日のnoteで「最近僕は、自分にとっての『エピファニー』の瞬間を探してたんですね。探そうとして見つかるようなものでもないと思うんですが。」と書いてました。たしかに村上春樹さんのようなエピファニーの瞬間は、なかなか訪れません。

でも、「エピファニー」を「カッコいい」と置き換えると、すでに「カッコいいな」と思う人や瞬間って、結構あるんですよね。その人や瞬間に、人生の指針のヒントがあるんじゃないかな。

なので、自分が「カッコいい」と思う感覚を大切にすること。これを意識していきたいな、と思います。そして、自分も誰かにとってカッコよくあれたら最高ですね。

それでは、また明日。





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