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「プロフェッショナル」になれないけど、楽しくやってる人の声を聴きたいよ、春。

NHKが中継する東京オリンピックの聖火リレーの映像から、音声が消えた。


4月1日夜、聖火ランナーが長野市内を走っていた時だった。「オリンピックに反対」。沿道で抗議行動をしていた市民の声が一瞬中継に入り込んだ。その直後、中継から音声が消えたのだ。SNS上では、「都合の悪い音声」を消したのではないかとの声が出ている。
(引用:「NHKの聖火リレー中継 音声30秒分が消された理由とは」


ここでとりあげてみたいのは、オリンピックを取り巻く政治的な話じゃなくて、「メディアからは消されてしまう声がある」ということだ。

珍スポットや独居老人、なんでもないけどリアルな東京の居住空間、地方発ラッパーなどを取材し続けてきた編集者・都築響一さんは、著書『圏外編集者』で、「メディアが垂れ流す虚像」について、こんなふうに語っている。


雑誌でもテレビでもそうだけど、「ふつうにないもの」を取り上げるのがふつうでしょう(笑)。すごく豪華な家だったり、旅館だったり、メシだったり、女だったり。ふつういないようなイケメンだったり、一生乗る機会のないクルマだったり。それはそれでいいけれど、そんなひとも、そんなふうにカネを使えるひとも、自分の友達にはひとりもいない。
(引用:『圏外編集者』88頁)


メディアは「ふつうにないもの」を取り上げて、「こんな暮らししたいよね!ね!!」って、読者の劣等感や恥の意識をかきたて(それは以前書いたように、「包茎」みたいな身体のことについてもそうだ)、消費をうながす。

だけど都築さんがいうように、実際に僕らの生きているシャバの世界では、「そのサイクルから外れたところで楽しく気持ちよく暮らしてる人間」の方が多いはずだ。六畳一間に住んでいて、ベランダでミニトマト育ててるとか。車はボロい中古のマーチだけどいい感じにカスタムしてあるとか。ぜんぜん有名じゃないけどそのまちの人たちから愛される陶芸教室をやってるとか。

そして、そうした生き方は、「『スペシャルな場所』ではなくて『ロードサイド』にしかない。どこにでもある、という意味で」(89頁)。


「ふつうにないもの」に憧れ、くるしんでいる人が多い気がする。僕もふくめて。『プロフェッショナル 仕事の流儀』をみると、「俺もプロフェッショナルになりたい、けどなれない…ぐむむ…」って。

でも、「プロフェッショナル」を目指さない生き方だってあるはずだ。っていうかむしろ、そっちの方がマジョリティだし。


僕が伝えていきたいのは、都築さんがそうであるように、まさに「メディアが垂れ流す虚像の外側にある広大なリアリティ」(90頁)であるし、耳を傾けたいのは「メディアからは消されてしまう声」であるし、ロードサイドから聞こえてくる声であるのだ。

…っていうのは圧倒的に自戒である。家でみかん食べながらやわらかい椅子にふんぞりかえってmac bookをタコタコ叩いて原稿書いてる場合じゃないぞ、俺。もっと街に出ねば!!



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