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「かなしみ」を持つ人にだけ聴こえる音

日本を代表するインストゥルメンタルバンド「toe」の代表曲に、「good bye」という曲がある。

僕はこの曲が大好きで、雨の日も風の日も晴れの日も、ほとんど毎日のように聴いてる。

なんでこんな惹かれるんだろう、と考えたときに、どこかこの曲に……というかtoeの曲はどれも感じるのだけど、「かなしみ」が通奏低音のように存在しているからだな、と気づいた。


僕が惹かれるものはみんな、どこか「かなしみ」をはらんでいる。

人も、明るい表情のなかにふとかなしみがのぞくような人が好きだし、写真もふわふわしたインスタ映えしそうなものより、なにか手に触れえないナイーブなものを感じるものに惹かれるのだ。


神谷美恵子さんは『生きがいについて』のなかで、大きな悲しみを経験した人は他者の苦しみ、悲しみの音に共鳴する「心の弦」を持つようになる、と書いている。

ひとたび生きがいをうしなうほどの悲しみを経たひとの心には、消えがたい刻印がきざみつけられている。それはふだんは意識にのぼらないかもしれないが、他人の悲しみや苦しみにもすぐ共鳴して鳴り出す弦のような作用を持つのではなかろうか。
(神谷美恵子『神谷美恵子著作集 1 生きがいについて』みすず書房, 130頁)


僕も神谷さんのいうところ「心の弦」を持っているみたいだ。

おそらくその弦を持っている人は、そうでない人には聴こえない音が聴こえる。

いつも心のどこかに「かなしみ」がある、といったらネガティブなことに捉えられるかもしれないけれど、「かなしみ」があるからこそ聴こえる音、見える景色、通じ合える人々があるとしたら、と思うので、これはこれで悪くない。

文章や写真で何かを伝える人間のはしくれとしては、「かなしみ」を否定するのではなく、昇華した表現をしていきたい。

それが誰かの「心の弦」をふるわせて、共響が生まれれば、僕やその人の「かなしみ」はまた別の名前のなにかにかわるんじゃないか、と思う。


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