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うだうだ日記

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うだうだ考えるのが好きな人間の日記です。
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#生き方

いつかお別れする日のために、写真を撮るということ。

大事な人とお別れをしなくてはいけないとして、どんなことを思い出すのかなと、ふと考えた。 …

「かなしみ」を持つ人にだけ聴こえる音

日本を代表するインストゥルメンタルバンド「toe」の代表曲に、「good bye」という曲がある。 …

物語があるから、「病い」を生きることができる。-読書録『病と障害と、傍にあった本…

病や障害の名でひとくくりにできない 固有の症状や想い。 誰かと分かち合うこともできず。 そ…

その前向きな言葉が、誰かを傷つけることがある。

やさしいって、むずい。 「山中さんはやさしいですね」なんてたまーに言われる。そんなことな…

「もしも生まれ変わってもまたワタシに生まれたい」と思えるように、「ただ、そこにい…

小学生のころ、我が家では「テストで100点をとると100円をもらえる」という制度があった。 そ…

「自分を満たすために、誰かを助けたい」という、メサイアコンプレックスの落とし穴

「自分が人生に悩んだ経験があるから、同じように苦しむ人の力になりたい」 キャリアコンサル…

意味のある死より、意味のない豊かな生を

「人生の物語を、ともにつくりたいんです」 と、以前僕は言っていた。生き方編集者は、人生の物語を一緒につくる存在なんです、と。 これ、いかにも聞こえが良くて、言っていて「めっちゃ良いこと言ってる俺〜」って、悦に入りそうになる。 でも最近、「人生の物語」と言うのをやめた。なんか、「物語」っていう言葉にたいして、しっくりこなさを感じてしまったのだ。 僕が敬愛する是枝裕和監督は、「意味のある死より、意味のない豊かな生を発見する」と言っている。 僕自身はあまり意味というかたち

「プロフェッショナル」になれないけど、楽しくやってる人の声を聴きたいよ、春。

NHKが中継する東京オリンピックの聖火リレーの映像から、音声が消えた。 4月1日夜、聖火ラン…

編集者として、「バズ」ではなく「ケア」の感受性を持つこと。

「耳を傾けたいのは「メディアからは消されてしまう声」であるし、ロードサイドから聞こえてく…

『あなたはなにがしたいの?』って問われると、居心地がわるくなるんです。

「『あなたはなにがしたいの?』って問われると居心地がわるくなるんですよね」 と、友人が言…

「傷つくよ」と指摘されることより、指摘してくれる誰かがいないことがこわい。

自分が持ってる「無意識の加害性」がこわい。 僕も加害者になりうる。というどころか、すでに…

家族とも親友ともパートナーともわかりあえない、という希望。

現代ではネットでは気の合う人とだけ接することがきるし、特に今はコロナ禍で自分と異なる存在…

孤独でなくなる1分をもとめて文章を書く。

自分が書いたブログのリストを眺めていて、気づいた。僕はずっと「他者とどうしたらつながれる…

「関心の宛先になる」ことが、誰かの孤独をいやす、ということ。

キャリアコンサルタントの国家資格をとるとき、労働法規やらカウンセリングの技法やらをたくさん勉強する。そのなかでも一番「学んでよかった!」と思っていることが「相手に好意的関心を持つこと」、だったりする。 資格の勉強では実技がある。先生や他の生徒の前で、10分とか15分とか、模擬カウンセリングをおこなうのだ。当然だけど、緊張して問いかけが出てこない。僕だけでなく多くの生徒がそうだった。 どうしたらうまいこと「問いかけ」ができるんだろう? 先生に尋ねてみると、「そんなの、相手に