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ベートーヴェンが忘れ去られる時 パムク 『わたしの名は赤』

オルハン・パムクの『わたしの名は赤』について。

オルハン・パムクは、1952年生まれのトルコ人作家です。村上春樹氏がノーベル文学賞を受賞するのではないか!と初めて話題になった2006年にノーベル賞を受賞した事もあり、日本でもよく知られている世界的人気作家です。東西の文化が衝突する街“イスタンブール”を非常に魅力的に描く作家で、僕も彼の作品を読んで、どうしてもトルコに行きたくなり、二年ほど前に訪れました。

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今回紹介する『わたしの名は赤』は、16世紀末のオスマン帝国を舞台に、当時栄えていた細密画が淘汰されていく様子か描かれています。その中で起こる細密画家の殺人事件の真相が明らかになるに連れて、東西の文化の相入れなさもはっきりとしていく!というミステリーエンターテイメント歴史純文学の大作です。

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この本の大きな特徴の一つに、チャプターごとに語り手が変わる事が挙げられます。それ自体はそんなに珍しい手法ではないのですが、主人公やヒロイン、殺人犯、死体などに加えて、犬や、絵に描かれた木、悪魔などが物語を語ります。その中でも驚いたのが、この本のタイトルになっている“わたしの名は赤”というチャプターです。そこでは、細密画に描かれている“赤色”が、如何にして“赤”になったかを語ります。当時、ヨーロッパやアメリカ大陸の文学ばかり読んでいた僕には、「どのような視点からでも、物語を語れることは出来るんだ!」とかなりの衝撃を受けました。

この小説で取り上げられている“細密画”ですが、現代の感覚からすると理不尽に感じるような様々なルールがあります。(消えつつある伝統芸能には、多かれ少なかれ理解に苦しむルールがあるように思います。)
例えば、遠近法を使用してはいけません。細密画は神の視点から描かなければならないため、人間の物の見方である遠近法は禁じられています。
また、作品に署名してはいけません。絵を見る喜びや信仰心のためにではなく、金と功名心のために絵を書いてはいけない!とのこと。

そのような細密画家の元に、作家の個性を重んじる西欧絵画の波がやってくるのですが、芸術としての作品の美しさと、宗教に対する信仰心との間で細密画家たちは葛藤します。
現在、この本に登場するような細密画の文化は途絶えてしまっているとのこと。当時の人々からすると、細密画の文化が滅んでしまうことは想像もできなかったのではないかと思います。どんなに隆盛を極めた文化・価値観もいつかは理解してくれる人がいなくなり滅んでしまう。それはとても悲しいことだけど、どうしようもない。という事をこの本から学びました。

コロナウイルスの影響で、クラシック音楽を始め様々な伝統芸能が消滅の危機に、より近づいたと思います。ベートーヴェンやバッハの価値を理解しようとする人間が全くいなくなる時代が来るとは想像も出来ないけれど、いずれそのような時代が来るのでしょう。とても悲しいけれども、文化や価値観は変化し続けるものですし、未来にはその時代に合った価値観や文化が現れているのだと思います。もちろん、まだまだ先の未来だとは思いますが、思った以上に早く訪れるような気もします。

ところで、2019年に『長い終わり』という歌曲を書きました。音楽や人生に終わりがあるように、永遠に続くんじゃないか!と思えるようなことも必ず終わりがあり、始まった瞬間に終わりが始まっている。ということを歌った作品です。

高橋宏治作曲・作詞《24 Songs for Voice and Piano (2017-2019)》より
〈14. 長い終わり "the beginning of the end"〉


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