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息子は標準語で喋るのか? ベルナルド・アチャガ『アコーディオン弾きの息子』

ベルナルド・アチャガ『アコーディオン弾きの息子』について。

ベルナルド・アチャガは、1951年生まれのバスク地方の自然や人間を描くことをライフワークとしているバスク語作家です。彼の作品はバスク語で書かれていますが、自身がカスティーリャ語(所謂スペイン語)に翻訳もしており、少数言語で創作しているにも拘らず世界中に沢山の読者がいる稀有な作家です。

今回紹介する『アコーディオン弾きの息子』は、スペイン内戦後の独裁政権下のバスク地方の架空の村オババ(ゲルニカ付近という設定)を舞台にした長編小説です。バスクからアメリカに亡命した友人が書いた手記を元に、親友の作家(アチャガの分身のような存在)が再構成した読み物という形を取っております。
バスクの自然の中で無邪気に生活していた主人公が、徐々にスペイン内戦が村に残した傷跡に気付きバスク解放運動に身を投じていく。。。というのが大まかなあらすじです。

アコーディオン弾きの息子 (新潮クレスト・ブックス)

友人の物語が、彼ら二人(友人と作家)の物語になり特に小説の終盤では、同じ物語が幾つかの視点から語られます。それらは微妙に異なっており、それぞれが自身の物語を真実だと考えています。
今作のようにそれらを一つの書物に纏めるというのは、個人の記憶が集団の記憶に溶け込んでいき、その境界線が曖昧になり、そしていずれはその集団の記憶が勝者の記憶に取り込まれ“歴史“となっていく過程の始まりのように感じました。
そのような歴史とは呼べない個人の記憶や集団の記憶を表現するためにも、その集団特有の言葉であるバスク語で語る必要があったのだと思います。

日本は島国のためか日本語という言語が失われる!という危機感を感じることはあまりありませんが、子供たちが僕たち両親が喋る方言ではなく標準語で喋っているのを見ると、こんな感じで僕たちの語り(方言)は失われていくのかな?と少し切ない気持ちになったり。。。

少数言語で小説を書くという行為は、音楽に置き換えるとオーケストラで一般的に使用されている楽器(ヴァイオリンやフルートなど)と比べて人口が少ない伝統楽器のために作曲することに似ているように思いました。
下の動画は、尺八独奏のために作曲した『Hitomi』という曲です。伝統楽器は西洋の楽譜に合わせて改良をあまりされていないためか、それにしか表現できないその地域特有の雰囲気というものがあるように思います。そのような楽器のために作品を作るのは簡単ではないですね。因みにこの作品は西洋の記譜(五線譜)で書かれております。

Hitomi for Shakuhachi Solo(2016)
Commissioned by Reison Kuroda
World premiere, October 20, 2016, Tokyo Concerts Lab.,
Tokyo, Japan (LIVE recording)
作曲:高橋宏治
演奏:黒田鈴尊


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