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時を凍らせる! オルハン・パムク『無垢の博物館』

オルハン・パムクの『無垢の博物館』について。

オルハン・パムクは1952年生まれのトルコの作家です。トルコ革命によって西洋化されたトルコを独特の語り口で語る小説が評価され、2006年にノーベル文学賞を受賞しております。小説の殆どはイスタンブールが舞台になっており、この街を非常に魅力的に描いています。

以前にもパムクについては書いております。興味のある方はコチラ!→ベートーヴェンが忘れ去られる時 パムク 『わたしの名は赤』

今回紹介する『無垢の博物館』もイスタンブールを舞台にしており、婚約者を捨て別の女性に夢中になった男性が、博物館を建てるまでが描かれています。
主人公の男性は、独身時代に関係を持った女性“ヒュスン”のことが忘れられず、別の魅力的な女性との婚約を破棄し、別の男性と結婚したヒュスンの自宅に毎晩のように訪問します。その際に、彼女の家から様々なもの(タバコの吸殻や、置物など)を盗み、彼女の死後それらを展示するために博物館を建てる!というのが大体のあらすじです。

無垢の博物館 (下巻) オルハン・パムク著 宮下 遼 訳 (早川書房)

世界中にある博物館に展示されている物の多くは、過去と結びついて価値を持つ物だと思います。それと同じ様に、主人公が建てる“無垢の博物館”に展示されている物も、彼女の思い出とセットになって初めて特別な価値を持つものばかりで、過去の物として扱われています。
それは、主人公が現在の彼女よりも、モノによって喚起される思い出の中の彼女を愛していると言えなくもない様に思います。彼女は博物館が建てられる前に亡くなるのですが、その様な過去の彼女を重視した愛は、彼女を絶望へと追い込んでしまいます。

実際にイスタンブールの存在する“無垢の博物館”と猫(2018年に訪問した際の写真)

この『無垢の博物館』は、実際にイスタンブールに存在します。(ノーベル賞の賞金で建てられたとのこと。)架空の女性の思い出の品が陳列されていると同時に、西洋化されていくイスタンブールの中で失われたものへの郷愁の品々とも見ることができる様に思いました。

この小説を初めて読んだときは、「何て悲しい話なんだ。。。一途だねー。」と半泣きで感動しながら読みました。数年後、イスタンブールに旅行に行くにあたり、もう一度、あの感動を!と思い2回目読んだときは、「この人、色々集めてきもいー。。。」と感じてしまいました。
この二回の読書の間に僕の中の何かが失われてしまったのかな。。。と1回目の時の様な感動が無かったことに少し寂しさを感じました。(ただ、2回目の読書で感じた感想もいずれは消えていくのでしょう。)
昔の大事な感情を凍らせて保存したおきたいと感じる主人公の気持ちも分かると同時に、それは決して叶えられないんじゃないかなーとも思ったり。。。

“無垢の博物館”の内部

博物館の様に過去に誕生した価値観を保存すること、そしてそれを“愛”と呼ぶのも良いけど、新たに生まれる感情や価値観はそれ以上に大事にしないと主人公の様に身を滅ぼす羽目になりますね。
まあ、あれですね。ご飯と同じです。(冷凍より出来立てが一番良い!)しょうもない結論で申し訳ないです。

数年前に、この小説にインスパイアされた歌曲『ワルツ“博物館”』という作品を作曲しました。
時間を凍らせるという意味では、時間芸術である音楽という表現は博物館とは正反対にあると思います。ですが、時を止めようとするが、止められない!という表現で、この作品の独特の感覚を現わせないかと思い作曲しました。
前半は、頻繁に止まる三拍子で書かれており、後半部分はワルツになっております。ワルツは三拍子の音楽ですが、ウィンナーワルツの様に三拍子のそれぞれの拍の長さが均等ではなく少し異なる形で演奏されます。その表現は一瞬時が止まった様に感じるため、ワルツという形で作曲しました。良ければお聞きください!

〈 9. ワルツ "博物館" Waltz "Museum"〉 from 《24 Songs for Voice and Piano (2017-2019)》 Live Recording

作曲・歌詞:高橋宏治
うた:薬師寺典子
ピアノ:弘中佑子

【Lyrics】
9. ワルツ "博物館"
時を止めて あなたの服を脱がして 耳飾りだけにするのさ
盗んだ服を部屋に飾るの 
白い絹の下着も ルージュの付いた吸い殻も
凍る時の中では 君だけを愛せるの 
世界の美と意味とが ひとところにあると信じられるから
九年ぶりの君の裸は 昔と同じ 黒子の場所も
歪められた眉の下で閉じる瞼 
爪を立て噛みつき喘ぐ君を僕は知らない
過ぎる時の流れは 僕だけを取り残し 
君を死へと追いやる 既に手遅れだと知ってて君を愛し 
幸せを感じていた
君が最後に着たドレスには 
今も大きな赤黒いしみ 君の 
そばで 僕は 眠りに つく
(for O. Pamuk)

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